オリオンの悟り
マヌ 2003年6月22日の霊言
私はたいへんロマンチストです。神様の道を歩むということ、神の子として使命を果たしていくということ、それをもっとおおらかな明るい、喜びをもってあなた方にも生きていただきたい、使命を果たしていただきたいというふうに、私は思っているんです。
そんなに堅苦しく考えることないんですよ、いいですか。
十分いろんなお酒も、体をこわさないように召し上がってください。私も芳醇な酒というのはとても好きですし、豊かな香りのするコーヒーも大好きですし、そういうものを全部九次元が拒否して、何もそういうものを楽しまずに生きていると思ったら、それは大間違いです。
使命を果たす意味での原動力として、多くのものを嗜好し、楽しみながら生きていくという、それは芸術作品においても、音楽においても、そして食べ物においても、味覚、嗅覚、そういうあらゆるものを私はこよなく愛し、楽しんで、たしなんでいるのです。
男女の性においても、どうもこのお坊さんたち、修行者という、この方たちの形態というのは、私にはひどく不自然なものに思われるのです。
先ほど、この者が言っておりましたけれども、オリオンの悟りの中には、究極において男女の結合ということがある。
男女が宇宙の創造原理において、創造された時、それは陰陽合体であり、そこから男性系、女性系というものが分かれる。分かれて、女性、男性というものが創られていって、そして再び相手を見いだしていく、見つけていく過程が修行である、悟りであるというのがオリオンの悟りなのです。
だから最後、私たちが悟っていった時、自分の魂が宇宙の中で創造された時に、自分が切り離されたパートナーを見つけ出せるかどうか、そこが大きな悟りの最後のハードルになってくるということ。
だから、ひじょうにある意味自由に、男女の性がおおらかにすごされているように思うかもしれないけれども、それは私から見たら、地球の者たちの方が迷っているようにしか見えないのです。
そのかけがえのない相手を見つけた時、他の女性に心惹かれるかと言ったら、それは惹かれる余地もないということ。その意味において男女の倫理というのが確立されていくということ。
法的に縛られるから、ペナルティが課せられるから浮気をしないとか、フリーセックスにならないということではなくて、自分にその気がなくなるということ、それくらい根源的なものが男女の中にあるということ。
宇宙の創造原理というの、皆さんわかってらっしゃいますか。
生物においてもそうでしょう。陰陽が合体したところから、創造の原理というのが、すべてが開始されていくのです。
それは宇宙の創造の基本、太初の根源的な始まりにおいて、神の中でそれが始まっているのです。
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