出産の痛み、性の悦び、すべて深い意味がある

出産におきましても、男女の出会いにおきましても、すべて神のご意志に組み込まれた中にあります。

出産による痛みも、もし安易に産んでしまったのならば、どうでしょう。今でもあれだけ痛い思いをして十月十日抱えて産むにもかかわらず、子どもを平気で捨てていき、殺してしまう母親たちが、今います。
あの痛みがなかったなら、もっともっと安易に子どもを産んで、イヌ・ネコのように産み捨てることでしょう。
あの痛みにも意味があるのです。

そして性的な悦びの中においても、悦びがあることを通して、あなた方は子どもを産んで、お互いの愛を深め合いなさいという、神のご意志によってあの悦びがあるのです。

すべての感情、すべての肉体の反応、それは神のご意志のもとに、わたしたちに対する、ある意味でのエール、声援であるということ。深い意味があるということ。
だから答えは、すべて自分の内にあるということです。答えはみんな埋め込まれているということです。

 玉依媛命 「アマテラスの祈り」(2007年7月12日)より