人類は今、これまで見失われていたもの、本来自分たちが何者であったのかに気づく目覚めのときを迎えています。
その中でも、女性たちが本来の自分たちの力、母性の力に気づき、行動を起こしていくことが、危機に瀕している地球を救う道筋をつくるのです。

もっとも大切な3つのこと
私たちがどういう存在で、何のために生きているのかということに本当の意味で気づいたなら、私たちの生き方は大きく変わってくるはずです。

月意識セレニティからのメッセージ

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なでしこセミナー 好評開催中

「私はどうして女性に生まれてきたのかしら」と、ふと思ったことはありませんか。 私たちのほんとうの姿は魂で、永遠の命をもち、転生輪廻を繰り返しながら、さまざまな場所に生まれ変わっています。 あなたが女性に生まれたことも、この時代に、この地に生まれたことも、けっして偶然ではありません。ここでしかできない愛の学びをするために、あなた自身が選んだことなのです。

CONTENTS

もっとも大切な3つのこと

神の愛によってつくられた宇宙の法則・神理(しんり)。 その基礎となる3つのことを、わかりやすくご紹介します

金星の法

金星の法は、地球人類史上初めて明かされた宇宙の根本法のひとつです。女性性の本来の意味についてお伝えします

スピリチュアルメッセージ

レムリア・ルネッサンスのアマーリエを通して伝えられた、女神様方のメッセージをお届けします

アマーリエ講演録

アマーリエが女性たち・母親たちへ向けて行った全12回の講演「女性がしあわせになるために」をご紹介します

お悩み相談Q&A

いろいろな悩みにアマーリエがお答えした内容をご紹介します

スタッフブログ

このサイトを運営するスタッフが、神理のメッセージとともに、日々の生活の中で感じたことを週替わりで投稿しています

新着情報
玉依媛命からのメッセージ紹介動画を公開しました。

玉依媛命「家庭の愛を担当するのは女性」

<注意> なでしこルネッサンスホームページを模倣したウェブサイトにご注意ください。くわしくはこちら

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スタッフブログ

神の子として生きて

皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの友香(ゆか)と申します。 私は夫と猫四匹、犬一匹と一緒に暮らしている主婦です。 子どものころから動物が大好きで、いつかたくさんの動物に囲まれて暮らすのが夢でした。 哺乳類も、爬虫類も、昆虫はちょっと苦手ですが、生き物はみんな大好きです。 昔は単に「大好き!」という気持ちでしたが、神理と出会い、動物たちも私たち人間と同じように、神様の愛のエネルギーを分け与えられて創造され、共に愛によって生かされている神の子であることを知り、とても感銘を受けました。 これまでたくさんの動物を飼ってきましたが、理屈抜きに「この子たちもみんな神の子だ!」と感じています。 最近、動物を虐待している映像をYouTubeなどで流している方がいることを知り、とても胸が痛みます。 動物であっても、神様の愛のエネルギーを分け与えられた神の子であり、それは動物だけではなく、すべての植物たち、鉱物たち、そしてこの地球も、もちろん私たち人間も、神様は私たちをみんな神の子として、共に愛し合う存在としてお創りになりました。 神様は愛のエネルギーですから、私たちの本質は愛そのものなのです。 私は、昔、自分のことをどうしても愛することができず、自分の体を傷つけたり、苦しみを、愛しているはずの家族や、ときにはペットにぶつけてしまうことがありました。 愛するものを傷つければ傷つけるほど、心は苦しくて苦しくて、そんな自分を憎むように、自分のことを傷つけました。 そんな自分を、「それでも神の子というのか」と責めていました。 でも、私がそこから抜け出していけたのは、どんなに苦しい中にいても、その苦しい心の奥底に、それでも自分以外の誰かを愛することを望んでいる、他者の幸せのために何かしたいと願っている、そんな神の子としての心が、確かに自分の中にあるんだと気づいたからです。 ずっと愛されたいと思っていたけれど、ほんとうの私は、愛されるよりも、愛することを望んでいる、ただただ誰かの幸せのお役に立ちたいと願っているだけなのだと気づきました。 私が自分を嫌いだったのは、こんな自分では誰も幸せにできないという思い込みでした。 実は、私は、とても体が弱かったのです。病院でうつ病と診断されたこともありました。 自分らしく生きられない苦しさや、劣等感から、自分や他者を傷つけてしまう。神の子として、そ

女性に生まれて

みなさまこんにちは、レムリア・ルネッサンスの秋野稲穂と申します。 私は中学生の頃まで “なぜ自分は女性に生まれてしまったんだろう”という疑問をいだいていました。幼稚園へ行くときに着る服や靴下に、花の模様やフリルが付いていると嫌でしょうがありませんでした。毎日暗くなるまで野山を駆けずり回り、主に基地を作ったり、戦闘ごっこをして遊んでいて、「キャー!!」という発声は絶対に使わないというこだわりのある子どもでした。 しかし、そんな私も次第に成長し、好きな人ができたり、結婚をして子どもを産み育てるたびに、女性に生まれてよかったと思うようになりました。人に尽せる喜びや、小さな命を育み、愛おしむことのできる幸せ。あるときは、「自分の命に変えてでもこの子を守る」という、母の強さと勇気が自分の中から奮い立ってきたこともありました。それは、自分だけのためだったら、諦めたり、妥協するのは目にみえていたことだったので、まさか自分がここまで強くなれるなんて信じられないほどでした。また、落ち込んで自分の壁から出られなくなったときや、自分ではどうしようもなくなったときに手を差し伸べてくれたり、話を聞いて一緒に泣いてくれたり、ただ黙ってそばにいてくれたのは、いつも女性の友人であり、母でした。今までどれだけ女性に心を救われてきたんだろう。とあらためて思います。 女性には生まれたときから受容性と母性が備わっています。その表現方法はお一人おひとりの個性や状況によって違いますが、相手に心を開いて受け入れたり、「そうだったの、大変だったわね」と、「心配してたのよ。あまり気にしないで」、「大丈夫よ」と、声をかけられたときは(そうだ、私、ひとりじゃないんだ。案じてくれる人がいるんだ)と、見守られていたことに気がついて、その心のぬくもりに癒され、周りの人の存在の大きさと、その人たちの支えがあったからこそ、今まで生きることができたということに感謝ができるようになりました。 私は女性霊のメッセージで女性の役割や持ち味を学びながら、日常生活で経験していくことで、女性として生まれ、生きられることへの喜びと幸せを心から感じられるようになったんです。 どの方もご自分で人生計画を立てて生まれていらっしゃいますので一概にはいえませんが、多くの女性は結婚をして妻となり、嫁となり、母になっていくように、年代によって立場や環境が変わ

病気は自分を振り返るチャンス

皆さん こんにちは レムリアルネッサンスの小夏といいます。 私は今年の3月に心臓弁膜症の手術をして、経過は順調で、現在はしばらく静養期間として仕事を休んでいます。   手術後、数週間の入院生活でしたが 入院中は先生や看護師さんにお世話になりながら、自分でできる身の回りのことをする以外することがないので、いろいろなことを考える時間がありました。   手術直後は、管がいっぱい体中に入っていたので、目の前にある水を飲むのにも、誰かの手を借りなければ飲めず、看護師さんたちも忙しいだろうなと思いながらも、コールを押すと皆さんいやな顔ひとつされず手を貸してくださいました。毎日血液検査などもあり、一日に何度も病室にきて処置をしていただいていましたが、ある看護師さんはことあるごとに「ありがとうございました」と、言って部屋を出ていきます。 看護師さんにお世話をしていただきながら感じたことは、自分が弱っているときに、笑顔でやさしくしていただくってこんなにも心が癒されるんだなあとしみじみ思いました。 男性の看護師さんもいらっしゃいましたが、女性の看護師さんだとなんとなくホッとしました。   病気がわかる前まで私は特老養護施設の介護員として、お年寄りと10年近く過ごしていました。 施設は寝たきりの方が大半で、大勢のお年寄りを数人の職員で食事のお世話、お風呂などたくさんの仕事をかかえていました。 団体生活なので、決められた時間の範囲でできるだけ仕事を終わらそうとすることに、気持ちが向いていたので、お年寄りの話をじっくり聞いてあげるとか一つひとつの動作にしてもその方に合わせるとかができていませんでした。   頭では、お世話をさせていただいていると思っていましたが、仕事の忙しさに忙殺されると知らず知らずのうちに、お世話をしてやっているというそんな傲慢な思いになっていたと気づかされました。   また、私は、体も丈夫で体力もありましたので、自分は健康で長生きできると思っていました。でも、今回病気をしたことで明日のことはわからないんだということを実感しました。あとどれくらい自分の寿命があるのかはわからないけど、残された人生の一日一日を 大切に生きていきたいなと思います。  ...

猛暑に寄せて

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの尼野雪江です。 我が家では、金魚を2匹飼っています。 10年ほど前、ホームセンターの金魚すくいコーナーで、無料でもらってきた金魚たち でしたが、4匹のうち2匹がすくすくと成長し、今ではどちらも15cmを超える大きさに なりました。 ずっと気づかなかったのですが、この2匹は雄と雌で、今年に入ってから突然、毎月 のように卵を産むようになりました。 朝起きて水槽を見ると、半透明のツブツブした卵が、水槽の床一面に産み付けられて いることがあります。 だくさんの卵を見て、最初は「もし全部孵化して大きくなったら、育てきれない なぁ」と思っていましたが、せっかくなので(しかも何度も産むので)育成にチャレ ンジしてみることにしました。 ところが、卵を別の容器に移して観察していると、魚を成長させるというのは意外と 難しいことに気がつきました。 卵をたくさん産んでも、受精卵になるのは一部のみです。 その受精卵を採取してじっと待つと、2~5月頃は1週間ほど、今の時期ならわずか1~ 3日で卵から稚魚が生まれます。 でも、卵や稚魚が生きられる水温は20~25℃くらいのようです。 我が家の金魚たちはたくましくて、特別な水温管理をしなくても、今日まで無事に生...

家庭は愛の巣

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの市ノ沢あかねです。 うちの小学3年生の娘は、朝、学校に行くのを泣いて嫌がる日がよくあります。とはいえ、学校に行ってしまえば元気に過ごしているようで、家に帰ってくると、いつも「ただいまー」と元気な声で、玄関にランドセルを置いたまま、すぐ友だちと遊びに行きます。 娘は、人間関係に不器用なほうで、自分の言いたいことを言えなかったりして、ストレスをためてしまうこともたまにあるようです。 なぜ学校に行きたくないのか尋ねると、友だちから言われたひと言を理由に挙げたりするのですが、どれも言った側にすれば他意のないものばかりで、娘が気にしすぎているのが問題のようです。 そんなときは、「そうじゃなくて、こういう意味だったんだと思うよ」と話をしたり、励ましたりしています。 朝、あまりに嫌がるので学校を休ませたある日、先生が心配してうちまで寄ってくださることになりました。 娘は先生を慕っているので、「どうしよう」と言いながらも、お気に入りの服に着替えたりしてドキドキしているふうでした。 先生がいらして、マンションのロビーで、その日学校であったことなど話してくださって、「明日、これるといいね」と声をかけて先生が帰られました。 先生を見送ったあと、娘が、「のどが渇いた。お茶ちょうだい!」と、慌てて言うのです。 「どうしたの、急に」と聞くと、「緊張しすぎて、のどがカラカラ。お茶、お茶!」と言いました。 親の私からすれば、ちょっとした世間話を和やかにした程度だったのですが、娘からすれば、先生がうちにいらして、しかも元気なのに学校を休んだことへの後ろめたさもちょっとあって、とにかく緊張していたようなのです。 外から見れば、にこにこ話を聞いてうなずいているように見えたのに、心の中ではそんなふうに感じていたんだなあ、そこまで気づいてなかったなあと思わされました。 考えてみれば、学校でも友だちとコミュニケーションをしながら、緊張したり、傷ついたり、全身でいろんなことを感じて体験して、その中で成長しているんだなあと思いました。 そう考えると、ほんとうに改めて、家庭というのは安らぎの場であるんだと思いました。 家に帰ったらホッとできて、ありのままの自分でくつろげる。母親として、そういう家庭をつくりたいと思いました。 娘が学校から帰ってきたとき、「ただいまー」と明るい声なの

子育てから学ぶ

皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの「さち」と申します。 最近、子育てを振り返る機会があり、その当時書いていた日記を読み返しながら、反省した出来事があります。 私には20代の息子がいますが、その子が3歳ぐらいの時に外へ出て仕事を始めました。早出があったり、夜に帰宅したりで忙しく、日々の仕事と家事をこなしていくことで頭の中はいっぱいでした。そのため、私の心の中は、子どもが早く起きて、自分できちんと仕度をして、保育所では元気に遊び、夜9時頃には寝てくれたら、家事も早く終えられ毎日がスムーズにいくのにと自分勝手な思いを抱いていました。 しかし、子どもにも自分の思いや好き嫌いもありますから、親の思うように動いてはくれません。わがままを言うし、自分の思いを通そうと駄々をこねたりします。子どもを育てるのは大変だなと思いながら、ゆっくり子どもに目を向ける余裕もなく、「早くご飯をたべなさい」「ゲームはもうやめて、早く寝なさい」と、細かく注意をしていました。 子どもへの注意や指摘は、しつけのためというより、私自身の日常の忙しさからイライラしていて、子どもに当たっていたように思います。 息子が6歳ぐらいの頃です。 ある時、「お母さん、天国と地獄とどっちがいい?」と聞いてきました。私は「もちろん天国だよ」と答えました。「だったら、ぼくのこと怒ったら天国にいけないよ!」と言います。私が「じゃあ怒られないようにしようね」と言うと、息子は首を横に振りながら、「ちがう! ぼくが何をしても怒ったらだめ!」と、何かを訴えかけるような目と悲しそうな表情で私を見て言いました。 その時は、「困った子ね」と思うだけで、子どもの気持ちに立って考えてみることができませんでした。 今振り返ってみると、その時の息子の言葉は「もっとぼくのこと思ってよ」「ぼくの方を見てよ」という心の叫びであったと思います。 人に迷惑をかけたり、相手を傷つけたりした時は、子どもに納得のいくような方法で教え諭さなければいけません。けれども、私は自分の中で「子どもはこうあるべきだ」という理想を作り、できていれば良しとし、できていなければ正そうとし、子どもの行動に対して寛容になれずにいたのです。そして、子どもの思いを察することなく私の意思を押しつけていたように思います。 母親が子どもを自分の持ち物のようにコントロールしようとした時、ま
子育て中の女性へ