仕事は愛を表現する場所

こんにちは、レムリア・ルネッサンスのレイです。 私の家の近くにおいしいコロッケ屋さんがあります。 約一年前に引っ越してきてから仕事が忙しくて二回くらいしか行ったことがありませんでしたが、もうすぐまた引っ越しをするので、離れる前にもう一度コロッケ屋さんに行きま した。 前に来た ときと同様に、一生懸命作られている姿が見えました。個人経営なのでしょうか、お店は広くはないのですが、暖かみを感じる店内です。 気さくに話しかけて下さり、引っ越す前にもう一度来たかったことをお話すると、とても喜んでくださいました。 注文する商品の一つ一つを大事に包んで下さり、品切れだったものにも、 出来る限り対応して下さいました。 ご自分のお仕事に誇りを持ってされていることがこちらにまで伝わってくるようで、買い物をしていてこちらまで嬉しくなりました。 今回のことで自分の反省もしていました。 サービス業で働いていましたが、自分はお客様の目から見て、どのように映っていたのか、お客様はどのような気持ちで帰られていたのだろうかと。 仕事をしながら時には心の中で、もう誰の顔も見たくないよと思っていたこともありました。 売り上げをあげたいとか、上司に怒られるからとか、仕事をしていてつい自分の事しか考えていないことがありました。しかし、その様なときはいつも幸せな気持ちなんてありませんでした。 本当に幸せを感じら れた時とい うのは、お客様の笑顔を拝見できたときです。喜んでいただけた時でした。 私たちが生まれてくる目的は愛を学ぶ為だとレムリア・ルネッサンスで教わりました。そして愛を学ぶというのは、愛を与えさせていただき、そこから一番愛を学ぶことができるということでした。 世の中には数多くの仕事があり、生計を立てる為にというのも勿論大切ですが、どのような職業に就いたとしても、周りの方の本当の幸せを考えながら仕事ができたら、お客様も、また働いてる側も幸せを感じられると思います。そして、それが仕事を通して感じられる本当の誇りとなってくるのだろうと思いました。...

両親のもとに生まれて

こんにちは。レムリア・ルネッサンスのミオです。  私は三人姉妹で、年頃になると父親から「誰かが家を継がないといけない」「婿をもらえ」「家を出たらだめだ」と言われていました。曾祖父の時代は資産家だったようですが、代が変わるにつれ、資産や継ぐべき仕事などはありませんでした。父は「姓」とそして自分の老後の心配をしていました。  父には娘の自由意思への配慮はありませんでした。家を継ぐかどうかは、その子どもが納得して選べばいいですが、子の自由意思に反して、強制的に人生が決められていくのは、子ども本人にとってとても苦しいものです。  子どもを育ててやった、だから親のいう事を聞き、面倒を見るのは当たり前、という気持ちで、子どもに見返りを求め、子どもの人生を親の自我自欲のための道具にしようとする父の姿からは、愛は感じらませんでした。  すべての子は神の子であり、永遠の魂を持ち、地上に愛を学ぶために生まれてきている、ということがわかれば、「子どもには子どもの自由意思があり、親子の縁で結ばれていても、魂としては別々である。その子の個性、才能が開花されますように、幸せになりますように」という気持ちで育てていけるようになると思います。  私の父も、母も、このような神理の知識はありませんでした。歴史や因習のなかで作られたルールの中で育ち、そして自分が受けたものを子どもにも同じように遵守させようとしたのでしょう。私たち姉妹は、それでは幸せにはなれませんでした。  私自身は、親からの純粋な愛を求め、人生に悲観し、なんのために生きているのかと悩み苦しんでいましたが、神理を知ることで、私は救われました。そして、私が両親を選んで生まれて来、だからこそ、神理にであえたことに感謝しています。特に父は私に人生について深く考えるきっかけを与えてくれたと思っています。そばにいるときは父の悪い面ばかりを見ていましたが、今は私をここまで育ててくれた父の愛情に感謝しています。  いま、私は子どもを育てる機会をいただいています。子どもの笑顔、成長が喜びであり、そして、将来どんな個性を輝かしていくのか、楽しみです。育児は綺麗事ばかりではありませんが、子どもに愛を持って、見返りを求めず、子どもの神性が花開くよう、愛ある家庭を築いていきたいと思います。  そして、私が神理を知って救われたように、世の中で悩んだり、苦しんだりし

子どもの成長を見守ること

皆さま こんにちは レムリア・ルネッサンスのなまるです。 私には息子が二人いますが、今日は現在、6歳になる次男についてお話をさせていただきます。 次男は赤ちゃんの時から発達がゆっくりで、歩くのも、言葉を話すのも、他の子どもたちよりも遅い子でした。 私は神理を学んで、私たちは神さまより作られた神の子であり、一人ひとりかけがえのない個性を与えられていると知りました。他のお子さんと比べて、自分の子の成長が遅いからといって、裁いてはいけないと学びました。 だから、次男の成長がゆっくりでも見守っていこうと思っていたのです。 ところが、主人が次男の様子を見ていて「この子はこのままでいいのか。年齢の割に幼すぎるぞ。きちんとしつけをしないといけないんじゃないのか」と何度か話してきて、私は動揺して、焦ってしまいました。今まで学んだ神理のことはどこかにいってしまいました。慌てて、幼稚園の先生に相談したり、ネットで調べたりしました。そして、長男と比べて、次男の不器用なところを心配したり、幼稚園でみんなと一緒にできないところを注意するようになってしまったのです。 ある日、次男が幼稚園に行く準備をしていて、ブラウスのボタンを思い通りにとめることができず、ぐずぐずし始めました。そして、とうとう「できない」とやめてしまいました。私が「いつもできてるじゃない」と声をかけると「できない、できない!」と言い出し、泣いてしまいました。「幼稚園のはじまりのお歌も上手に歌えない」「言葉がわからない」などと、今まで悲しかったことを、泣きながら話しはじめました。 「どうして幼稚園のお歌を歌えないの?」と言うのは、私が以前、次男に聞いてしまったことでした。次男の成長がゆっくりでも、見守っていこうと思っていたのに、いつの間にか長男と比べたり、他の子と比べて、できないことを責めて、次男の心を傷つけてしまっていたことに気がつきました。 私は自分の思いを反省して、次男に心の中で謝りました。そして、「大丈夫、大丈夫だよ」と次男を抱きしめました。「ほら、服も一人で着られるようになったじゃない。前はできなかったのに。すごいよ」と言って、「お歌もママと一緒に歌おう。そうしたら歌えるよ」と歌いだすと、次男の機嫌も良くなり、元気に幼稚園に行きました。 神理を学んでいても、頭でわかっていただけで、腑に落ちていなかったと痛感しました。次

未来の子どもたちのために

みなさまこんにちは。 レムリアルネッサンスのことりです。 先日ふとしたきっかけで「ちいちゃんのかげおくり」という絵本を読みました。 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、 この物語は小学校の国語の教科書に長く掲載されている、戦争児童文学です。 私も小学生の時に学習しました。 私の記憶の中では、幼いちいちゃんとその家族が、記念写真を撮る代わりにかげおくりという遊びをする、というほのぼのとした印象だったのですが、 実際は、お父さんは戦地へ赴き、残されたお母さんとお兄ちゃん、そしてちいちゃんは戦火の中で、それぞれ命を失うという、とても悲しいお話でした。 特にちいちゃんは、お母さんとも離ればなれになってしまい、最期は一人で、焼け落ちた家で家族を待ちながら天へ旅立ちました。 改めてこのお話を読んだ時、涙がぽろぽろとこぼれました。 こんな風に孤独と不安の中で短い命を終えなければならないなんで、なんて悲しいことなんだろう。そんな子ども達が少しでもいなくなりますように…。 そう願わずにはいられませんでした。 この物語はフィクションですが、戦時中はちいちゃんのような子ども達がたくさんいたのだと思います。 そして今も、世界のいたる所で起きている争いの中で、ちいちゃんのような子ども達はたくさんいるのだと思います。 そう思うと胸が締め付けられるような気持ちがして、自分にも何か出来ることはないだろうか、と思います。 私は幼い子どもを持つごく普通の主婦で、世界を変えるような特別なことはできないかもしれません。 でも、もしそんな私にでも出来ることがあるとすれば、それは日々平和に家族揃って暮らしていられることに感謝することと、 子どもに、「どんな人も神から愛されている神の子で、みんな同じ地球という星に住む家族なんだよ」と、「地球に感謝しながら、みんなで愛し合って生きようね」と伝えることだと思います。 多くのお母さん方が、子どもたちにそう伝えることで、未来の地球は少しずつ変わっていくのだと思います。...