スタッフブログ

両親のもとに生まれて

こんにちは。レムリア・ルネッサンスのミオです。  私は三人姉妹で、年頃になると父親から「誰かが家を継がないといけない」「婿をもらえ」「家を出たらだめだ」と言われていました。曾祖父の時代は資産家だったようですが、代が変わるにつれ、資産や継ぐべき仕事などはありませんでした。父は「姓」とそして自分の老後の心配をしていました。  父には娘の自由意思への配慮はありませんでした。家を継ぐかどうかは、その子どもが納得して選べばいいですが、子の自由意思に反して、強制的に人生が決められていくのは、子ども本人にとってとても苦しいものです。  子どもを育ててやった、だから親のいう事を聞き、面倒を見るのは当たり前、という気持ちで、子どもに見返りを求め、子どもの人生を親の自我自欲のための道具にしようとする父の姿からは、愛は感じらませんでした。  すべての子は神の子であり、永遠の魂を持ち、地上に愛を学ぶために生まれてきている、ということがわかれば、「子どもには子どもの自由意思があり、親子の縁で結ばれていても、魂としては別々である。その子の個性、才能が開花されますように、幸せになりますように」という気持ちで育てていけるようになると思います。  私の父も、母も、このような神理の知識はありませんでした。歴史や因習のなかで作られたルールの中で育ち、そして自分が受けたものを子どもにも同じように遵守させようとしたのでしょう。私たち姉妹は、それでは幸せにはなれませんでした。  私自身は、親からの純粋な愛を求め、人生に悲観し、なんのために生きているのかと悩み苦しんでいましたが、神理を知ることで、私は救われました。そして、私が両親を選んで生まれて来、だからこそ、神理にであえたことに感謝しています。特に父は私に人生について深く考えるきっかけを与えてくれたと思っています。そばにいるときは父の悪い面ばかりを見ていましたが、今は私をここまで育ててくれた父の愛情に感謝しています。  いま、私は子どもを育てる機会をいただいています。子どもの笑顔、成長が喜びであり、そして、将来どんな個性を輝かしていくのか、楽しみです。育児は綺麗事ばかりではありませんが、子どもに愛を持って、見返りを求めず、子どもの神性が花開くよう、愛ある家庭を築いていきたいと思います。  そして、私が神理を知って救われたように、世の中で悩んだり、苦しんだりし

子どもの成長を見守ること

皆さま こんにちは レムリア・ルネッサンスのなまるです。 私には息子が二人いますが、今日は現在、6歳になる次男についてお話をさせていただきます。 次男は赤ちゃんの時から発達がゆっくりで、歩くのも、言葉を話すのも、他の子どもたちよりも遅い子でした。 私は神理を学んで、私たちは神さまより作られた神の子であり、一人ひとりかけがえのない個性を与えられていると知りました。他のお子さんと比べて、自分の子の成長が遅いからといって、裁いてはいけないと学びました。 だから、次男の成長がゆっくりでも見守っていこうと思っていたのです。 ところが、主人が次男の様子を見ていて「この子はこのままでいいのか。年齢の割に幼すぎるぞ。きちんとしつけをしないといけないんじゃないのか」と何度か話してきて、私は動揺して、焦ってしまいました。今まで学んだ神理のことはどこかにいってしまいました。慌てて、幼稚園の先生に相談したり、ネットで調べたりしました。そして、長男と比べて、次男の不器用なところを心配したり、幼稚園でみんなと一緒にできないところを注意するようになってしまったのです。 ある日、次男が幼稚園に行く準備をしていて、ブラウスのボタンを思い通りにとめることができず、ぐずぐずし始めました。そして、とうとう「できない」とやめてしまいました。私が「いつもできてるじゃない」と声をかけると「できない、できない!」と言い出し、泣いてしまいました。「幼稚園のはじまりのお歌も上手に歌えない」「言葉がわからない」などと、今まで悲しかったことを、泣きながら話しはじめました。 「どうして幼稚園のお歌を歌えないの?」と言うのは、私が以前、次男に聞いてしまったことでした。次男の成長がゆっくりでも、見守っていこうと思っていたのに、いつの間にか長男と比べたり、他の子と比べて、できないことを責めて、次男の心を傷つけてしまっていたことに気がつきました。 私は自分の思いを反省して、次男に心の中で謝りました。そして、「大丈夫、大丈夫だよ」と次男を抱きしめました。「ほら、服も一人で着られるようになったじゃない。前はできなかったのに。すごいよ」と言って、「お歌もママと一緒に歌おう。そうしたら歌えるよ」と歌いだすと、次男の機嫌も良くなり、元気に幼稚園に行きました。 神理を学んでいても、頭でわかっていただけで、腑に落ちていなかったと痛感しました。次

未来の子どもたちのために

みなさまこんにちは。 レムリアルネッサンスのことりです。 先日ふとしたきっかけで「ちいちゃんのかげおくり」という絵本を読みました。 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、 この物語は小学校の国語の教科書に長く掲載されている、戦争児童文学です。 私も小学生の時に学習しました。 私の記憶の中では、幼いちいちゃんとその家族が、記念写真を撮る代わりにかげおくりという遊びをする、というほのぼのとした印象だったのですが、 実際は、お父さんは戦地へ赴き、残されたお母さんとお兄ちゃん、そしてちいちゃんは戦火の中で、それぞれ命を失うという、とても悲しいお話でした。 特にちいちゃんは、お母さんとも離ればなれになってしまい、最期は一人で、焼け落ちた家で家族を待ちながら天へ旅立ちました。 改めてこのお話を読んだ時、涙がぽろぽろとこぼれました。 こんな風に孤独と不安の中で短い命を終えなければならないなんで、なんて悲しいことなんだろう。そんな子ども達が少しでもいなくなりますように…。 そう願わずにはいられませんでした。 この物語はフィクションですが、戦時中はちいちゃんのような子ども達がたくさんいたのだと思います。 そして今も、世界のいたる所で起きている争いの中で、ちいちゃんのような子ども達はたくさんいるのだと思います。 そう思うと胸が締め付けられるような気持ちがして、自分にも何か出来ることはないだろうか、と思います。 私は幼い子どもを持つごく普通の主婦で、世界を変えるような特別なことはできないかもしれません。 でも、もしそんな私にでも出来ることがあるとすれば、それは日々平和に家族揃って暮らしていられることに感謝することと、 子どもに、「どんな人も神から愛されている神の子で、みんな同じ地球という星に住む家族なんだよ」と、「地球に感謝しながら、みんなで愛し合って生きようね」と伝えることだと思います。 多くのお母さん方が、子どもたちにそう伝えることで、未来の地球は少しずつ変わっていくのだと思います。...

転んだおじいさん

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの宇佐見祐加です。 先日、ベビーカーを押して買い物から帰宅途中に、数十メートル先に自転車に乗った70代~80代の高齢の男性が見えました。 すると突然、ガシャンと音がして、そのおじいさんが自転車ごと倒れました。 「わぁ! おじいさん、大丈夫かな!?」私は驚いて心臓がバクバクしました。 私はベビーカーを押しながら小走りで急いでおじいさんの元へ駆け寄りました。 近くを通りかかった小学生3人も駆け寄りました。 「大丈夫ですか?」そう聞くと「大丈夫です」と言いながらもおじいさんは身動きが取れません。 幸い意識もあり、どうしたのか聞くと、足元がまごついて転んだだけのようでした。 私はおじいさんを起こそうとしましたが、私一人の力では起こすことが出来ません。 おじいさんの足は自転車に挟まっていました。 どうしようかと思っているところに、今度は女性が駆け寄ってきてくれました。 そしてまた一人、別の女性が集まってくれました。 私たち3人は力を合わせておじいさんと自転車を起こし、安全な場所に移動しました。 その間、小学生は道路に散乱したおじいさんの荷物を拾ってくれていました。 おじいさんを起こした後は、私たち大人も小学生と一緒に荷物を拾いました。 おじいさんは買い物帰りだったようで、たくさんの荷物が道路のあちこちに転がっていました。 その様子に気が付いた別の小学生2人が、「どうしたの?」と言って集まってきてくれて、一緒に荷物を拾ってくれました。 みんなでおじいさんを助けようと一丸となった瞬間でした。 「自分に出来ることは何だろう?」それぞれが考えて行動していました。...

親子の縁

こんにちは。レムリア・ルネッサンスのたまきです。 親子は約束をして生まれてくるといいます。  私が育った家庭は、私が幼いころから父親は単身赴任であまり家に帰らず、しばらくして両親は離婚しました。 それからは母と兄との3人暮らしでしたが、とくに母にとっては精神的にも苦労が多かったことと思います。 母はよくイライラしたり、私に辛くあたることがありました。 そしてそのたびに私は「どうして自分はここへ生まれてきたんだろう」と思っていました。  少なくともそのころ、家庭は私にとってあまり帰りたい場所ではありませんでした。 ところがそれからしばらくして、この「親子は約束をして生まれてくる」ということを知りました。 それまで母や家庭環境に対して不満ばかり思っていた私でしたが、この神理を知ったことで、そんな自分と母が縁を結んできた意味はなんだろうと思い、振り返ってみました。 すると、普段母に対して思っていた不満などはほんとうに些細なことで、それよりも私にとって、もっとずっと大切なことを母は与えてくれていたということに気がつきました。  母はよく私に「自分がほんとうにやりたいことを見つけてやれるのが幸せだ」と言っていました。 それが必ずしも職業と繋がらなくてもいいから、自分らしく生きられる道を見つけて歩んでいってほしい。ということでした。 実際に母は、その言葉のとおり、私がやってみたいと言ったことは何でも協力をしてくれ、大事な進路などを決めるようなときには、決断をするのも、結果が出るのにも時間のかかる私を、何年かかっても信頼をもって待ち続けてくれました。 また、「自分は偶然この母のところへ生まれてきたのではなく、親子になることをお互いに約束してきたんだ」とわかったことで、それまで理不尽に思い、母や家庭環境のせいにしてきたことを、自分自身の課題として受け止めて、向き合っていこうと思うようになりました。 私が結婚をして数年経ったころ、母は私たちの成長を見届けて、まるで自分の役割は終わったとでも言うかのようにあの世へと帰っていきましたが、この親子の関係をとおして、私はただ育ててもらったこと以上に与えられた多くのことを思うと、何度思い返してもやはりこの母親のところへ生まれてきてよかったと思います。 そしてこのように、与えられた環境、また当たり前の日常のなかには、私たちが気づかないような大切な

受けとめる力

こんにちは。レムリア・ルネッサンスのいちごです。 4月から新しい環境になられた方もいらっしゃると思いますが、そろそろ緊張していた心や体がほぐれてくる頃ではないでしょうか。 中には慣れたと思っていたら五月病のようになってしまう方もいらっしゃるかもしれません。 五月病は、環境の変化に心や体が馴染めず不調になってしまうことです。 実は私も以前に五月病のようになってしまい、精神的に辛い思いをしたことがあります。 自立しなければと思い、上京して一人暮らしをすることにしたのですが、一気に変化した環境になかなか馴染めませんでした。 数ヶ月が経ったころ私は家から出られなくなり「このままではおかしくなってしまう」と思いましたので、仕事を辞めて実家へ戻ることにしました。 上京する時に世話を焼いてくれた友人たちや、送り出してくれた前の職場の方々、そして何より家族に会わせる顔がないと思い、自分を責めていました。 ですが実家の家族や地元の友人たちは、私に何も聞かずただ快く受け入れてくれました。 特に母は私のことをほんとうに気遣ってくれていたのだと思います。 もしかしたら、特別に気遣っていたのではなく、ただ普通に接してくれただけなのかもしれません。 ですが、一緒にスーパーへお買い物に行ったり一緒に食事を作ったりするという、以前と同じ日常生活を送ることができたことで私の心は癒されていきました。 自然の多いところへなるべく行くようにして、たまには友人たちと映画やライブなどにも行きました。 そうやってのんびりと生きているうちに徐々に心が前向きになっていきました。 全てにおいてやる気がなかった状態から頑張ろうと思えるようになり、仕事にも行けるようになりました。 この時のことは、今でもとても感謝しています。 今振り返ってみますと、傷ついた私を家族や友人が何も言わずただ受けとめてくれたことが、とても大きかったと思います。 それは、レムリア・ルネッサンスの「女性の法」でいわれている「受容性」で私が癒されたということだと思っています。 受容性について「私たち女性は、神の愛の受容性という、陰の意識のエネルギーである」と言われています。...

誰もがかけがえのない存在

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの飛鳥です。 春は1年の中でも、特に環境の変化が大きい時期だと思います。 職場や学校で新しいことを覚えたり、新たな人間関係を築いていく、始まりの季節ではないでしょうか。 自分の学生時代を振り返ると、この季節にかなり緊張していたことを思い出します。 私は人と話すのが苦手なのに、孤独になることをとても恐れていました。 当時、女の子はだいたいクラスの中で仲良しグループを作って、休み時間とか、教室を移動するときとか、常に一緒に行動することが多かったように思います。 4月は新たなクラスの中で自分の居場所をつくって安心感を得るまでは、とにかく落ち着かない日々を過ごしていました。 私は以前からずっと、ありのままの自分でいることに自信がありませんでした。だから、まず自分を受け入れてくれる仲間を見つけるまでは、とても苦しかったのです。最初のうちは人に合わせて、自分を出さないようにすることもありました。それは、大人になってからも続きました。 でも、レムリア・ルネッサンスに出会い、霊的価値観を知ることによって、私の心は変わっていきました。 まず、あの世という死後の世界が存在していること。そして私たちは永遠の命を与えられて、何度もこの世に生まれ変わっているということ。それを知って、心が軽くなりました。 私は自分に自信が持てなくて、ありのままの自分を隠そうとしてきたけれども、何度も生まれ変わるということは、そのたびに成長できるチャンスを与えられているということです。だから、この1回の人生の中ですべてを完璧にしなきゃいけないということはないんだと思いました。ようやく肩の力が抜けたような気がしました。 そして何より嬉しかったのは、私たちを創られた神様は愛そのもので、その神様から命をいただいた私たちは神の子であるということ。一人ひとりが、この宇宙の中でかけがえのない存在であるということを知りました。 もし子どものころからこういう価値観を教わっていたら、私ももっと自分という存在を受け入れ、人と関わり合うことを必要以上に恐れなかったかもしれません。 今の子どもたちは、さまざまなストレスに囲まれ、苦しんでいるような気がします。ネットの中でも、自分の存在価値を見出せず、生きる希望を失いかけている声をたくさん目にします。それはもしかすると、子どもたちだけではなく、大人もそう

許されるありがたさ

「自らも赦されて生きてきた魂なのです。そういう人生であられたと思うのです。であるのならば、あなた方が知らないところで、どれだけ多くの赦しの中に、あなた方が生かされてきたということを思い、隣人たちの罪も、やってしまったことも赦してあげましょう。」(聖母マリア) 以上、きれい・ねっとより出版の「スピリチュアルメッセージ集76 大天使サリエル・聖母マリア」(アマーリエ著)P107より抜粋いたしました。 皆さまこんにちは。レムリア・ルネッサンスの横須賀 由美子と申します。 私には年の近い弟が二人いますが、私は子どもの頃、その二人の弟をさんざんいじめてきました。 特に上の弟には、年子で生まれているので母親を取られたという思いがあり、弟がベビーベッドで寝ている頃から、手を伸ばしてひっかいていたくらいでした。 小学校の時も、弟に対していじわるな言い方をしたり、弟が学校で使うノートを破ってしまったこともありました。 成人してからも、私は言い方がきつかったり怒ったり、全然優しくない嫌な姉でした。 20代の半ば頃、やっと自分のしていることに気付き、今までの弟に対しての過去の行いを心から反省した時、涙が止まりませんでした。 自分のしたことが本当に辛くて、人に傷つけられるよりも、人を傷つけるほうがよっぽど辛いと、身に染みて思いました。 心の中で「ごめんね、ごめんね」と、何回言っても足りないくらいでした。 その反省のあと、私は弟に対する態度を変えました。 それから数年後、勇気を出して弟に「今まで本当にごめんね」と謝ったところ、二人とも「昔のことだからもう忘れたよ。だからもういいよ」と言って、許してくれました。 許してくれると思っていなかったので、とても驚きました。 私は涙が出て、許されることはこんなにもありがたいことなんだと実感しました。 弟が私を許してくれたように、私も、何かがあってもできるだけ相手を許していけるようになりたいと思います。 そして、こうした自分に自覚のあることだけではなくて、自分の知らない、気が付かないところでも、いろいろとたくさんの迷惑を、まわりにかけて生きてきたんだと思います。 それを許されて生きてきた、そういうことを忘れずに日々生きていきたいと思います。 お読みいただき、ありがとうございました。

神の子本来の美しさ

「自分以外の方がたの幸せを祈り、自分を投げ捨てて、 多くの地上の人びとの、神の子たちの幸せのために生涯をかけて生き続ける。 それをもって、わたくしたちは神の子としての内在された神性の中において、 愛というものに感動し、愛というものに共鳴して、ほんとうに幸せであるということを感じ、実感するのです。 神の子であるとは、そういうことなのです。」 (ヘレン・ケラー) 以上、きれい・ねっとより出版の「スピリチュアルメッセージ集51 ヘレン・ケラー」(アマーリエ著)P55より転載 みなさまこんにちは。 レムリア・ルネッサンスの白石まゆと申します。 普段私は看護師をしておりまして、 先日ご高齢の患者さまから黄色い一輪のお花をいただきました。 「いつもありがとう」と手渡してくれたそのお花は、 ストローでできた茎に緑の画用紙が巻かれ、 花びらは一枚一枚丁寧に、薄い色紙で作られていました。 私はそのお花をいただいたことが本当に嬉しくて、 「大切にします」とお伝えし、白衣のエプロンにつけて仕事をしていました。 すると、どの患者さまのお部屋に行っても、 皆さんそのお花を見て笑顔になってしまうんです。...

子どもたちと一緒に神理を学ぶ喜び

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの朝月真理と申します。 私が初めて「アミ 小さな宇宙人」の本を知ったのは今から10年前、神理に出会った年でした。可愛い宇宙人の男の子アミと地球の男の子が、宇宙のいろんな場所に出かけていく楽しいストーリーと、神理の素敵なエッセンスが含まれたその3冊をワクワクしながら読んだことを覚えています。 我が家には息子と3人の娘たちがいますが、皆んなアミちゃんのお話しをしてあげるととっても喜びます。 子どもたちは、幼い頃から、「神さまは愛そのもの、私たちは皆んな神の子、何度もこの世に生まれて来ている」ということを普通のこととして受け入れています。 ですから、悩みながら生きていた私が、やっと30歳で神理に出会ったときの、心の底からほっとしたような喜びと感動の思いとは少し違うかもしれません。 ですが、私が、アミちゃんの物語を通して、神さまのお話しや、宇宙のお話し、愛のお話しを聞かせてあげるときの、子どもたちのキラキラした目の輝きを見ていると、どんな状況であっても、何歳であっても、神さまのお心に出会うということは、私たち神の子にとっての喜びなんだな、と感じます。 だから、子どもたちに、お勉強のように知識を詰め込むように教えたり、「こうしなきゃダメなのよ」と伝えることで、神理と出会う感動を奪ってしまうことはしたくない、気をつけたい、といつも思うんです。 先日、満月の夜、娘たちはお庭に出てかけっこしながら、「お月さま~、アミちゃ~ん、おつかれ~!」なんて大きな声で空に向かって叫んでいました^^ 地球に住む私たちだけでなく、お月さまも宇宙の友たちも皆んな、この今の地球の大切なステップアップの時を応援してくださっているんだな、と、私自身、子どもたちとこうして神理を学ばせて頂きながらともに生きることの出来る毎日に改めて感謝の気持ちがわいてきます。 地球の未来を創る子どもたちが、母親の愛の中で育まれて大きくなりますように。 その本当に大切な役割に女性たちが気づいていけますように。 子どもたちへ、愛と平和に満ちた地球の未来へのバトンを手渡していけるよう、私自身精一杯のことをしていきたいと思っています。  

「永遠の時の流れからみたのならばこの肉体を持つ時などは、ほんとうにトータルしてもわずかな時なのです。 あなた方の大半は、天上界にいることのほうが長いのです。でも、この地上で肉体を持っているということ、そのことを思ったのならば、あなた方はこの地上での経験を無駄にしてはなりません。 地上は、自分の全人生をかけて愛を体現するところです。愛が何であるかということを、体を張って学ぶべきところなのです。」(墨子) 以上、きれい・ネット出版 スピリチュア・メッセージ集64巻(アマーリエ著) P31より転載致しました。 みなさま こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの秋野稲穂と申します。 今月、仕事仲間のAさんが結婚を前提とした引越しのため退職することになりました。Aさんと私は親子ほど年が離れていますが、事あるごとに報告し合ったり、業者さんや店舗間との交流会を計画し、開催し合う仲でした。 出会いと別れ-。必要な時に必要な人と出会い、関わり合いながら経験と学びを重ね、やがて新たなステップへ進むために離れ離れになることがあります。別れのときは一抹のさみしさや不安を感じることもありますが、お互いにエールを交換し合い、希望に向かって歩み始めていきます。彼女と知り合って約3年。一緒に仕事をしたのは半年弱と本当にわずかでしたが、かけがえのない日々を過ごせたことに感謝しています。もしかしたら今世ではもう会うことはないかもしれません。しかし、お互いに人生を終えたあかつきにはあの世で再会し、よもやま話をしたいと思っています。この世でできた貴重な縁。もしかしたら既に縁あってこの世で再会していたのかもしれませんが、いずれにしても魂にとって縁というものは、自分で考えている以上に深いものなのかもしれないと思いました。 縁はいいものだけではありません。何かしらの原因で長年ギクシャクしたり、しこりが残ったままの人もいます。転勤や引越しなどで関わることがなくなると、正直ホッとすることもありますが、それはあくまでも一時的なもの。この世で縁ができたということは、この世よりも長くいるあの世で再び会う可能性もあるかもしれません。そのときに複雑な気持ちで会うのは嫌なので、この世にいる間に修復できるものはしていこうと思ったことがありました。この世は思いの世界であるあの世とは違い、肉体を通して経験ができる世界なので、「チャレン

身体への感謝

「こんな肉体」と言わないでください。 その肉体の中に、神の愛という命のエネルギーが宿るからこそ、あなた方の肉体は動くのですよ。ロボットではないのです。 すべての細胞の一つひとつの隅々にまで、神の子としての命のエネルギーが流れ込んでいる。 そこをわたくしが、オーム宇宙の陰極のエネルギー、オームの女性性のほうから引いてきたエネルギーを通して、地球の中に流し、あなた方のほうにも送り込んでいるのです。そうやって命というのは育まれているのです。 (地球意識の女性体 ガイア) 以上、徳間書店より出版の「ガイアの祈り 光ある愛の星にアセンション」(アマーリエ著)P211より転載致しました。 皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの尼野雪江と申します。 私は子どもの頃から人間関係でストレスを感じやすく、そのストレスがすぐに身体に出るタイプでした。小学校の頃はよく風邪を引いたり、急な腹痛・胃痛で母を心配させたりしました。 成長するにつれて、そのような症状は次第に少なくなっていきましたが、その後もちょっとした体調不良はしょっちゅうでした。でも、自分でも身体がストレスに対してさまざまな不調というかたちで反応することには慣れていて、「なんでこんなに私はストレスに弱いんだろう・・。でもこの世界で生きていく以上、身体に対する多少の無理は当たり前。不調にいちいち構ってられないわ」と思いながら過ごしていました。 そんな私でしたから、このガイア様からのメッセージは、最初に読んだ時意外に感じられました。でも最近、おっしゃられている意味が少しわかりかけてきた気がしています。 一般的な健康法や健康ブームは、肉体の健康のみに重点を置いていて、私たちの本来の姿は魂だという、神理の視点は抜けていることが多いように思います。肉体は舟、魂はその舟を操る船頭さんにたとえられます。その肝心の船頭さんを放っておいて、舟の調子ばかりを気にしていたら、それは本末転倒です。 でも、だからといって、私がしていたように、船頭が頑張れば舟のメンテナンスなんてどうでもいい、舟が使えることが当たり前で何の感謝もしない、というのもやはり片手落ちだったのです。魂と同じように、この肉体も神様の愛のエネルギーが流れて生かされている大切な存在なんだということに、ようやく私も気づくことができました。 今でも私は仕事などの関係上、なかなか身体を労