親子としての絆
昔の母親はすごかったのです。強かったのです。
なりふりかまわず子どもとぶつかっていったのです。
怖いときは、お母さん怖かったのです。
そしてもっと、それで聞かなければ、出て来て最後に怖いのはお父さんだったのです。
お父さんはいつもいつも怖いのではありません。
お父さんは黙って後ろで控えていればいいのです。
お母さんが一生懸命なりふりかまわず言うときに、たとえ母親にぶたれたとしても、何されたとしても、ほんとうの意味で自分をだめにしないために、この母親は命がけでぶつかってきてくれるのだと、愛されているのだという実感さえあれば、子どもは悪くなりません。
手を上げたから悪くなるのでないのです。
手を上げたからといって子どもが急に悪くなるとしたら、それまでにしっかりと親子としての絆を築き、ちゃんと小さいときから、ぶつべきお尻とかをぶってこなかった。
体当たりで正面からぶつかってこなかった。親が逃げていた。
そのようなことに対する子どもたちの怒りがあるのです。
自分をほんとうに良くするために怒ってくれる、叱ってくれることを、子どもたちは無意識に喜ぶのです。
「スピリチュアルメッセージ集60 日向」(2005年8月2日)より