自分を大切にして生きる

「大調和の中には、常に自らを、自らの人生というものを卑下することはありません、自分自らの、自らでなくてはやれないことの力というもの、可能性というもの、人生を大切にするということ、いとおしむということ、楽しむということ、それを、すべてをわかった者であればこそ、他者の命の尊さというもの、他者の者たちが持つ価値観を尊重しなくてはいけないということ。そして、ほかの者たちの命をけっして踏みにじってはいけな い。人生を押さえ込んではいけない。ともに尊重し合い、ともに切磋琢磨し、ともに生かしむる、そういう力というのがわくのが、大調和の原理でもあるのです。」(老子) 以上、きれい・ねっとより出版の「スピリチュアルメッセージ集66 老子」(アマーリエ著)P52より転載致しました。 皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの「さち」と申します。 私は幼い頃から内気な性格で、周りの人からは、「おとなしいね」といつも言われていました。小学生になっても人と話すことが苦手で、友達の輪の中に入る勇気のない自分が嫌いでした。何事に対しても自信がなく消極的で、明るく積極的な人を見るとうらやましく思いました。 結婚後、長女が小学2年生の頃、社会に出て働きたいと強く望むようになりました。消極的な自分を変えたいという思いと、誰かに認めてほしいという気持ちもあったように思います。家族の理解を得て、給食関係の会社で働くことになりました。 いくつかの病院や施設で働かせていただく中で、いろいろな方々に出会いました。ときには、自分が納得できない出来事に悔しい思いをしたり、相手の方の意見に対して自分の考えを説明したけれども、わかってもらえなかったこともありました。人間関係がスムーズにいかないことが時々あって、その都度自分の中のネガティブな感情にとらわれることがありました。このように対人関係の中で、お互いの考え方や意見の違いを受け止め合うことの難しさを感じましたが、人との接し方について学ぶことができました。 人手不足のため残業が多く厳しい状況の中、一生懸命頑張りましたが、家庭との両立ができなくなり会社を辞めることになりました。 退職後しばらくして老子様のこのメッセージに出会い、「大調和の中には、自らを卑下することはありません」という言葉が私の心に残りました。欠点のある不完全な私だけど自分を否定することはない、誰かに認

ほんとうの自分らしさ

「とにかく『自分自身に戻れ』、このひとことに尽きると思うのです。 それが大宇宙の、宇宙を貫くひとつのエネルギーに自分が戻っていく道であり、神の子に戻っていく道であり、同じルーツなのです。そこに行くのが、ほんとうの神の子として生きる、自分らしさの最後の究極的な悟りにもなる。 自分らしさというと、その時代の価値観の中で自分をつくって、それが自分らしさだとみんな信じているけども、ほんとうの自分らしさというのは、そういう究極的な宇宙の中の一員の、神の子としての原点から、自分のオリジナリティというのを割り出してこないと、ほんとうの意味での自分らしさなんてわからないのです。」 アマーリエ(日向様ご指導でのメッセージ) 以上、徳間書店より出版の「アマテラスの祈り」(アマーリエ著)P237より転載致しました。 皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの未果(みか)と申します。 私が社会人になったころ、日本中がバブル景気の活気に溢れていました。高価な物を買い、贅沢をすることが成功の証であるような風潮の中、服飾デザイナーとして働いていた私は、流行の服で着飾って男性に負けずに働くことで、自分は成功者だと思い込んでいました。忙しい合間をぬって大学の夜間講座を受講したり英会話スクールやジムに通ったりして、雑誌の特集に掲載されているような格好いい、時代の先端を行く社会人になろうと一生懸命でした。 でも、どんなに頑張っても、心の底から幸せを感じることはありませんでした。「これから先、私はずっと売れる服を作り続けられるだろうか。そもそも私にデザインの才能はあるのだろうか?」めまぐるしく変わる流行を、売れる形にしていかなければならないプレッシャーで、心の中に不安がつのっていきました。 そんななか職場の人間関係でトラブルが続き、体調不良で薬が手放せなくなり、しまいには電車に乗ることすらできなくなってしまいました。希望して就いた仕事でしたが、結局辞めることになりました。 その後何度か転職しました。当時新たな業種として注目された分野であったり、ベンチャー企業と呼ばれるところであったり、相変わらず流行を意識した選択をしていました。「今度こそ長く勤めよう」そう思って頑張るのですが、なぜか短期間で仕事先が業績不振で給与の未払いや倒産するといったことの繰り返しでした。私は仕事を変えるたび、「運が悪いだけ」と思っ

結婚愛は愛を実現する貴重な場

「いかなる相手であれども、一度自分が結婚して、神より与えられたパートナーであるのならば、その方を心から愛し、その方のためにともに尽くし合い、二人で愛というものをこの地上に花咲かすために実現させる場として、結婚愛というのは実にすばらしい、ともに魂を修行し、愛を実現する場としてはかけがいのない貴重な場として、わたくしは神がおつくりになられたのであると、わたくしはそのように思います。」(マリア・テレジア) 以上きれい・ねっとより出版された「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア」(アマーリエ著) P32より転載。 皆さま こんにちは レムリア・ルネッサンスの「なまる」と申します。 私は18年前に主人と結婚しました。主人はとても明るく楽しく、決断力のある頼もしい男性で、私は大好きでした。でも、言葉のすれ違いからケンカになると、主人は暴言をはくことが多く、私はその言葉に傷ついてきました。私は主人から愛されていないのではないかと思い、不安と悲しみと寂しさから、心が病んでしまったこともありました。 私は霊言に出会うまで、自分が不幸であるのは、すべて主人のせいであると思っていました。でも、本当にそうなのだろうか。私の考えが間違っているのではないかと思うようになりました。自分のことばかり考えていて、主人の気持ちを考える余裕がありませんでした。毎日、仕事で働いてくれることも当たり前のように思っていたのです。愛を求めてばかりいた自分を反省しました。 それからは、愛を求めるのではなく、自分から主人へ愛を与えるようにしました。心を込めて料理を作ったり、楽しい話題を探したり、主人が心地よく過ごせるように気を配ってきました。私が変わることで、主人も変わってきたように思います。 先月、久しぶりに夫婦だけで外食をする機会がありました。いつもはファミリー向けの手軽なお店ですませるのに、その時はずいぶんしゃれたお店に主人が連れてってくれました。 主人に聞くと、前から気になっていて、いつか一緒に行けたらいいなと思っていたということでした。主人はシャイなので「愛してる」などと言えるような人ではないですが、不器用ながら、私への感謝の気持ちを表してくれたのかなと心が温かくなりました。 主人と暮らした18年間、悲しいこと、苦しいこともありましたが、今は懐かしい思い出です。うっかりもので、何かと至らない私