愛するということは相手の幸せを願うこと

離婚しないで添い遂げるのが必ずしもいいというわけではなく、互いに学びが終わったら、気持ちよく相手を放すことも、互いの成長のために必要です。 地球はまだ本当の意味でベストパートナーと出会うところではないので、今世の夫と過去世の夫が違うこともあります。今世の学びのために出会い、一緒になるという課題が終わったら、来世は別の人と一緒になるということがあります。 相手を本当に愛しているなら、多少つらくても手を離してあげる愛もあることを学んでほしいと思います。 愛するということは相手の幸せを願うということ。 それをしがみついてしまうと執着や未練になり、魂を縛り合い、互いが苦しくなって愛も死んでしまいます。手を離す勇気をもって、学びが終わったら感謝とともに気持ちよく別れていくことです。魂の上で友人であるということは変わらないのですから。 アマーリエ

真実の愛で結ばれていたなら

浮気をするというのは、神の子としての意識に目覚めていない姿です。 浮気をしてしまうのは、夫婦の間に隙間があるということです。ほんとうの真実の愛で結ばれていたら、そんなことにならないはずです。お互いの心に隙があるということがいちばんの問題なのです。 同時に、今の文明自体が動物性というのが抜けない肉食の文化なので、男性は本能の中でたくさん精子を埋め込んで自分の種族をひとりでも残そうとか、そういう動物性の野生的な支配から逃れられず、頭やハートで善悪がわかっているのと、下半身は別というところがあります。(中略) 地球というのは、まだそのような段階の未熟な星なのです。 そして、そういう地球の男性の現状をふまえた上で、ご主人を赦せるかどうか。そういうことも含めて、考えていただければと思うのです。もしその浮気が夫にとって本気だったら、別れることもあるかもしれません。そうではなく動物的な本能で一時だけ浮気してしまったのなら、そしてご主人も反省され、家庭を壊したいとは思っておられないなら、赦してあげてはいかがでしょうか。 相手が自分をハートで大事にして、愛しているという気持ちがあるなら、そこは赦してあげたらいいのではないかと思うのです。 アマーリエ

いつわりの愛から真実の愛へ

中身の愛があって形になるのです。 外側でつくろったり、外側で守られる、いつわりの愛が守られる時代は終わりを告げていきます。 内側にある本当に真実の男女の愛、親子の愛、そういうものがあったら、形というのはおのずと出来てきます。形から入ろうとしないことです。 むき出しの愛、純化された愛というものが、神の子としての愛のエネルギーの中での、最高の勲章になっていくのです。 それ以外の不純なものというのは、認められない時代になっていきます。 女性たちもそれをふまえてしっかりしましょう。 アマーリエ

形だけの結婚より、子どもの幸せを

両親の不仲を見て育つ子供は心に毒をまき、男女の結婚生活に対する絶望感を味わってしまいます。 どうしても結婚相手と信頼関係を築けないと思うときには、穏便に結婚を解消して、子供とともに一生懸命生きる姿を真摯に見せるほうが、子供にとっていいということも多くあるのです。 子供のために別れないというのは一見すごく美しいようにも思えますが、本当に愛を持って、子供を守って生きられるなら、形は関係ありません。形だけがあっても夫婦が口もきかないならば、経済的には安定しているかもしれませんが、子供は深く傷ついていくのです。 アマーリエ

結婚という形だけにとらわれないで

結婚という制度で「わたしは妻よ」といって、何十年も別居してるのに、死ぬときだけ夫の骨を拾い、愛人を見返してやろうとして、意地で離婚しないという人がいます。でも、それで本当に幸せでしょうか。離婚しないことが美徳なのでしょうか。 逆に一生懸命その男性に尽くした女性のほうが、「入籍も求めず財産もいらない」と、「一緒にいられればいい」という思いで相手を世話している女性がいとおしいから、男性もそういう愛人のところにいくのだと思います。 一概に「結婚をしてればいい」とか、「離婚は悪」だということに捉われ、「自分たちが正しい」とか「間違っている」というのは、これからの時代では未熟な判断となるかもしれません。今は形だけの時代だからです。 アマーリエ

離婚に罪悪感を持たないで

結婚相手との間で本当にまだ学ぶ課題があるときは、別れたくてもしがらみで別れられないようになっています。 ある時期が来たときにスパッときれいに別れられるときがくるのです。 そのときが、互いが学ぶべき課題が終わったのだと、互いに祝福し合い、別の方向に成長するために進めばいいのだと思うことです。 離婚に対して、何ら罪悪感を持つことはありません。 アマーリエ 集会レポートより

結婚生活に感謝して

夫婦で一緒にいても、ことばが通じない、心がかよわないのは寂しいものです。 (略) でも、もしも夫婦生活に終止符が打たれたとしても、あとから良かったと思える日がきます。 ありのままの自分で新たに生きるときがくるのです。 そのときに夫婦生活を通して学んだこと、実際に喜んだり悲しんだり苦しんだ経験が、人々を励ましたり、癒したりする、幸せを届けていく力となっていきます。 その時には、結婚生活も無駄なことはなかったんだと、そのことに感謝できるようになるでしょう。 アマーリエ 集会レポートより