聖母マリア
(聖母マリアは、約2000年前にイスラエルの地で、イエスの母として生きた。現文明では、天上界よりキリスト教徒の指導にあたっており、特に女性に対する指導霊をつとめている。)わたくしの天使たちは、わたくしの愛する天使たちは、ほんとうに美しいのです。ほんとうに美しく、光り輝いています。
わたくしの誇る、わたくしの子どもたち、わたくしの愛する天使たち。
そして、その天使たちの群れにはあなた方もいるのです。
美しく光りなさい。
美しく輝きなさい。
あなた方は光の天使、神の子どもたちなのですよ。
今わたくしの周りにいる、この五百位の天使たちと共に、あなた方も美しく輝きなさい。
本来、神が与えられ、あなた方を創造された美しさをもって、愛を自分の体に直結させることにおいて、光り輝き、羽ばたきなさい。
大いなる翼を広げ、大いなる美しき光を、この地上に生きた肉体をもって発信していきなさい。
光り輝きなさい。
一言ひと言、語る言葉の中に愛が宿るかどうかで、人びとはあなた方が光の天使であるかどうかを直感的に見分けるのです。
周りの人びとが自分を評価しないから悪いのではないのです。
言葉を超えて、思わず手を合わせたくなるような美しさを、神性を発現するような、そのような生きざまをしなさい。
肉体を持っていてもそれはできるのです。
それこそがほんとうに美しいということ、美であるということ。
真実は愛であり、美であるということ。
そのことをわたくしはあなた方に伝えます。
けっして、善であり、美であり、美しく生きるということは、難しいことではないのです。
わたくしのような者ですら体現できるのなら、あなた方におかれましては、もっともっと素晴らしい光を放てるはずなのですよ。
わたくしの愛するシスターの中に、マザー・テレサという、最近、帰天した者がおります。彼女がどのような思いで、人びとの手を握っていかれたか。難しいことを言わなくても、彼女はどのような思いで、彼ら亡くなっていかれる方を看取っていかれたか。
その思いはね、けっして理屈なんかないかもしれない。あなた方の好きな難しい神理はないかもしれないけれども、いちばん、これからの時代に必要なことかもしれないのですよ。
愛の思いで人びとを包み、愛の思いで人びとを看取っていく。
「あちらに神の国があるよ」と、「あちらが神の国の方向だよ」と、指し示していただきたいのです。死んでいく人たちを。彼らはどちらに帰ればいいのかわからないのです。そのような時になってね、難しい理論書なんて、何にも役にも立たないのですよ。
ただ、あなた方一人ひとりがどこまで神の愛がわかり、どれだけ表現できるか。多くの人びとを救いたいという愛の思いで、人びとの手を握ってあげることができるか。その思いを忘れてはなりません。そこを抜きに信仰心などはありません。
そこを語る女性が、母性がなさすぎるのです。そして、それはわたくしの愛するブラザーたち、神父と呼ばれている者たちの中に、わたくしが時間をかけて育ててきた者の中にもあるはずなのです。
そのような神の愛に包まれた優しさというもの。
裁かない。
ただただ無心に、虚心に受けとめ合っていく。
神の国は難しいことわからなくても、「こちらですよ」と、「神はおられるのですよ」と伝えていく。そのような初歩的なものも、どうかあなた方は馬鹿にせず、伝えていただきたいのです。
愛というのは、悲しみも、苦しみも、喜びもすべてを、他者の痛みも喜びも我が痛み、喜びとして分かち合い、そして、わずかな人生の中でも自分のできることをひとつでも探して、けっして無関心になることなく、できることを探すということ。
そのことを示されるために、マザー・テレサが出て来られたのだということ。そして、それが神のお心の中で今、再び愛というものが、宗教宗派というものを越えて復活する時代がやってきたということ。そのことをわたくしはあなた方に伝えたいのです。
愛というと、今までは自分たちの宗教とか、色に染まったところで、犠牲的なものだけを愛と呼んでいたかもしれません。でも、これからの時代において、キリスト教がとか、仏教がとか、そのユダヤ教がとか、イスラム教がという枠を超えて、すべてを統合していく時代の中で神の愛というものを体現していく。
その上で、あなた方が、今おかれている立場をいかにしたら生かして、具体的に、より具体的に、あなたの人生の中で、いったい何が他者への慰めとなり、喜びとなり、生きる活力となることを、具体的に何をなせますかという、そのひたすらな問いかけを神から受けている。それがあなた方の人生であるということに、気づいていただきたいのです。
わたくしたちは皆、地上に生まれたとき、愛がなんであるかということを学ぶために、そのために生まれてくるのです。愛を理念だけではなくて、愛あふれる行いとして、人生の中でどのように生き切ることができるか。
他者の痛みというものを我が痛みとして、その他者の痛みを少しでも自らの言動で軽くし、その人の幸せに何かひとつでも貢献できる道を探すことができたであろうかと、そのように問いかけながら日々を生きる。それを愛ある人生であると、わたくしは思うのです。
愛というものは、一度学んだことを、神よりの知恵というものは、一度学んだものを我が人生の中に引き寄せてみて、そして、それをそれぞれの人生の思いの中で、自分のできる、いや、自分でしかできないこと、自分がどのようにしたら自分だけではなく、ほかの方がたの慰めの愛の光となって生きられるかということを真剣に問い、真剣に生きよう、真剣に語り、真剣に行動として、人生の中で映そうと思う方がたがあまりに少ないから、このような現状が起きているのだと思うのです。
マザー・テレサという方はあまり難しいことをおっしゃいませんでした。でも、彼女は自らの信仰心の中で、キリストより学ばれた愛が何であるかということを、ただただ神の愛というものを生き切った方なのです。難しい理屈ではなく、愛というものを生きるというその姿の中に、彼女は信仰心の、神の子としての光の柱としてのご自分の人生を輝かされたのです。
あなた方は、ほんとうの意味で、愛というものを自分の神の子の本体として、人生を愛に輝かせ、愛の通路として、愛の奔流として生きておられるかということを、わたくしは地上の皆さま方にうかがいたいのです。
愛というものは、語るだけでは愛にはならないのです。
言動をもって、一途(いちず)にひたむきに、自分以外の方がたに、工夫をし、知恵を出して、どのようにしたら自分が他者への奉仕の姿を、愛の奉仕の中で生きることができるかと、真剣に行動に移すために、自分の人生のありとあらゆるエネルギーの中で工夫して生きようとした瞬間から、その方の中を、その方の個性を通して、愛というものが噴き上がってくるものなのです。
あなた方はもう少しそのことを学ばねばなりません。
自らの愛を示すことによって、ほかの方がたの、神の子としての愛の光を啓発し、ろうそくの光が次から次へと灯っていくような、そう、キリスト教でいうキャンドルサービスのような、愛の光の点火が次々と起こっていく。そのような奇蹟というものを、そのような愛の循環というものは、もし、一人ひとりが真剣に生きようとするのでなければ、起き得ないのであるということなのです。
あなた方がやろうとしていることを、それは愛のキャンドルサービスなんだと思っていただきたいのです。
あなた方が神の子であり、愛の奔流の一筋の光であるのならば、あなた方が自分自身の光だけに気を取られているうちは、けっして愛のキャンドルサービス、愛の循環というものは、愛の光の循環というものは行われないのです。
あなた方の人生の中で、自分自らを高めると同時に、自分が与えられたことの中で、ささやかなことでもいいから、より恵まれない方がた、そして、迷っておられる方の何か一筋の力になりたい、他者を一人でも幸せにしていきたいのだというその思いの中で、ひとつでもあなた方が行動を起こしたときに、愛のキャンドルサービスは始まるのです。
あなた方の中にある、愛あふれる手を具体的に差し伸べ、社会に一歩でも踏み出て行ったときに、あなた方の愛というものは他者を生かし、他者を救い、他者を本来の神の子の姿に清め、あなたの心から、その方の神の子としての愛の炎を点火する、キャンドルの火がひとつ点(つ)いていくことをもって、愛のたいまつというものは輝かされ、たいまつというものが掲げられた意味を持つのです。
行動なくして、具体的な人生の中における創意工夫、他者への愛あふれる関心をもってしか、あなた方は愛というたいまつに火を灯していくことはできないということ。
具体的な言動こそが必要であるということ。
愛のキャンドルサービスをこの地球上に広げてください。
あなた方の愛の思いを、優しさを、難しい言葉でなくていい、難しいことをしなくてもいい。
でも、できることから一歩一歩、ほかの方がたの苦しみを少しでも軽くし、悲しみを少しでも減らし、喜びをともに喜び、倍増し、幸せな人生をともに分かち合って、みんなで生きていくことができるということの願いと祈りをもって、このアースの、未来の地球をつくっていく、そのようなことがあなた方にできる。
そのような思いをどうかこれからもあなた方の中に刻んで、人生を生きていっていただきたい。それこそが、この地球の最終局面を救う、ひとつの、唯一の解決法でしかないということを、残念ながら、わたくしはお伝えしなくてはなりません。
あなた方はどれだけの愛を人びとに与えても、分かち合っても、それは尽きることはない、枯れることはないのです。無限に、無限に与えられる、あなた方を愛してくださる神から、愛というのは無尽蔵に与えられているものなのです。
ですから、人びとに愛を与えることに臆病になってはいけません。
どんどん愛を与えてください。
賢い、真の知恵ある愛を与えてください。
そして、自らを解放してください。
自分が傷つくかもしれない、自分がひょっとしたら不利な立場になるかもしれないという、そのような恐怖心や、そのようなものの警戒心の中で自分を開かなければ、あなた方の本質的な成長もないし、ほんとうの意味で隣人たちと、魂と魂の愛の触れ合いということはできないのです。
愛というのはそういうものです。自他共に一体となっていくためにも、自ら自身を開き、自らが開いていくことが相手の心を開いていくことにもつながるのです。
互いに開き合って、互いに尊重し合って、互いに学び合って、互いに高め合って、愛というものをともに循環し合って、この地上を素晴らしい愛の花園にするために、どうか皆さま方、お力を貸していただきたいと思います。