幸せな家庭を築くために

夫婦としての愛の学び

恋愛で始まり結婚愛に至るように、互いにいいところも悪いところも受け合い、認め合って、その中で、お互いの素晴らしい神性を育み合っていく。 絶え間なく続いていく、終わりなき愛の始まりというものが、今度は愛の中にはあるのです。 愛というのは、静かなものかもしれません。 情熱的なものではないかもしれません。 でも、その中で、お互い育て合っていくという思い、その愛の循環、男女の結びつき、生かし合い、そのことを学ぶ。 それがある意味でいうと、男女にとって、いちばん必要なメインイベントのところであるのです。 玉依媛命 「アマテラスの祈り」(2007年7月12日)より

幸福感の原点は家庭にある

なにかしらのトラウマが発生し、 自分は結婚などしたくないとか、やれ男性によって泣かされたくないとか、あとは女性なぞは怖いとか、 そのようなことを自分の心に焼きつけ、そして離婚が多くなっていけばいくほど、また次の世代における離婚というのが発生しやすくなってくる、多発していくということが、またあるのです。 社会を崩壊させるのに、武力も、原爆や水爆などというものはいらないと私は思うのです。 家庭を壊していったのなら、人類はいつか滅びてしまうのです。 それくらい根源的な幸福感の原点にあるのが家庭であると思うのです。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命 」(2005年7月28日)より

女性が幸せになる道

現代の女性たちよ。 自分を、自ら男性と競うことで、自らの美しい宝を捨てることをやめていただきたい。 女性が女性として、優美に美しく、そして謙虚に清らかに、貞淑に生きているということが、けっして自らを自立させず、自分自らの才能を開花させない道ではないのだということ。 そしてそれこそが、あなた方が本来幸せになっていく道であるということ。 この道を見つけない限り、あなた方は永遠に幸せにはなれないということ。 神様がおつくりになった女性霊に対する摂理というものを、その愛の摂理というものを抜きにして、女性も男性も幸せにはなれないのです。 家庭の中において、殿方を幸せにするのが女性自らの愛であるということ。 そして殿方に、その愛により愛されたとき、あなた方のいちばん幸せになれる瞬間があるということ。 そのことを理解なさり、あなた方が努力なさっておられる自己研さんは尊いけれども、道を間違っているのだと、努力の方向を間違っているのだと、今一度本来の女性の道に帰って来ていただきたいのであると、私は現代の女性たちにお願いをしたくて今日まいりました。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命 」(2005年7月28日)より

夫婦はかけがえのないパートナー

苦しいことがあるから成長があるのです。 夫婦の間においても幾度もくじけそうになることがあるでしょう。 信じ切れないで価値感が違うことがあるでしょう。 でも、自分にとっていちばん成長しなければいけないものを持っている、かけがえのない相手だからこそ、あなたの結婚相手として、自分も相手も今、目の前に存在していてくれるという、その感謝をあなた方は持たなくてはいけません。 今、相手との関係が苦しいから、「ここを抜け出て、ほかの相手と一緒になったら、もっと自分は幸せになれる」と思うなどは、愚の骨頂であるということ。愚かしさの限りであるということ。 言葉はきついかもしれませんが、私はそう言わせていただきたい。 今の段階において学ぶべきことがある、いちばん大きなことを与えてくれる相手であるからこそ、今自分たちはともに結婚という、神の前に永遠の愛を誓って夫婦となったということ。 「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より

家庭は魂を磨く場所

女性が一人で生きていく、男性が一人で生きていくというよりは、やはり愛し合う男女が一緒になり、ともに助け合い、神様のご加護のもとで、互いに協力し合って、ひとつの家庭というものを通して、そこに愛というものを実現していく。 愛というものを社会に表現していく。 そして、自分たちの魂を磨く場として家庭というものを授かるということ。 結婚愛というものが、いかに美しいかということ。 それを私は心を込めて力説したいと思います。 「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より

結婚を通して愛を学ぶ

いかなる相手であれども、一度自分が結婚して、神より与えられたパートナーであるのならば、その方を心から愛し、その方のためにともに尽くし合い、二人で愛というものをこの地上に花咲かすために実現させる場として、結婚愛というのは実に素晴らしい、ともに魂を修行し、愛を表現する場としてはかけがえのない貴重な場として、わたくしは神がおつくりになられたのであると、わたくしはそのように思います。 「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より

夫に心からの愛と激励と励ましを

男性というのは、ある意味で子どものようなところがあるのです。 だから、ひじょうに誇りが高いけれども、女性にくさされると、あっという間に縮んで、だめになってしまうというところも持っております。 その時に、「さあ、あなた。素晴らしいお力を持っているのですよ。頑張ってください」と、心から愛と激励と励ましを、もしその方に、ご自分のご主人様たちに捧げたのならば、その男性は世界中の富や地位や名誉をもらうよりも、その自分を励ましてくれる妻のために、命がけに自分が社会に出て頑張って来ようと奮い立つのではないでしょうか。 それが殿方であられるように思うのです。 そして、その頑張る姿を見て喜ぶ、それが女性の喜びであり、幸福であると、幸せであるということ。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命 」(2005年7月28日)より

男性の才能を開花させる

女性の内助の功があってこそ、男性の仕事というのがどれだけ開花するかということが問われるのです。 女性が自己実現をいったのならば、男性としての夫の仕事意欲、仕事が開花する才能もそのままつぶしてしまうのです。 男性は女性の、愛する妻の温かい励まし、そして、時には温かく包むユーモア、そのようなものを通して、男性は百人力のような勇気を得て、愛する者を守るために自分自身の個性を開花させ、天命を全うして社会に立ち向かっていくものなのです。 多くの敵がいても、その者のためになら頑張れるのが男性であるのです。 「スピリチュアルメッセージ集60 日向 」(2005年8月2日)より

夫を立てて尊敬する

自分自体が夫にちゃんと心から尽くし、心からの感謝を持っていない者に、なぜ子どもたちに対して、そのようなお父さんを父親として尊敬しなさいという言葉が通じることでしょうか。 まず女性たちが、妻たちが、夫に対して夫を立てて、やはり夫につき従っていこうという、その謙虚さをもって尊敬していたのだったら、子どもたちは自ずと小さい頃からそういうふうに育ち、父親というものに対して、やはり敬意というものが、尊敬というものをしっかり、男の立派な像として刻んで育つのです。 「スピリチュアルメッセージ集60 日向 」(2005年8月2日)より

家庭は安らぎの場

女性がお皿を洗うから、男性も洗わなくてはいけない。 女性がおむつを取り替えるから、殿方に対してもおむつを取り替えなければ、あなたはいけないと、そのような見解が広げられているのが、アメリカ文化の、今流れをくんだ現代の若いカップルに多いのです。 それを見ていて、疲れて帰って来た男性たちに、ガミガミとそのようなことを言ったときに、男性がほんとうの意味で、男性の仕事としてのエネルギーを蓄えられるか。 家庭というものは安らぎの場でございます。 安らぎの場に争いを持ち込んでしまっている現代の女性たちの姿があるのです。 男性は、憩いたくて、安らぎたくて、愛のよりどころを得たくて家庭に戻って来るのです。 その中で、自分を安らがせてくれる女性がいないで、逆に言うと、自分と同等意識の、また男勝りした女性がいるという中において、今の若い男性たちはそこに安らぎを見つけられなくなっているのです。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命 」(2005年7月28日)より

疲れた夫を癒すのは妻の役割

家庭というものにおきまして、殿方は外で戦い疲れて帰って来るのです。 そのときに女性が家庭というものを守り、愛の園にしていくには、やはり女性というものが、家庭を預かる責任というのが大きいのであると思うのです。 男性が戦い疲れ、イライラとして帰って来たときに、それを忘れさせるような妻のにこやかな微笑みと、愛ある思いやりと、心づくしの料理が並んでいたのならば、男性たちはけっしてその家庭を崩壊させようなどと思わないでしょう。  「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命」(2005年7月28日)より

夫婦が家庭の基本

夫婦がまず仲良く、いたわり合って、愛し合っていく姿の中に、尊敬し合って、お互いに立て合っていく姿の中に、 役割分担を尊ぶ姿の中に、家庭の基本はあるのです。 そこに次の段階として子どもが授かってくるのです。 子どものために親の人生があるのではありません。 親たちの人生の延長上に、子どもたちが授かっていくのです。そして子どもたちは、時が過ぎれば成長し、羽ばたいていく。そしてまた、夫婦男女ペアの原点に戻ってくるということです。 老後の自分たちのことを、いたずらに子どもたちに面倒を見させるために縛ってはなりません。 夫婦でいたわり合うのです。 その時こそ、数十年の夫婦愛が何であったのかということを、再度問われるのです。 「スピリチュアルメッセージ集60 日向 」(2005年8月2日)より