スタッフブログ

女性に生まれて

みなさまこんにちは、レムリア・ルネッサンスの秋野稲穂と申します。 私は中学生の頃まで “なぜ自分は女性に生まれてしまったんだろう”という疑問をいだいていました。幼稚園へ行くときに着る服や靴下に、花の模様やフリルが付いていると嫌でしょうがありませんでした。毎日暗くなるまで野山を駆けずり回り、主に基地を作ったり、戦闘ごっこをして遊んでいて、「キャー!!」という発声は絶対に使わないというこだわりのある子どもでした。 しかし、そんな私も次第に成長し、好きな人ができたり、結婚をして子どもを産み育てるたびに、女性に生まれてよかったと思うようになりました。人に尽せる喜びや、小さな命を育み、愛おしむことのできる幸せ。あるときは、「自分の命に変えてでもこの子を守る」という、母の強さと勇気が自分の中から奮い立ってきたこともありました。それは、自分だけのためだったら、諦めたり、妥協するのは目にみえていたことだったので、まさか自分がここまで強くなれるなんて信じられないほどでした。また、落ち込んで自分の壁から出られなくなったときや、自分ではどうしようもなくなったときに手を差し伸べてくれたり、話を聞いて一緒に泣いてくれたり、ただ黙ってそばにいてくれたのは、いつも女性の友人であり、母でした。今までどれだけ女性に心を救われてきたんだろう。とあらためて思います。 女性には生まれたときから受容性と母性が備わっています。その表現方法はお一人おひとりの個性や状況によって違いますが、相手に心を開いて受け入れたり、「そうだったの、大変だったわね」と、「心配してたのよ。あまり気にしないで」、「大丈夫よ」と、声をかけられたときは(そうだ、私、ひとりじゃないんだ。案じてくれる人がいるんだ)と、見守られていたことに気がついて、その心のぬくもりに癒され、周りの人の存在の大きさと、その人たちの支えがあったからこそ、今まで生きることができたということに感謝ができるようになりました。 私は女性霊のメッセージで女性の役割や持ち味を学びながら、日常生活で経験していくことで、女性として生まれ、生きられることへの喜びと幸せを心から感じられるようになったんです。 どの方もご自分で人生計画を立てて生まれていらっしゃいますので一概にはいえませんが、多くの女性は結婚をして妻となり、嫁となり、母になっていくように、年代によって立場や環境が変わ

病気は自分を振り返るチャンス

皆さん こんにちは レムリアルネッサンスの小夏といいます。 私は今年の3月に心臓弁膜症の手術をして、経過は順調で、現在はしばらく静養期間として仕事を休んでいます。   手術後、数週間の入院生活でしたが 入院中は先生や看護師さんにお世話になりながら、自分でできる身の回りのことをする以外することがないので、いろいろなことを考える時間がありました。   手術直後は、管がいっぱい体中に入っていたので、目の前にある水を飲むのにも、誰かの手を借りなければ飲めず、看護師さんたちも忙しいだろうなと思いながらも、コールを押すと皆さんいやな顔ひとつされず手を貸してくださいました。毎日血液検査などもあり、一日に何度も病室にきて処置をしていただいていましたが、ある看護師さんはことあるごとに「ありがとうございました」と、言って部屋を出ていきます。 看護師さんにお世話をしていただきながら感じたことは、自分が弱っているときに、笑顔でやさしくしていただくってこんなにも心が癒されるんだなあとしみじみ思いました。 男性の看護師さんもいらっしゃいましたが、女性の看護師さんだとなんとなくホッとしました。   病気がわかる前まで私は特老養護施設の介護員として、お年寄りと10年近く過ごしていました。 施設は寝たきりの方が大半で、大勢のお年寄りを数人の職員で食事のお世話、お風呂などたくさんの仕事をかかえていました。 団体生活なので、決められた時間の範囲でできるだけ仕事を終わらそうとすることに、気持ちが向いていたので、お年寄りの話をじっくり聞いてあげるとか一つひとつの動作にしてもその方に合わせるとかができていませんでした。   頭では、お世話をさせていただいていると思っていましたが、仕事の忙しさに忙殺されると知らず知らずのうちに、お世話をしてやっているというそんな傲慢な思いになっていたと気づかされました。   また、私は、体も丈夫で体力もありましたので、自分は健康で長生きできると思っていました。でも、今回病気をしたことで明日のことはわからないんだということを実感しました。あとどれくらい自分の寿命があるのかはわからないけど、残された人生の一日一日を 大切に生きていきたいなと思います。  ...

猛暑に寄せて

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの尼野雪江です。 我が家では、金魚を2匹飼っています。 10年ほど前、ホームセンターの金魚すくいコーナーで、無料でもらってきた金魚たち でしたが、4匹のうち2匹がすくすくと成長し、今ではどちらも15cmを超える大きさに なりました。 ずっと気づかなかったのですが、この2匹は雄と雌で、今年に入ってから突然、毎月 のように卵を産むようになりました。 朝起きて水槽を見ると、半透明のツブツブした卵が、水槽の床一面に産み付けられて いることがあります。 だくさんの卵を見て、最初は「もし全部孵化して大きくなったら、育てきれない なぁ」と思っていましたが、せっかくなので(しかも何度も産むので)育成にチャレ ンジしてみることにしました。 ところが、卵を別の容器に移して観察していると、魚を成長させるというのは意外と 難しいことに気がつきました。 卵をたくさん産んでも、受精卵になるのは一部のみです。 その受精卵を採取してじっと待つと、2~5月頃は1週間ほど、今の時期ならわずか1~ 3日で卵から稚魚が生まれます。 でも、卵や稚魚が生きられる水温は20~25℃くらいのようです。 我が家の金魚たちはたくましくて、特別な水温管理をしなくても、今日まで無事に生...

家庭は愛の巣

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの市ノ沢あかねです。 うちの小学3年生の娘は、朝、学校に行くのを泣いて嫌がる日がよくあります。とはいえ、学校に行ってしまえば元気に過ごしているようで、家に帰ってくると、いつも「ただいまー」と元気な声で、玄関にランドセルを置いたまま、すぐ友だちと遊びに行きます。 娘は、人間関係に不器用なほうで、自分の言いたいことを言えなかったりして、ストレスをためてしまうこともたまにあるようです。 なぜ学校に行きたくないのか尋ねると、友だちから言われたひと言を理由に挙げたりするのですが、どれも言った側にすれば他意のないものばかりで、娘が気にしすぎているのが問題のようです。 そんなときは、「そうじゃなくて、こういう意味だったんだと思うよ」と話をしたり、励ましたりしています。 朝、あまりに嫌がるので学校を休ませたある日、先生が心配してうちまで寄ってくださることになりました。 娘は先生を慕っているので、「どうしよう」と言いながらも、お気に入りの服に着替えたりしてドキドキしているふうでした。 先生がいらして、マンションのロビーで、その日学校であったことなど話してくださって、「明日、これるといいね」と声をかけて先生が帰られました。 先生を見送ったあと、娘が、「のどが渇いた。お茶ちょうだい!」と、慌てて言うのです。 「どうしたの、急に」と聞くと、「緊張しすぎて、のどがカラカラ。お茶、お茶!」と言いました。 親の私からすれば、ちょっとした世間話を和やかにした程度だったのですが、娘からすれば、先生がうちにいらして、しかも元気なのに学校を休んだことへの後ろめたさもちょっとあって、とにかく緊張していたようなのです。 外から見れば、にこにこ話を聞いてうなずいているように見えたのに、心の中ではそんなふうに感じていたんだなあ、そこまで気づいてなかったなあと思わされました。 考えてみれば、学校でも友だちとコミュニケーションをしながら、緊張したり、傷ついたり、全身でいろんなことを感じて体験して、その中で成長しているんだなあと思いました。 そう考えると、ほんとうに改めて、家庭というのは安らぎの場であるんだと思いました。 家に帰ったらホッとできて、ありのままの自分でくつろげる。母親として、そういう家庭をつくりたいと思いました。 娘が学校から帰ってきたとき、「ただいまー」と明るい声なの

子育てから学ぶ

皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの「さち」と申します。 最近、子育てを振り返る機会があり、その当時書いていた日記を読み返しながら、反省した出来事があります。 私には20代の息子がいますが、その子が3歳ぐらいの時に外へ出て仕事を始めました。早出があったり、夜に帰宅したりで忙しく、日々の仕事と家事をこなしていくことで頭の中はいっぱいでした。そのため、私の心の中は、子どもが早く起きて、自分できちんと仕度をして、保育所では元気に遊び、夜9時頃には寝てくれたら、家事も早く終えられ毎日がスムーズにいくのにと自分勝手な思いを抱いていました。 しかし、子どもにも自分の思いや好き嫌いもありますから、親の思うように動いてはくれません。わがままを言うし、自分の思いを通そうと駄々をこねたりします。子どもを育てるのは大変だなと思いながら、ゆっくり子どもに目を向ける余裕もなく、「早くご飯をたべなさい」「ゲームはもうやめて、早く寝なさい」と、細かく注意をしていました。 子どもへの注意や指摘は、しつけのためというより、私自身の日常の忙しさからイライラしていて、子どもに当たっていたように思います。 息子が6歳ぐらいの頃です。 ある時、「お母さん、天国と地獄とどっちがいい?」と聞いてきました。私は「もちろん天国だよ」と答えました。「だったら、ぼくのこと怒ったら天国にいけないよ!」と言います。私が「じゃあ怒られないようにしようね」と言うと、息子は首を横に振りながら、「ちがう! ぼくが何をしても怒ったらだめ!」と、何かを訴えかけるような目と悲しそうな表情で私を見て言いました。 その時は、「困った子ね」と思うだけで、子どもの気持ちに立って考えてみることができませんでした。 今振り返ってみると、その時の息子の言葉は「もっとぼくのこと思ってよ」「ぼくの方を見てよ」という心の叫びであったと思います。 人に迷惑をかけたり、相手を傷つけたりした時は、子どもに納得のいくような方法で教え諭さなければいけません。けれども、私は自分の中で「子どもはこうあるべきだ」という理想を作り、できていれば良しとし、できていなければ正そうとし、子どもの行動に対して寛容になれずにいたのです。そして、子どもの思いを察することなく私の意思を押しつけていたように思います。 母親が子どもを自分の持ち物のようにコントロールしようとした時、ま

幸せは目の前にある

みなさま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの未果(みか)と申します。  先日、知人から「最近のお気に入りなんだけど、良かったら聴いてみて」と、YouTubeにアップされている曲をいくつか紹介されました。その中に、私が10代の頃に流行った洋楽がありました。当時は、美しいメロディーと歌声に惹かれていましたが、日本語訳と合わせて聴くと、まるで自分のことを言われているようで涙がとまりませんでした。 その内容は、『若い頃は人がうらやむような生活を経験し素敵な恋もしたけれど、そこに留まらず、いつも幸せを求めて自分の居場所探しをした。でもほんとうの幸せは、パートナーと喧嘩したり仲直りしたり、子どもを抱きしめたり、そんな何でもない日常にこそあると今は分かるの』というものです。  以前の私は、仕事で成功し経済的に豊かになって贅沢な暮らしをしたい。そんな社会的地位や名誉、物質的なことにしか関心がありませんでした。様々なセミナーに参加したり、語学留学したり、自分磨きに明け暮れても、思い通りのものを手にすることはできませんでした。 その後、出産を機に仕事を辞め、しばらく育児に専念する道を選びました。社会から遠ざかった日々を過ごしていると、昔を思い出しては、「あの時、ああしておけばよかった。こうしておけば、もっと違っていたはず」と、今までの人生は失敗の連続だったと、暗い気持ちになることが幾度となくありました。  神理に出合い、私たちのほんとうの姿は永遠の命を持つ魂であり、愛を学ぶためにこの世に生まれてきていると学ばせていただきました。与えられた場で精一杯愛を成すことこそが大切であって、人生に成功も失敗もないということがわかりました。 何十年かぶりに聴いた懐かしい曲は、私の心に深く染みわっていきました。これまでずっと外側に幸せを追い求めて、自己実現に走っていたかつての私も、その場で精一杯生きていたんだと。「失敗だった」なんて、自己卑下しなくてもいいんだと、初めて自分自身を愛おしいと思うことができました。 「自分を愛せないひとは、ひとのことも愛せない」と言われていますが、自分を愛せるようになって、周囲の人びとに対して以前より優しい思いで接することができるようになったと思います。 日々の生活に当たり前のことなどなくて、愛を表現するかけがえのない時を、今いただいていることに、あらためて感謝の思いを

すべては愛を学ぶため

皆さま、こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの彩花(あやか)と申します。 昔の私は、家族との関係がよくありませんでした。 なにをしても否定され両親から怒られるので家庭はやすらげる場所ではなかったのです。そのため家にいたくなかったので、仕事に逃げ、休日であったとしても朝から深夜まで出かけるというような日々を送っていました。 食事もいいかげんなものですませ、身体をまったく気づかっていませんでした。 そうして無理を重ねていたためなのか、あるとき急に嘔吐し呼吸をうまくすることができないような状態になり、もう生きていられないのではないかと思いました。それ以来外出することができなくなってしまい、家のなかでさえも動くのもやっとのような状態でした。病院には行きましたがよくはなりませんでした。 どうも自分の奥にある感情とずれたことを無理にしようとすると過呼吸発作や吐き気がおそうようでした。しかし、それまで自分の感情を無視した生き方をしていたので、表面的には自分の感情がまったくわからなくなっていました。感情がわからないので頭で考えて自分の気持ちにたどりつこうとして数時間かかることもありました。自分の感情がわかるとスッと過呼吸発作や吐き気がおさまるのでした。 それはまるで自分自身がどう感じているのか答え合わせをしているような状態でした。 いやおうなしに自分自身と向き合う時間が与えられたようでもありました。 自分の気持ちを大切にしようとした生活をしていると、2年、3年とたつうちに少しずつ体調も回復していきました。そして家の近所なら外出することも徐々にできるようになっていきました。外にでてみると太陽のあたたかな光が前と変わらずにあって、はげまされているような気持ちになりました。それから近くの図書館に行き、心理学の本やビジネス書などを読んで、自分の生き方や、仕事のやり方のどこを改善していけばいいのかヒントを見つけようとしていました。 そうして5年がたとうとするころ、近くの書店でレムリア・ルネッサンスの書籍に出会い、神理にふれました。 そこには、私たちは愛を学ぶために生まれてくるということが書かれていました。愛とは、感謝することや、ゆるすこと、そして愛を与えてこそ学べるものだともありました。 自分の人生を振り返ってみると病気をする前の私は、ただ生活のために働き、まわりに合わせようとして生きていた

仕事は愛を表現する場所

こんにちは、レムリア・ルネッサンスのレイです。 私の家の近くにおいしいコロッケ屋さんがあります。 約一年前に引っ越してきてから仕事が忙しくて二回くらいしか行ったことがありませんでしたが、もうすぐまた引っ越しをするので、離れる前にもう一度コロッケ屋さんに行きま した。 前に来た ときと同様に、一生懸命作られている姿が見えました。個人経営なのでしょうか、お店は広くはないのですが、暖かみを感じる店内です。 気さくに話しかけて下さり、引っ越す前にもう一度来たかったことをお話すると、とても喜んでくださいました。 注文する商品の一つ一つを大事に包んで下さり、品切れだったものにも、 出来る限り対応して下さいました。 ご自分のお仕事に誇りを持ってされていることがこちらにまで伝わってくるようで、買い物をしていてこちらまで嬉しくなりました。 今回のことで自分の反省もしていました。 サービス業で働いていましたが、自分はお客様の目から見て、どのように映っていたのか、お客様はどのような気持ちで帰られていたのだろうかと。 仕事をしながら時には心の中で、もう誰の顔も見たくないよと思っていたこともありました。 売り上げをあげたいとか、上司に怒られるからとか、仕事をしていてつい自分の事しか考えていないことがありました。しかし、その様なときはいつも幸せな気持ちなんてありませんでした。 本当に幸せを感じら れた時とい うのは、お客様の笑顔を拝見できたときです。喜んでいただけた時でした。 私たちが生まれてくる目的は愛を学ぶ為だとレムリア・ルネッサンスで教わりました。そして愛を学ぶというのは、愛を与えさせていただき、そこから一番愛を学ぶことができるということでした。 世の中には数多くの仕事があり、生計を立てる為にというのも勿論大切ですが、どのような職業に就いたとしても、周りの方の本当の幸せを考えながら仕事ができたら、お客様も、また働いてる側も幸せを感じられると思います。そして、それが仕事を通して感じられる本当の誇りとなってくるのだろうと思いました。...

両親のもとに生まれて

こんにちは。レムリア・ルネッサンスのミオです。  私は三人姉妹で、年頃になると父親から「誰かが家を継がないといけない」「婿をもらえ」「家を出たらだめだ」と言われていました。曾祖父の時代は資産家だったようですが、代が変わるにつれ、資産や継ぐべき仕事などはありませんでした。父は「姓」とそして自分の老後の心配をしていました。  父には娘の自由意思への配慮はありませんでした。家を継ぐかどうかは、その子どもが納得して選べばいいですが、子の自由意思に反して、強制的に人生が決められていくのは、子ども本人にとってとても苦しいものです。  子どもを育ててやった、だから親のいう事を聞き、面倒を見るのは当たり前、という気持ちで、子どもに見返りを求め、子どもの人生を親の自我自欲のための道具にしようとする父の姿からは、愛は感じらませんでした。  すべての子は神の子であり、永遠の魂を持ち、地上に愛を学ぶために生まれてきている、ということがわかれば、「子どもには子どもの自由意思があり、親子の縁で結ばれていても、魂としては別々である。その子の個性、才能が開花されますように、幸せになりますように」という気持ちで育てていけるようになると思います。  私の父も、母も、このような神理の知識はありませんでした。歴史や因習のなかで作られたルールの中で育ち、そして自分が受けたものを子どもにも同じように遵守させようとしたのでしょう。私たち姉妹は、それでは幸せにはなれませんでした。  私自身は、親からの純粋な愛を求め、人生に悲観し、なんのために生きているのかと悩み苦しんでいましたが、神理を知ることで、私は救われました。そして、私が両親を選んで生まれて来、だからこそ、神理にであえたことに感謝しています。特に父は私に人生について深く考えるきっかけを与えてくれたと思っています。そばにいるときは父の悪い面ばかりを見ていましたが、今は私をここまで育ててくれた父の愛情に感謝しています。  いま、私は子どもを育てる機会をいただいています。子どもの笑顔、成長が喜びであり、そして、将来どんな個性を輝かしていくのか、楽しみです。育児は綺麗事ばかりではありませんが、子どもに愛を持って、見返りを求めず、子どもの神性が花開くよう、愛ある家庭を築いていきたいと思います。  そして、私が神理を知って救われたように、世の中で悩んだり、苦しんだりし

子どもの成長を見守ること

皆さま こんにちは レムリア・ルネッサンスのなまるです。 私には息子が二人いますが、今日は現在、6歳になる次男についてお話をさせていただきます。 次男は赤ちゃんの時から発達がゆっくりで、歩くのも、言葉を話すのも、他の子どもたちよりも遅い子でした。 私は神理を学んで、私たちは神さまより作られた神の子であり、一人ひとりかけがえのない個性を与えられていると知りました。他のお子さんと比べて、自分の子の成長が遅いからといって、裁いてはいけないと学びました。 だから、次男の成長がゆっくりでも見守っていこうと思っていたのです。 ところが、主人が次男の様子を見ていて「この子はこのままでいいのか。年齢の割に幼すぎるぞ。きちんとしつけをしないといけないんじゃないのか」と何度か話してきて、私は動揺して、焦ってしまいました。今まで学んだ神理のことはどこかにいってしまいました。慌てて、幼稚園の先生に相談したり、ネットで調べたりしました。そして、長男と比べて、次男の不器用なところを心配したり、幼稚園でみんなと一緒にできないところを注意するようになってしまったのです。 ある日、次男が幼稚園に行く準備をしていて、ブラウスのボタンを思い通りにとめることができず、ぐずぐずし始めました。そして、とうとう「できない」とやめてしまいました。私が「いつもできてるじゃない」と声をかけると「できない、できない!」と言い出し、泣いてしまいました。「幼稚園のはじまりのお歌も上手に歌えない」「言葉がわからない」などと、今まで悲しかったことを、泣きながら話しはじめました。 「どうして幼稚園のお歌を歌えないの?」と言うのは、私が以前、次男に聞いてしまったことでした。次男の成長がゆっくりでも、見守っていこうと思っていたのに、いつの間にか長男と比べたり、他の子と比べて、できないことを責めて、次男の心を傷つけてしまっていたことに気がつきました。 私は自分の思いを反省して、次男に心の中で謝りました。そして、「大丈夫、大丈夫だよ」と次男を抱きしめました。「ほら、服も一人で着られるようになったじゃない。前はできなかったのに。すごいよ」と言って、「お歌もママと一緒に歌おう。そうしたら歌えるよ」と歌いだすと、次男の機嫌も良くなり、元気に幼稚園に行きました。 神理を学んでいても、頭でわかっていただけで、腑に落ちていなかったと痛感しました。次

未来の子どもたちのために

みなさまこんにちは。 レムリアルネッサンスのことりです。 先日ふとしたきっかけで「ちいちゃんのかげおくり」という絵本を読みました。 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、 この物語は小学校の国語の教科書に長く掲載されている、戦争児童文学です。 私も小学生の時に学習しました。 私の記憶の中では、幼いちいちゃんとその家族が、記念写真を撮る代わりにかげおくりという遊びをする、というほのぼのとした印象だったのですが、 実際は、お父さんは戦地へ赴き、残されたお母さんとお兄ちゃん、そしてちいちゃんは戦火の中で、それぞれ命を失うという、とても悲しいお話でした。 特にちいちゃんは、お母さんとも離ればなれになってしまい、最期は一人で、焼け落ちた家で家族を待ちながら天へ旅立ちました。 改めてこのお話を読んだ時、涙がぽろぽろとこぼれました。 こんな風に孤独と不安の中で短い命を終えなければならないなんで、なんて悲しいことなんだろう。そんな子ども達が少しでもいなくなりますように…。 そう願わずにはいられませんでした。 この物語はフィクションですが、戦時中はちいちゃんのような子ども達がたくさんいたのだと思います。 そして今も、世界のいたる所で起きている争いの中で、ちいちゃんのような子ども達はたくさんいるのだと思います。 そう思うと胸が締め付けられるような気持ちがして、自分にも何か出来ることはないだろうか、と思います。 私は幼い子どもを持つごく普通の主婦で、世界を変えるような特別なことはできないかもしれません。 でも、もしそんな私にでも出来ることがあるとすれば、それは日々平和に家族揃って暮らしていられることに感謝することと、 子どもに、「どんな人も神から愛されている神の子で、みんな同じ地球という星に住む家族なんだよ」と、「地球に感謝しながら、みんなで愛し合って生きようね」と伝えることだと思います。 多くのお母さん方が、子どもたちにそう伝えることで、未来の地球は少しずつ変わっていくのだと思います。...

転んだおじいさん

こんにちは。レムリア・ルネッサンスの宇佐見祐加です。 先日、ベビーカーを押して買い物から帰宅途中に、数十メートル先に自転車に乗った70代~80代の高齢の男性が見えました。 すると突然、ガシャンと音がして、そのおじいさんが自転車ごと倒れました。 「わぁ! おじいさん、大丈夫かな!?」私は驚いて心臓がバクバクしました。 私はベビーカーを押しながら小走りで急いでおじいさんの元へ駆け寄りました。 近くを通りかかった小学生3人も駆け寄りました。 「大丈夫ですか?」そう聞くと「大丈夫です」と言いながらもおじいさんは身動きが取れません。 幸い意識もあり、どうしたのか聞くと、足元がまごついて転んだだけのようでした。 私はおじいさんを起こそうとしましたが、私一人の力では起こすことが出来ません。 おじいさんの足は自転車に挟まっていました。 どうしようかと思っているところに、今度は女性が駆け寄ってきてくれました。 そしてまた一人、別の女性が集まってくれました。 私たち3人は力を合わせておじいさんと自転車を起こし、安全な場所に移動しました。 その間、小学生は道路に散乱したおじいさんの荷物を拾ってくれていました。 おじいさんを起こした後は、私たち大人も小学生と一緒に荷物を拾いました。 おじいさんは買い物帰りだったようで、たくさんの荷物が道路のあちこちに転がっていました。 その様子に気が付いた別の小学生2人が、「どうしたの?」と言って集まってきてくれて、一緒に荷物を拾ってくれました。 みんなでおじいさんを助けようと一丸となった瞬間でした。 「自分に出来ることは何だろう?」それぞれが考えて行動していました。...