問いかけながら生きる

「わたくしたちは皆、地上に生まれたとき、愛が何であるかということを学ぶために、そのために生まれてくるのです。愛を理念だけではなくて、愛あふれる行いとして、人生の中でどのように生き切ることができるか。他者の痛みというものを我が痛みとして、その他者の痛みを少しでも自らの言動で軽くし、その人の幸せに何かひとつでも貢献できる道を探すことができたであろうかと、そのように問いかけながら日々を生きる。それを愛ある人生であると、わたくしは思うのです。」(聖母マリア)   以上、きれい・ねっとより出版された、「スピリチュアルメッセージ集65 聖母マリア」(アマーリエ著) P19より転載致しました。   皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの愛美(あいみ)と申します。 私は、先日、初めて主人とカトリック系の養護施設に子どもたちのお世話をさせていただきました。広い敷地の中に乳児院、保育園、高齢者介護施設などたくさんの福祉施設があり、当日は、2~4歳児が暮らすホーム園のお手伝いに入りました。最初は緊張していたのですが、子どもたちに笑顔で接するようにしていると、少しずつ馴染んでくれ、一緒に遊んでくれるようになりました。子どもたちが段ボールで作ったソリで芝すべりをしたり、手をつないで歌をうたいながらお散歩したりしました。お昼になると、神さまにお祈りをして、みんなで食事をしました。   そのとき、仲良くなった一人の女の子が、「大切なものを見せてあげる」と言って、タンスの中から蓋(ふた)のついた小さなプラスチックの容器を持ってきました。「これは何?」と聞くと「最初はチョコレートが入っていたの。全部食べて無くなったけどとてもいい香りがするよ。嗅いでみて」と言って、私に空っぽの容器を渡してくれました。蓋を開けるといい香りがしたのですが、「すぐ蓋を閉めて」と言うので、理由を聞くと、「前の誕生日のときにお母さんからもらったものなの」と教えてくれました。女の子にとっては、空の容器であってもお母さんとの大切な思い出が詰まった宝物だったのだと気づきました。本当は、いつもお母さんの傍に一緒にいたいという思いをもって施設で暮ら す子どもたちの心情が少しわかったような気がしました。   帰り際に、園長先生から、職員の皆さんたちは実の親の代わりになれるぐらいに、子どもたちに深い愛情をもった関わりあいをして、育てて

自分を表現することをためらわない

「愛の原点というのは、わたしたちは神の子であり、愛のエネルギーそのものであるということ。オリジナルの自分を表現することをためらわないで、自分自身を愛の表現者として、勇気を持っていきましょうと。       それがほんとうの意味での幸せで、ほんとうの意味でわたしたちの魂を自由に解放させていく道なのです。  やはり、なにか愛のためにお役に立てる、神様のためにーー、多くの仲間、神の子たちのために、地球のために、宇宙のためにというのが、神様のためにでもあるのだけれどーー、自分という存在が無意味ではないと、何かお役に立てる力があると思うことは、ほんとうに幸せなことだと思うのです。  ささやかなことでもいいから、お役に立ちたい、みんなそういうふうに思っていると思います。そしてそれを、いちばん言ってあげなければいけないのは子どもたちなのです。」(アマーリエ) 以上、徳間書店より出版の「アマテラスの祈り」(アマーリエ著)P254、255より転載致しました。 こんにちは。レムリア・ルネッサンスの小梅と申します。私はもともと心配性で周りの反応が気になったり、他人にどう思われるかを気にしてしまう性格です。そんな自分が好きになれず自己嫌悪に陥ることもよくありました。 そのことをレムリアの人に相談した時に「神の子としての自覚が足りないんじゃないかな」と助言を頂きました。理屈では「神の子」、「神は愛のエネルギー」と教わり、頭ではわかっていても未熟な私はどうしてもそれを実感することができませんでした。 そんな中、このメッセージを読んだ時に、まずは自分の愛をためらわずに表現してみることが大切なのかなと思いました。愛を表現すると言っても私は文章を書くのが苦手で言葉で伝えることも得意ではありません。自分には何ができるのだろうと思った時に、今習っている笛のことを思い出しました。 先日、初めて笛の先生と一緒に老人ホームの慰問演奏に参加させて頂きました。初めは皆さま無表情で、私も緊張して音がうまく出ませんでした。それでも「皆さまの心が元気になりますように」という思いで何曲か演奏するうちに、一緒に手拍子をしてくださったり、歌ってくださり、楽しんで頂けたようで嬉しかったです。私にはとても難しい楽器ですが、表現することをためらわず、聴いてくださる人の心が少しでも癒されるような演奏ができるようになれたらいいなと思い

子どもを育てさせていただく

「高いバッグを買ったり、高いお洋服を買ったり、ひじょうにある意味で目に見えるもので、女性もまた虚飾を張ろうとするのが事実なのです。その過程の中で、まだバッグやハンドバッグや、靴や洋服ならまだよいのですけれども、何を考えたのか、生まれた子どもを通して自らの自己実現、エゴの実現というものをしようという、そのような女性たちが多くなっているということなのです。  子どもは子どもとして、神より与えられた大事な大事な宝です。一時お預かりし、「子どもは子宝」と言いますけれども、子どもは授かったのならば、それを育て上げて羽ばたかせ、一時お預かりしたお預かりものであるという気持ちで、魂を受け入れねばなりません。そして、あるがままに受け入れ、あるがままの個性を、魂を受け入れ、愛の中で、無償な無私の中において育み育てるという、それが女性の使命であるのです。」(日向) 以上、きれい・ねっとより出版の「スピリチュアルメッセージ集60 日向」(アマーリエ著)P25より転載いたしました。 みなさま、こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの、ことりと申します。 私にはもうすぐ一歳になる娘がいます。 出産前から神理に出会っていましたので、「子どもとは神様から一時お預かりした大切な命。その子の個性が花開き羽ばたいていけるよう、自分の価値観を押し付けることなく、全てを受け入れ育てさせていただこう」 そう思っていました。 しかし、娘が8ヶ月くらいのことでしょうか。 表情も豊かになり、外出先で娘に対して色々な人に話しかけられることが多くなってきた頃です。 「可愛いわね~今何ヶ月?」 「こんにちは。あら~笑ってくれるの」 「愛嬌があって良い子ねー」 そんな風に声をかけられ娘を褒められる度、何だか母親である自分まで褒められているような、世間から評価されているような気がしてきたのです。そして「できればこのまま、周囲の人たちから褒められるような、自慢できるような子どもに成長してほしいな」という気持ちが出てきました。 その時はそれが自分のエゴであり間違った思いだと気がついたので、なんでそんな思いを持ってしまったのだろうかと、自分自身に対してショックを受けました。そしてこの日向様のメッセージを思い出しました。子どもをハンドバッグのように扱うなんて考えられないと思っていましたが、他人事ではなかったのだと反省しました。 そし

出産

「出産におきましても、男女の出会いにおきましても、すべて神のご意志に組み込まれた中にあります。 出産による痛みも、もし安易に産んでしまったのならば、どうでしょう。今でもあれだけ痛い思いをして十月十日抱えて産むにもかかわらず、子どもを平気で捨てていき、殺してしまう母親たちが、今います。 あの痛みがなかったなら、もっともっと安易に子どもを産んで、イヌ・ネコのように産み捨てることでしょう。あの痛みにも意味があるのです。」 (玉依媛命) 以上、徳間書店より出版の「アマテラスの祈り」(アマーリエ著)(玉依媛命)P225~P226より転載 皆さま、こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの宇佐見祐加と申します。 私は0歳児を育てている主婦です。 「出産は痛そうでこわいな。私に耐えられるのだろうか」 幼い頃からテレビで出産シーンを見るたびにそう思っていた私は、帝王切開を経験しました。 出産は、鼻からスイカを出すようなものと言われるくらい痛みを感じるものです。 帝王切開は麻酔をするので痛くないと思われていることもあるかもしれませんが、お腹を切るので術後は痛み止めを飲んでいても痛いです。 術後の翌日には血栓予防のために、痛みに耐えながら産院の中を歩く必要があり、またお腹を切った痛みの他に後陣痛による痛みも加わります。 一人ひとり身体は違い、痛みにも個人差がありますが、いずれにしても出産は痛いことには変わりありません。 私の場合は、妊娠中に大きくなってしまった子宮筋腫が産道を塞いでいて、出産の際に赤ちゃんが苦しくなってしまう可能性が高いということで、赤ちゃんのためにも帝王切開をすることになりました。 麻酔を打ちましたが、あまり効いていない状態でした。 赤ちゃんがお腹の中にいるので追加の麻酔を打ってもらえずに、そのままの状態で赤ちゃんを取り出すことになりました。 お腹を切られるのも痛かったけれど、それ以上に赤ちゃんを取り出すことが痛くて仕方ありませんでした。 本当に痛くて、泣き叫びながらの出産になりました。...