離婚 についてのスピリチュアルメッセージ

 

  1. 結婚生活に感謝して
  2. 離婚に罪悪感を持たないで
  3. 結婚という形だけにとらわれないで
  4. 形だけの結婚より、子どもの幸せを
  5. いつわりの愛から真実の愛へ
  6. 真実の愛で結ばれていたなら
  7. 愛するということは相手の幸せを願うこと
  8. 本当の意味で愛で輝いているか
  9. その人生の中でどれだけ愛を学べるか
  10. もう一度、母性愛で包んであげて
  11. 投げ出さないこと

1. 結婚生活に感謝して

夫婦で一緒にいても、ことばが通じない、心がかよわないのは寂しいものです。
(略)

でも、もしも夫婦生活に終止符が打たれたとしても、あとから良かったと思える日がきます。
ありのままの自分で新たに生きるときがくるのです。
そのときに夫婦生活を通して学んだこと、実際に喜んだり悲しんだり苦しんだ経験が、人々を励ましたり、癒したりする、幸せを届けていく力となっていきます。
その時には、結婚生活も無駄なことはなかったんだと、そのことに感謝できるようになるでしょう。

アマーリエ

2. 離婚に罪悪感を持たないで

結婚相手との間で本当にまだ学ぶ課題があるときは、別れたくてもしがらみで別れられないようになっています。
ある時期が来たときにスパッときれいに別れられるときがくるのです。
そのときが、互いが学ぶべき課題が終わったのだと、互いに祝福し合い、別の方向に成長するために進めばいいのだと思うことです。
離婚に対して、何ら罪悪感を持つことはありません。

アマーリエ

3. 結婚という形だけにとらわれないで

結婚という制度で「わたしは妻よ」といって、何十年も別居してるのに、死ぬときだけ夫の骨を拾い、愛人を見返してやろうとして、意地で離婚しないという人がいます。でも、それで本当に幸せでしょうか。離婚しないことが美徳なのでしょうか。

逆に一生懸命その男性に尽くした女性のほうが、「入籍も求めず財産もいらない」と、「一緒にいられればいい」という思いで相手を世話している女性がいとおしいから、男性もそういう愛人のところにいくのだと思います。

一概に「結婚をしてればいい」とか、「離婚は悪」だということに捉われ、「自分たちが正しい」とか「間違っている」というのは、これからの時代では未熟な判断となるかもしれません。今は形だけの時代だからです。

アマーリエ

4. 形だけの結婚より、子どもの幸せを

両親の不仲を見て育つ子供は心に毒をまき、男女の結婚生活に対する絶望感を味わってしまいます。
どうしても結婚相手と信頼関係を築けないと思うときには、穏便に結婚を解消して、子供とともに一生懸命生きる姿を真摯に見せるほうが、子供にとっていいということも多くあるのです。
子供のために別れないというのは一見すごく美しいようにも思えますが、本当に愛を持って、子供を守って生きられるなら、形は関係ありません。形だけがあっても夫婦が口もきかないならば、経済的には安定しているかもしれませんが、子供は深く傷ついていくのです。

アマーリエ

5. いつわりの愛から真実の愛へ

中身の愛があって形になるのです。
外側でつくろったり、外側で守られる、いつわりの愛が守られる時代は終わりを告げていきます。
内側にある本当に真実の男女の愛、親子の愛、そういうものがあったら、形というのはおのずと出来てきます。形から入ろうとしないことです。

むき出しの愛、純化された愛というものが、神の子としての愛のエネルギーの中での、最高の勲章になっていくのです。
それ以外の不純なものというのは、認められない時代になっていきます。
女性たちもそれをふまえてしっかりしましょう。

アマーリエ

6. 真実の愛で結ばれていたなら

浮気をするというのは、神の子としての意識に目覚めていない姿です。
浮気をしてしまうのは、夫婦の間に隙間があるということです。ほんとうの真実の愛で結ばれていたら、そんなことにならないはずです。お互いの心に隙があるということがいちばんの問題なのです。

同時に、今の文明自体が動物性というのが抜けない肉食の文化なので、男性は本能の中でたくさん精子を埋め込んで自分の種族をひとりでも残そうとか、そういう動物性の野生的な支配から逃れられず、頭やハートで善悪がわかっているのと、下半身は別というところがあります。(中略)
地球というのは、まだそのような段階の未熟な星なのです。
そして、そういう地球の男性の現状をふまえた上で、ご主人を赦せるかどうか。そういうことも含めて、考えていただければと思うのです。もしその浮気が夫にとって本気だったら、別れることもあるかもしれません。そうではなく動物的な本能で一時だけ浮気してしまったのなら、そしてご主人も反省され、家庭を壊したいとは思っておられないなら、赦してあげてはいかがでしょうか。
相手が自分をハートで大事にして、愛しているという気持ちがあるなら、そこは赦してあげたらいいのではないかと思うのです。

アマーリエ

7. 愛するということは相手の幸せを願うこと

離婚しないで添い遂げるのが必ずしもいいというわけではなく、互いに学びが終わったら、気持ちよく相手を放すことも、互いの成長のために必要です。
地球はまだ本当の意味でベストパートナーと出会うところではないので、今世の夫と過去世の夫が違うこともあります。今世の学びのために出会い、一緒になるという課題が終わったら、来世は別の人と一緒になるということがあります。

相手を本当に愛しているなら、多少つらくても手を離してあげる愛もあることを学んでほしいと思います。
愛するということは相手の幸せを願うということ。
それをしがみついてしまうと執着や未練になり、魂を縛り合い、互いが苦しくなって愛も死んでしまいます。手を離す勇気をもって、学びが終わったら感謝とともに気持ちよく別れていくことです。魂の上で友人であるということは変わらないのですから。

アマーリエ

8. 本当の意味で愛で輝いているか

一度きりの人生においてどれだけの学びをしていくか。それが何より大切なことです。
その中において、離婚という決断もあるでしょうし、夫と共に生きていく決断もあるでしょう。どちらを選択するかは自由意志です。
どのように学び、どれだけ真剣に関わり合いたいかということなのですから、どちらも悪ではありません。
どちらを選んだとしても自分を責めないでほしいと思うのです。
形だけに守られて、形だけでいい人になる必要はありません。
神様から見たら、ほんとうの意味で愛で輝いているかというのは一目瞭然なのですから。

人生が愛に輝いていれば、すべての人生が素晴らしくて尊いのです。
人の数だけ、人生の数だけ、愛があり、素晴らしさがあるのです。

アマーリエ

9. その人生の中でどれだけ愛を学べるか

結婚というものは、様々なことを諦めずに、愛する人と2人で乗り越えていくその過程が学びであり、それを教えてくれるのが結婚愛だというのも大切なことです。それをまだ知らず、こらえ性を持たなければならない段階で、簡単に別れてしまう人もいます。

一方、いろいろな角度からのものの見方があるということを知ることも大事です。そこを理解しないと、一度結婚したら、絶対に別れてはならないといって互いに縛り合うことになります。学びが終わったから、この結婚は卒業した方が残りの人生を無駄にしないでいいという場合もあるのです。

一番大切なことは、その人生の中で何を学び取るかということです。愛を学びとることがどれだけ出来るかということが大事なのです。それぞれのシチュエーションの中で互いに愛を学び取ることが出来たと思うなら、自分たちの自由意志で別れを選択してもいいのです。しかしその関係性の中で、まだ愛を学び取ることが十分可能である場合は、与えられたシチュエーションを投げ出さずにがんばってほしいと思います。

アマーリエ

10. もう一度、母性愛で包んであげて

世の中に離婚がこんなに多いのは、どうしてでしょうか。

男性という性に対して、女性という母性愛で包んであげられない。
男性が仕事をやりたいと思うことに対して、無償の姿で受け入れてあげられない。ご主人をあるべき姿に開花させていくお手伝いをすることに、女性たちはとても不器用であり、嫌気がさしているのかもしれません。

でも、もう一度、男性たちや子供たちに対して「神から与えられた、あなたの神性が、どうか開花なさいますように」「あなたの天職が、天命が、開花されますように」という祈りをもって、接したのならば、ご主人様も子どもたちも、どんどん変わっていかれることでしょう。

女性の法シリーズ1 アマーリエ講演録「母性の時代へ」(2007年5月19日)より

11. 投げ出さないこと

親子という関係を通して、まあ、夫婦というのは血がつながっていないので、今は安易に離婚というのができましょう。

でも、親子はどうでしょうか。自分の血を分けた子です。
父親にとっても、母親にとっても、自分の血を分けた子ではありませんか。

そうするしがらみのなかで、たとえ投げ出してしまいたいと思うことでも、必死に人間は留まって、何とかその関係を通して成長し、折り合いをつけてうまくやっていこうとするのです。やろうとする、その投げ出さないということを通して、魂は成長し合うのです。高め合うのです。

でも、夫婦というものは血がつながっていないということで、あなた方の時代では安易に解消してしまうことが多い。それはひじょうにもったいないことです。
夫婦が、ともに男女が成長し合うことをもって、あなた方が今、魂の学びにするための今回の転生であるのならば、今回の結婚というものをひじょうに感謝するということ。

「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より