性行為 出産 中絶 についてのスピリチュアルメッセージ
- 自分の体を大事にして
- 子を産む宮を穢してはいけない
- 神の与えた悦びの中で愛を育む
- 出産の痛み、性の悦び、すべて深い意味がある
- 子どもとの縁は自ら計画してきた事
- なぜ性の悦びがあるか
- 約束を信じて宿ってくる我が子
- 堕胎との関わり合いは、それぞれの認識と自由意志
- 10代の女性への教育
- 堕胎で自分を責めすぎないで
1. 自分の体を大事にして
女性の本来の神性に、母性があるということを考えないといけないでしょう。
子宮は「子どもの宮」であり、自分の身体は命を預かり、宇宙の創造原理を再現する神性な神殿であるということ。
そのために、愛をもって、宇宙の創造原理を、陰陽合体で行なわれる、その神殿であるということを、ちゃんと女性たちがわかったならば、お金のために自分の身体を汚すなどということはしないでしょう。
愛によって結びついたのならば、汚れません。
でも、お金や気分でやると、血液とかのエネルギーも淀んできます。
そうすると不妊の原因になったりします。ある一定以上の男性を受け入れると、身体の方が、子どもを宿す機能を否定してしまうということもあります。
そういう意味でも、自分の身体を大事にすることを教えなければならないでしょう。
アマーリエ
2. 子を産む宮を穢してはいけない
その身をお金で簡単に売ってしまう若い女性たちの姿を見て、私たちは悲しくて悲しくてたまらないのです。
女性の貞淑さというものは、何にも勝る宝でございます。
それは、神より与えられた子を産む宮として、子を授かるものとして、神より与えられた宮として、その美しさ、清楚さ、貞淑さというものが刻印されているところなのです。
そこをお金のために売ってしまうような、穢れてしまうような道を自ら選び取ってはなりません。
お金なぞのために、女性の品位を穢すようなことをしては、けっしてしてはいけないのです。
「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命」(2005年7月28日)より
3. 神の与えた悦びの中で愛を育む
子どもをつくることが苦痛なことであるだけであるのならば、神の子たちは、子どもを産まなくなることでしょう。
それと同じで、愛というものがただひたすらに、自分を押さえ、忍耐の中で育むことだけであると思ったのならば、人々は絶望してしまうかもしれない。
そのために、神は人々に恋という魔法を、そして性行為という悦びを与えて、その中で愛というものを育んでいきなさいと、その使命を明らかにしていきなさいと、それを肉体の中においても、神様は埋め込んでおかれた。
そういうのが、愛というものの実体にあるということです。
玉依媛命 「アマテラスの祈り」(2007年7月12日)より
4. 出産の痛み、性の悦び、すべて深い意味がある
出産におきましても、男女の出会いにおきましても、すべて神のご意志に組み込まれた中にあります。
出産による痛みも、もし安易に産んでしまったのならば、どうでしょう。今でもあれだけ痛い思いをして十月十日抱えて産むにもかかわらず、子どもを平気で捨てていき、殺してしまう母親たちが、今います。
あの痛みがなかったなら、もっともっと安易に子どもを産んで、イヌ・ネコのように産み捨てることでしょう。
あの痛みにも意味があるのです。
そして性的な悦びの中においても、悦びがあることを通して、あなた方は子どもを産んで、お互いの愛を深め合いなさいという、神のご意志によってあの悦びがあるのです。
すべての感情、すべての肉体の反応、それは神のご意志のもとに、わたしたちに対する、ある意味でのエール、声援であるということ。深い意味があるということ。
だから答えは、すべて自分の内にあるということです。答えはみんな埋め込まれているということです。
玉依媛命 「アマテラスの祈り」(2007年7月12日)より
5. 子どもとの縁は自ら計画してきた事
それぞれの魂が、それぞれの環境の中で最大限に発揮して、修行ができるように、そのために結婚のパートナーにおいても、子どもたちの性別においても、どういう魂を自分の子どもとして生まれて来るかということも、全部が決まっているということなのです。(中略)
生まれてくる前に、すでにあなた方の個人の自由意思によって選択し、計画されてきた人生であるということ。(中略)
ですから、一人とてお腹にできた子を堕ろしていいということはありません。
大事な大事な、お約束した、かわいいかわいいわが子です。
その子どもたちは、その親との約束を信じて宿って来るのです。
その子どもを殺していい理由がどこにありましょうか。
そのことをあなた方は、もっと現代の女性たちは、わかっていただきたいのです。
「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より
6. なぜ性の悦びがあるか
なぜそこに悦びがあるか、そういう性行為による悦びがあるか。
そこにちゃんと男女が惹きつけ合い、悦び合い、求め合い、そしてそこに最後結ばれていったときに、次なる創造原理が働いていく。
そこにこそ最も重大な使命があるがゆえに、男女は出会っているんだよと、悦びがあるんだよと。
肝心要なところにはちゃんと悦びというものを、神はおつくりになり、埋め込まれているということなのです。
そういうことを口にするということは、恥ずかしいことと思われるかもしれないけれども、自分の女性性というもの、女性の心と体というものを、トータルに自分自身で受け止め、人類は昇華していかなくてはいけません。
そしてその中において、新たな男性との結びつきをしていく。
とてもシンプルなことであるということです。
玉依媛命 「アマテラスの祈り」(2007年7月12日)より
7. 約束を信じて宿ってくる我が子
約束があって、自分を信じて、信頼して出て来る者の命を絶つことができるのか、あなた方は、と。
物質ではない、単に物体としてあるのではなく、命の宿った神の子ですよと。
それも、あなたと特に縁生が強く、あなたに子どもとして受け止め合いましょうと、ともに生きましょうと、ともに修行しましょうと言い合って、約束を交わして出て来た我が子ですよ。
それをあなた方は殺せるのですかと。
わたくしは現代、中絶をする女性たちには問いかけたいのです。
あまりにも自己の幸せをエゴイスティックに求めるがゆえに、自分の人生というものを、愛というものを学ぶ過程として、この地上の修行場があるということ、肉体修行があるという、そのような視点をあなた方は見失ってはいけないと思うのです。
「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より
8. 堕胎との関わり合いは、それぞれの認識と自由意志
罪悪感を持ちすぎる場合もあれば、まったく罪悪感がなく平気で堕胎を繰り返す人もいます。
どちらの場合も人生の中でその問題とどのように関わり合い、自分の価値観として生きていくかということですね。
魂は永遠で、人間は神の子で、天上界で約束をして子どもの魂はでてくるのだということが理解されていれば、堕胎をするときにどのような気持ちとなり、どう責任を取るかは各自に任されていることですから、こちらから答えを出すべきではなく、それぞれの認識と自由意志で生きていくべきなのです。
アマーリエ
9. 10代の女性への教育
10代のうちから妊娠中絶を繰り返す子どもたちには、自分自身の身体を汚し傷つけているということ、女性の子宮は神殿であり、子どもの宮であると教えていくことも大事です。
また、悪ではなく無知なだけという場合もありますから、周りの社会的な責任というのもあります。
アマーリエ
10. 堕胎で自分を責めすぎないで
今は子どもを堕すその悲しさや苦しさを女性は抱えています。
すべての責任を女性に振り、女性が悪いといわれがちですが、一番苦しいのは女性なのです。
だから、あまり自分を責めすぎないでほしいと思います。
アマーリエ