愛の思いで装うということ

「美で彩るために、神は女性をつくられました。 ささやかな思いやりです。 この愛の星を彩るのは、花々の美しさだけではないのです。 年齢だけでなく、種族も関係なしに、女性は美というものを表現していく。 装うということをもって、周りの方がたに対するいたわり、励まし、生きる希望というものを与えることができる。それが、女性を本来おつくりになった、神が期待されたエネルギーでもあるのです。」(月意識セレニティ) 以上、徳間書店より出版された、「ガイアの祈り 光ある愛の星にアセンション」(アマーリエ著)のp115より転載致しました。 皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの実果(みか)と申します。 私は、娘がまだ幼く子育てに忙しくしていた頃、毎日の身だしなみについて、次第に無頓着になっていきました。汚れても気にならない地味な色合いのトレーナーと動きやすいジーンズ。それが私の定番スタイルでした。そんなある日、娘が言いました。「お母さん、毎日ぼろぼろの格好だね」娘からそんなふうに見られていたなんて、私はショックでした。とっさに、「だって、一緒にお砂場で遊ぶとき汚れちゃうでしょう」と言いましたが、娘は納得した様子ではありませんでした。なぜなら、公園にいるお母さん方は、華美ではなくても、お洒落に気をつかっている方ばかりだったからです。 それからしばらくして、レムリアの集会に初めて親子で参加した日のことです。一緒に電車に乗っていた娘が、「きれい。きれい。いつもこういう格好すればいいのに」と、言いました。私が着ていた色鮮やかなニットやアクセサリーに、まるでとても大切なものに触れるかのようにそっと指をすべらせて、にっこり微笑みました。その時、母親がどのような装いでいるのか、娘の心に影響を与えているということを初めて知りました。 身だしなみを整えることは大人に対する礼儀として必要なことだと、単純に考えていました。そしてセレニティ様のこのメッセージに出合ってからは、一緒にいる方や周囲の方がたを思いやる気持ちを持って、単に外見だけに気を遣うのではなくて、心が安らぐような装いになっているだろうか。そのようなことに思いをめぐらせて身だしなみを整えるようになりました。装うということは愛の表現の方法のひとつであるということ、そして、それは大人だけでなく子どもに対しても同じであるということを我が子に教えられ

つらい経験から得られたもの

「あなた方が今、苦しみ、悩んでつまずき、そしてその中で学んでいる中において、それこそが多くの人びとを助けていく最も大事なよすがとなっていくということを、わたくしは申し上げているのです。  人の苦しみ、悲しみを、本当の意味で自分が苦しみ、悲しんだ者でなければ、やはり人の涙の意味などわからないということなのです。生まれて一度も病気をしたことがない、一度も悲しい思いをしたことがない、人に裏切られたこともないという方が、本当の意味で、自らの隣人たちの苦しみや悲しみや、病気のつらさというものを分かち合うことはできないということなのです。」 (聖母マリア) 以上、きれい・ねっとより出版された「スピリチュアルメッセージ集76 大天使サリエル・聖母マリア」(アマーリエ著)p104より転載致しました。 こんにちは、 レムリア・ルネッサンスのレイと申します。 私は学生の頃、家族の間に愛情が少なくなり、家庭が荒れた経験があります。 それは大切な家族が、精神をおかしくしてしまうほどのものでした。 当時は私も精一杯でしたが、今では年月も経ち、家族にも笑顔が戻ってきておりま す。 私はその後、実家を離れて以前よりも人口の多い町で暮らし始めました。 それまでは、家庭があのように荒れるのは滅多に無いことで、自分の経験したことは、誰にも分かってもらえないものだと、どこかそういう思いがありました。 しかし、新しい町に移りますと、夜に他の家々から男性の怒鳴り声や女性の気が高ぶった大声が聞こえてくる事がありました。 以前の自分の家庭を思い出し、とても他人事には思えませんでした。 何も出来ずにいてしまいましたが、少しかもしれませんが自分なりに、苦しい気持ちが分かる思いでした。そして、自分のところだけではなかったんだなと気付かされたのでした。 また、実際に他の家庭のぶつかり合うところも目にし、微力ながら止めに入ったこともありました。 その時に、自分の大切な家族を思う気持ちで対応することができたのではないかと思います。もし、自分に何の経験もなかったら、きっとそうはいかなかったと思います。 当時は自分の中で本当につらかった思い出も、他の方々の気持ちを少しでも分かることができたと思うと、とても有難い経験だったのだと思います。 また、他の家庭のそのような事情を目にし、ようやく自分の思い出だけに捕らわれなくもなりました...

感謝をすること

「愛というのは感謝であるということ。そのことに気づけない自分自身がいたのだということを深くわかったのであるのならば、今気づけた自分に対して、多くの者たちに対して感謝をし、そして今気づけない友人たち、同僚たちがいるといって、隣人たちがいたといって彼らを責めないこと。 なぜならば、昨日の、昔のあなた方であったではありませんか。そうでしょう。今あなた方は気づけた。でも彼らはまだ気づけない。でも以前あなた方は気づけなくて、同じように人を裁いていたかもしれないのですよ。であるのならば、彼らのことも赦してあげなさい。  『彼らもいつか気づき、神の懐に、神の子として戻って来られますように』と、心からの祈りをもち、あなたは神々に対して祈り、そして、自らやれるべきことをして、愛深く彼らが戻って、神のところに戻って来る日を待ち続けなさい。それが愛です」 (アモール) 以上、きれい・ねっとより出版された「スピリチュアルメッセージ集59 アモール」(アマーリエ著) P86~P87より転載致しました。 皆さま こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの なまる と申します。 今日は私の家の隣に住んでいる主婦のAさんのお話をしたいと思います。 16年前、私と主人はお義母さんの介護のため、主人の実家に引っ越してきました。 当時は慣れないお義母さんの介護や、新しい環境になかなかなじめず、辛く感じることが多くありました。その一つが、隣に住んでいるAさんご夫婦でした。私がAさんとお話することはほとんどなく、回覧板を渡す時ぐらいでした。けれど、初めてお会いした時から、何かととげとげしい口調で、私はよく叱られました。顔を合わすたびに怒られるので、私は回覧板を渡すことがとても怖くなってしまい、2週間ぐらい回せなかったことがありました。どうやら私が来る前から、主人やお義母さんと仲が悪く、ケンカをたびたびしていたようです。Aさんのことを主人に相談しても「ほっとけ」とAさんの悪口を言うばかりでした。ただ私は主人が言うほど、Aさんが悪い人のように思えませんでした。言い方はきついですが、私が間違っていることを注意してくれたり、町内のルールを教えて下さいました。でも、どうしたらAさんと仲良くできるのかわかりませんでした。 その時、アモールさまのメッセージと出会い、ハッとしました。どのような人であっても、感謝の気持ちを忘れな