スタッフブログ

身体への感謝

「こんな肉体」と言わないでください。 その肉体の中に、神の愛という命のエネルギーが宿るからこそ、あなた方の肉体は動くのですよ。ロボットではないのです。 すべての細胞の一つひとつの隅々にまで、神の子としての命のエネルギーが流れ込んでいる。 そこをわたくしが、オーム宇宙の陰極のエネルギー、オームの女性性のほうから引いてきたエネルギーを通して、地球の中に流し、あなた方のほうにも送り込んでいるのです。そうやって命というのは育まれているのです。 (地球意識の女性体 ガイア) 以上、徳間書店より出版の「ガイアの祈り 光ある愛の星にアセンション」(アマーリエ著)P211より転載致しました。 皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの尼野雪江と申します。 私は子どもの頃から人間関係でストレスを感じやすく、そのストレスがすぐに身体に出るタイプでした。小学校の頃はよく風邪を引いたり、急な腹痛・胃痛で母を心配させたりしました。 成長するにつれて、そのような症状は次第に少なくなっていきましたが、その後もちょっとした体調不良はしょっちゅうでした。でも、自分でも身体がストレスに対してさまざまな不調というかたちで反応することには慣れていて、「なんでこんなに私はストレスに弱いんだろう・・。でもこの世界で生きていく以上、身体に対する多少の無理は当たり前。不調にいちいち構ってられないわ」と思いながら過ごしていました。 そんな私でしたから、このガイア様からのメッセージは、最初に読んだ時意外に感じられました。でも最近、おっしゃられている意味が少しわかりかけてきた気がしています。 一般的な健康法や健康ブームは、肉体の健康のみに重点を置いていて、私たちの本来の姿は魂だという、神理の視点は抜けていることが多いように思います。肉体は舟、魂はその舟を操る船頭さんにたとえられます。その肝心の船頭さんを放っておいて、舟の調子ばかりを気にしていたら、それは本末転倒です。 でも、だからといって、私がしていたように、船頭が頑張れば舟のメンテナンスなんてどうでもいい、舟が使えることが当たり前で何の感謝もしない、というのもやはり片手落ちだったのです。魂と同じように、この肉体も神様の愛のエネルギーが流れて生かされている大切な存在なんだということに、ようやく私も気づくことができました。 今でも私は仕事などの関係上、なかなか身体を労

家庭は安らぎの場

「女性がお皿を洗うから、男性も洗わなくてはいけない。女性がおむつを取り替えるから、殿方に対してもおむつを取り替えなければ、あなたはいけないと、そのような見解が繰り広げられているのが、アメリカ文化の今流れをくんだ現代の若いカップルに多いのです。それを見ていて、疲れて帰って来た男性たちに、ガミガミとそのようなことを言ったときに、男性が本当の意味で、男性の仕事としてのエネルギーを蓄えられるか。家庭というものは安らぎの場でございます。安らぎの場に争いを持ち込んでしまっている現代の女性たちの姿がいるのです。」(木花開耶媛命) 以上、きれい・ねっとより出版の「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命」(アマーリエ著)P36より転載致しました。 皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスのあかねと申します。 以前、職場で残業をしていたとき、同僚の男性がポツリと言いました。「あー、今日は木曜日だから、俺がお皿を洗う日だあ」と。聞くと、共働きのため、夫婦で曜日ごとに皿洗いの当番を決めていて、自分が夜、外食することになっても、流し台のお皿を洗うのだそうです。夜まで頑張って働いている彼の姿を見ているので、「それは大変だね」と言うと、「ほんと、憂うつですよー」と言っていました。 共働きだと、家事のやりくりが大変ですので、夫婦で話し合って役割分担するのは必要なことでしょう。ただ仕事中にそのことを思い出し、家に帰るのがおっくうになっている彼の姿は、ちょっとかわいそうでした。お皿を洗わないと、奥さんに「約束が違うじゃない」と言われてしまうのでしょうか。 木花開耶媛命様は同じメッセージの中で、男性は陽のエネルギーであり、ご自分の才能、叡智を通して、社会を積極的に変えていく使命を神様から与えられているとおっしゃっています。そして女性は陰(いん)のエネルギーであり、「内助の功」という言葉があるように、その愛ある献身的な姿により、男性をますます光らせる役割を与えられています。女性の献身的な愛を受けて、男性は本来の素晴らしい力を発揮できるのです。神はそれぞれに役割と期待を込めて、男女をつくられたのです。 私はこのメッセージを学ばせていただき、家庭が安らぎの場であるように笑顔を忘れないでいよう、そして主人が仕事においても、人生においても、花開いていくように支えていきたいと思いました。もちろんできていなく

ありのままの母を受け止める

「愛を感じ、多くの方がたの気持ちに立ったとき、そして、それをどのようにしたら、多くの人びとに伝えていけるかと心を砕いたときに、その相手を一切裁くことなく、ありのままにて相手の全存在を受け入れ、そして、ともに励まし合い、慰め合っていく。トータルに相手のすばらしき神の子としての神性を受け止め、いとおしみ合う。その時に、私はいたわりとともに、癒しというのがあるのだと思います。」(聖母マリア) 以上、きれい・ねっとより出版の「スピリチュアルメッセージ集76聖母マリア」(アマーリエ著)P101より転載致しました。 みなさま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの「さち」と申します。 81歳になる私の母のお話をさせていただきます。母は、お花を育てたり野菜を作ることが好きで、父と一緒に家庭菜園をして暮らしています。去年、圧迫骨折で腰を痛めてからは、さらに腰が曲がり以前のようには体が動かせなくなりました。年齢とともに自転車にも乗ることができなくなり、ほとんど外出しなくなったせいか、愚痴を言うことが多くなりました。 昔を思い出しては「あの時こうすればよかった。ああすればよかった」と後悔し、自分は不幸な人生だったといいます。そんな時私は、「でもね、気持ちを切り替えて心の持ち方を明るい方に向けていこうよ。前向きにいこうよ」と話すのですが、「わかってる」といいながらもネガティブな思考からなかなか抜け出せずにいます。母は、家族という人間関係の中で、理不尽だったことや心が傷つけられたことを受け止められず、今も苦しんでいるようでした。 私は、どのようにしたら母の心が癒されるのだろうか、母を幸せにしてあげられるのだろうかと考えていました。そのときに、聖母マリア様の「一切裁くことなく、ありのままにて相手の全存在を受け入れ」というメッセージにふれました。私は、母の今の思いを理解することなく、話を十分聞くこともなく、「昔のことにいつまでもとらわれるのは良くないよ」と裁いていたことに気づきました。 愚痴を言えるのは娘しかいないと母はいいます。それならば、ありのままの母を受け止めて、母の話に耳を傾け、満足のいくまで話を聞いてあげようと思いました。 他の人にしたらたわいもないことですが、母にとっては、昔の話を聞いてもらい共感してもらうことで、心が癒されていくのだと思います。 今まで一生懸命育ててくれたことへの感

愛の思いで装うということ

「美で彩るために、神は女性をつくられました。 ささやかな思いやりです。 この愛の星を彩るのは、花々の美しさだけではないのです。 年齢だけでなく、種族も関係なしに、女性は美というものを表現していく。 装うということをもって、周りの方がたに対するいたわり、励まし、生きる希望というものを与えることができる。それが、女性を本来おつくりになった、神が期待されたエネルギーでもあるのです。」(月意識セレニティ) 以上、徳間書店より出版された、「ガイアの祈り 光ある愛の星にアセンション」(アマーリエ著)のp115より転載致しました。 皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの実果(みか)と申します。 私は、娘がまだ幼く子育てに忙しくしていた頃、毎日の身だしなみについて、次第に無頓着になっていきました。汚れても気にならない地味な色合いのトレーナーと動きやすいジーンズ。それが私の定番スタイルでした。そんなある日、娘が言いました。「お母さん、毎日ぼろぼろの格好だね」娘からそんなふうに見られていたなんて、私はショックでした。とっさに、「だって、一緒にお砂場で遊ぶとき汚れちゃうでしょう」と言いましたが、娘は納得した様子ではありませんでした。なぜなら、公園にいるお母さん方は、華美ではなくても、お洒落に気をつかっている方ばかりだったからです。 それからしばらくして、レムリアの集会に初めて親子で参加した日のことです。一緒に電車に乗っていた娘が、「きれい。きれい。いつもこういう格好すればいいのに」と、言いました。私が着ていた色鮮やかなニットやアクセサリーに、まるでとても大切なものに触れるかのようにそっと指をすべらせて、にっこり微笑みました。その時、母親がどのような装いでいるのか、娘の心に影響を与えているということを初めて知りました。 身だしなみを整えることは大人に対する礼儀として必要なことだと、単純に考えていました。そしてセレニティ様のこのメッセージに出合ってからは、一緒にいる方や周囲の方がたを思いやる気持ちを持って、単に外見だけに気を遣うのではなくて、心が安らぐような装いになっているだろうか。そのようなことに思いをめぐらせて身だしなみを整えるようになりました。装うということは愛の表現の方法のひとつであるということ、そして、それは大人だけでなく子どもに対しても同じであるということを我が子に教えられ

つらい経験から得られたもの

「あなた方が今、苦しみ、悩んでつまずき、そしてその中で学んでいる中において、それこそが多くの人びとを助けていく最も大事なよすがとなっていくということを、わたくしは申し上げているのです。  人の苦しみ、悲しみを、本当の意味で自分が苦しみ、悲しんだ者でなければ、やはり人の涙の意味などわからないということなのです。生まれて一度も病気をしたことがない、一度も悲しい思いをしたことがない、人に裏切られたこともないという方が、本当の意味で、自らの隣人たちの苦しみや悲しみや、病気のつらさというものを分かち合うことはできないということなのです。」 (聖母マリア) 以上、きれい・ねっとより出版された「スピリチュアルメッセージ集76 大天使サリエル・聖母マリア」(アマーリエ著)p104より転載致しました。 こんにちは、 レムリア・ルネッサンスのレイと申します。 私は学生の頃、家族の間に愛情が少なくなり、家庭が荒れた経験があります。 それは大切な家族が、精神をおかしくしてしまうほどのものでした。 当時は私も精一杯でしたが、今では年月も経ち、家族にも笑顔が戻ってきておりま す。 私はその後、実家を離れて以前よりも人口の多い町で暮らし始めました。 それまでは、家庭があのように荒れるのは滅多に無いことで、自分の経験したことは、誰にも分かってもらえないものだと、どこかそういう思いがありました。 しかし、新しい町に移りますと、夜に他の家々から男性の怒鳴り声や女性の気が高ぶった大声が聞こえてくる事がありました。 以前の自分の家庭を思い出し、とても他人事には思えませんでした。 何も出来ずにいてしまいましたが、少しかもしれませんが自分なりに、苦しい気持ちが分かる思いでした。そして、自分のところだけではなかったんだなと気付かされたのでした。 また、実際に他の家庭のぶつかり合うところも目にし、微力ながら止めに入ったこともありました。 その時に、自分の大切な家族を思う気持ちで対応することができたのではないかと思います。もし、自分に何の経験もなかったら、きっとそうはいかなかったと思います。 当時は自分の中で本当につらかった思い出も、他の方々の気持ちを少しでも分かることができたと思うと、とても有難い経験だったのだと思います。 また、他の家庭のそのような事情を目にし、ようやく自分の思い出だけに捕らわれなくもなりました...

感謝をすること

「愛というのは感謝であるということ。そのことに気づけない自分自身がいたのだということを深くわかったのであるのならば、今気づけた自分に対して、多くの者たちに対して感謝をし、そして今気づけない友人たち、同僚たちがいるといって、隣人たちがいたといって彼らを責めないこと。 なぜならば、昨日の、昔のあなた方であったではありませんか。そうでしょう。今あなた方は気づけた。でも彼らはまだ気づけない。でも以前あなた方は気づけなくて、同じように人を裁いていたかもしれないのですよ。であるのならば、彼らのことも赦してあげなさい。  『彼らもいつか気づき、神の懐に、神の子として戻って来られますように』と、心からの祈りをもち、あなたは神々に対して祈り、そして、自らやれるべきことをして、愛深く彼らが戻って、神のところに戻って来る日を待ち続けなさい。それが愛です」 (アモール) 以上、きれい・ねっとより出版された「スピリチュアルメッセージ集59 アモール」(アマーリエ著) P86~P87より転載致しました。 皆さま こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの なまる と申します。 今日は私の家の隣に住んでいる主婦のAさんのお話をしたいと思います。 16年前、私と主人はお義母さんの介護のため、主人の実家に引っ越してきました。 当時は慣れないお義母さんの介護や、新しい環境になかなかなじめず、辛く感じることが多くありました。その一つが、隣に住んでいるAさんご夫婦でした。私がAさんとお話することはほとんどなく、回覧板を渡す時ぐらいでした。けれど、初めてお会いした時から、何かととげとげしい口調で、私はよく叱られました。顔を合わすたびに怒られるので、私は回覧板を渡すことがとても怖くなってしまい、2週間ぐらい回せなかったことがありました。どうやら私が来る前から、主人やお義母さんと仲が悪く、ケンカをたびたびしていたようです。Aさんのことを主人に相談しても「ほっとけ」とAさんの悪口を言うばかりでした。ただ私は主人が言うほど、Aさんが悪い人のように思えませんでした。言い方はきついですが、私が間違っていることを注意してくれたり、町内のルールを教えて下さいました。でも、どうしたらAさんと仲良くできるのかわかりませんでした。 その時、アモールさまのメッセージと出会い、ハッとしました。どのような人であっても、感謝の気持ちを忘れな

問いかけながら生きる

「わたくしたちは皆、地上に生まれたとき、愛が何であるかということを学ぶために、そのために生まれてくるのです。愛を理念だけではなくて、愛あふれる行いとして、人生の中でどのように生き切ることができるか。他者の痛みというものを我が痛みとして、その他者の痛みを少しでも自らの言動で軽くし、その人の幸せに何かひとつでも貢献できる道を探すことができたであろうかと、そのように問いかけながら日々を生きる。それを愛ある人生であると、わたくしは思うのです。」(聖母マリア)   以上、きれい・ねっとより出版された、「スピリチュアルメッセージ集65 聖母マリア」(アマーリエ著) P19より転載致しました。   皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの愛美(あいみ)と申します。 私は、先日、初めて主人とカトリック系の養護施設に子どもたちのお世話をさせていただきました。広い敷地の中に乳児院、保育園、高齢者介護施設などたくさんの福祉施設があり、当日は、2~4歳児が暮らすホーム園のお手伝いに入りました。最初は緊張していたのですが、子どもたちに笑顔で接するようにしていると、少しずつ馴染んでくれ、一緒に遊んでくれるようになりました。子どもたちが段ボールで作ったソリで芝すべりをしたり、手をつないで歌をうたいながらお散歩したりしました。お昼になると、神さまにお祈りをして、みんなで食事をしました。   そのとき、仲良くなった一人の女の子が、「大切なものを見せてあげる」と言って、タンスの中から蓋(ふた)のついた小さなプラスチックの容器を持ってきました。「これは何?」と聞くと「最初はチョコレートが入っていたの。全部食べて無くなったけどとてもいい香りがするよ。嗅いでみて」と言って、私に空っぽの容器を渡してくれました。蓋を開けるといい香りがしたのですが、「すぐ蓋を閉めて」と言うので、理由を聞くと、「前の誕生日のときにお母さんからもらったものなの」と教えてくれました。女の子にとっては、空の容器であってもお母さんとの大切な思い出が詰まった宝物だったのだと気づきました。本当は、いつもお母さんの傍に一緒にいたいという思いをもって施設で暮ら す子どもたちの心情が少しわかったような気がしました。   帰り際に、園長先生から、職員の皆さんたちは実の親の代わりになれるぐらいに、子どもたちに深い愛情をもった関わりあいをして、育てて

自分を表現することをためらわない

「愛の原点というのは、わたしたちは神の子であり、愛のエネルギーそのものであるということ。オリジナルの自分を表現することをためらわないで、自分自身を愛の表現者として、勇気を持っていきましょうと。       それがほんとうの意味での幸せで、ほんとうの意味でわたしたちの魂を自由に解放させていく道なのです。  やはり、なにか愛のためにお役に立てる、神様のためにーー、多くの仲間、神の子たちのために、地球のために、宇宙のためにというのが、神様のためにでもあるのだけれどーー、自分という存在が無意味ではないと、何かお役に立てる力があると思うことは、ほんとうに幸せなことだと思うのです。  ささやかなことでもいいから、お役に立ちたい、みんなそういうふうに思っていると思います。そしてそれを、いちばん言ってあげなければいけないのは子どもたちなのです。」(アマーリエ) 以上、徳間書店より出版の「アマテラスの祈り」(アマーリエ著)P254、255より転載致しました。 こんにちは。レムリア・ルネッサンスの小梅と申します。私はもともと心配性で周りの反応が気になったり、他人にどう思われるかを気にしてしまう性格です。そんな自分が好きになれず自己嫌悪に陥ることもよくありました。 そのことをレムリアの人に相談した時に「神の子としての自覚が足りないんじゃないかな」と助言を頂きました。理屈では「神の子」、「神は愛のエネルギー」と教わり、頭ではわかっていても未熟な私はどうしてもそれを実感することができませんでした。 そんな中、このメッセージを読んだ時に、まずは自分の愛をためらわずに表現してみることが大切なのかなと思いました。愛を表現すると言っても私は文章を書くのが苦手で言葉で伝えることも得意ではありません。自分には何ができるのだろうと思った時に、今習っている笛のことを思い出しました。 先日、初めて笛の先生と一緒に老人ホームの慰問演奏に参加させて頂きました。初めは皆さま無表情で、私も緊張して音がうまく出ませんでした。それでも「皆さまの心が元気になりますように」という思いで何曲か演奏するうちに、一緒に手拍子をしてくださったり、歌ってくださり、楽しんで頂けたようで嬉しかったです。私にはとても難しい楽器ですが、表現することをためらわず、聴いてくださる人の心が少しでも癒されるような演奏ができるようになれたらいいなと思い

子どもを育てさせていただく

「高いバッグを買ったり、高いお洋服を買ったり、ひじょうにある意味で目に見えるもので、女性もまた虚飾を張ろうとするのが事実なのです。その過程の中で、まだバッグやハンドバッグや、靴や洋服ならまだよいのですけれども、何を考えたのか、生まれた子どもを通して自らの自己実現、エゴの実現というものをしようという、そのような女性たちが多くなっているということなのです。  子どもは子どもとして、神より与えられた大事な大事な宝です。一時お預かりし、「子どもは子宝」と言いますけれども、子どもは授かったのならば、それを育て上げて羽ばたかせ、一時お預かりしたお預かりものであるという気持ちで、魂を受け入れねばなりません。そして、あるがままに受け入れ、あるがままの個性を、魂を受け入れ、愛の中で、無償な無私の中において育み育てるという、それが女性の使命であるのです。」(日向) 以上、きれい・ねっとより出版の「スピリチュアルメッセージ集60 日向」(アマーリエ著)P25より転載いたしました。 みなさま、こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの、ことりと申します。 私にはもうすぐ一歳になる娘がいます。 出産前から神理に出会っていましたので、「子どもとは神様から一時お預かりした大切な命。その子の個性が花開き羽ばたいていけるよう、自分の価値観を押し付けることなく、全てを受け入れ育てさせていただこう」 そう思っていました。 しかし、娘が8ヶ月くらいのことでしょうか。 表情も豊かになり、外出先で娘に対して色々な人に話しかけられることが多くなってきた頃です。 「可愛いわね~今何ヶ月?」 「こんにちは。あら~笑ってくれるの」 「愛嬌があって良い子ねー」 そんな風に声をかけられ娘を褒められる度、何だか母親である自分まで褒められているような、世間から評価されているような気がしてきたのです。そして「できればこのまま、周囲の人たちから褒められるような、自慢できるような子どもに成長してほしいな」という気持ちが出てきました。 その時はそれが自分のエゴであり間違った思いだと気がついたので、なんでそんな思いを持ってしまったのだろうかと、自分自身に対してショックを受けました。そしてこの日向様のメッセージを思い出しました。子どもをハンドバッグのように扱うなんて考えられないと思っていましたが、他人事ではなかったのだと反省しました。 そし

出産

「出産におきましても、男女の出会いにおきましても、すべて神のご意志に組み込まれた中にあります。 出産による痛みも、もし安易に産んでしまったのならば、どうでしょう。今でもあれだけ痛い思いをして十月十日抱えて産むにもかかわらず、子どもを平気で捨てていき、殺してしまう母親たちが、今います。 あの痛みがなかったなら、もっともっと安易に子どもを産んで、イヌ・ネコのように産み捨てることでしょう。あの痛みにも意味があるのです。」 (玉依媛命) 以上、徳間書店より出版の「アマテラスの祈り」(アマーリエ著)(玉依媛命)P225~P226より転載 皆さま、こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの宇佐見祐加と申します。 私は0歳児を育てている主婦です。 「出産は痛そうでこわいな。私に耐えられるのだろうか」 幼い頃からテレビで出産シーンを見るたびにそう思っていた私は、帝王切開を経験しました。 出産は、鼻からスイカを出すようなものと言われるくらい痛みを感じるものです。 帝王切開は麻酔をするので痛くないと思われていることもあるかもしれませんが、お腹を切るので術後は痛み止めを飲んでいても痛いです。 術後の翌日には血栓予防のために、痛みに耐えながら産院の中を歩く必要があり、またお腹を切った痛みの他に後陣痛による痛みも加わります。 一人ひとり身体は違い、痛みにも個人差がありますが、いずれにしても出産は痛いことには変わりありません。 私の場合は、妊娠中に大きくなってしまった子宮筋腫が産道を塞いでいて、出産の際に赤ちゃんが苦しくなってしまう可能性が高いということで、赤ちゃんのためにも帝王切開をすることになりました。 麻酔を打ちましたが、あまり効いていない状態でした。 赤ちゃんがお腹の中にいるので追加の麻酔を打ってもらえずに、そのままの状態で赤ちゃんを取り出すことになりました。 お腹を切られるのも痛かったけれど、それ以上に赤ちゃんを取り出すことが痛くて仕方ありませんでした。 本当に痛くて、泣き叫びながらの出産になりました。...

自分を守らないこと

「だから、とにかく裸になっていく。この間から何度も言われていることですが、自分を守らないでいようとすることが、最も早く強くなっていく、進化していく道だということです。恐怖心を持って、いろんなものから自分を守ろうとか、欲の中で自分だけが、という思いで自分を飾ろうとすると、進化発展が遅れてしまうのです。 だから、ほんとうに愛一色に―――。それが神の子であるということなのです。」(アマーリエ) 以上、徳間書店より出版の「アマテラスの祈り」(アマーリエ著)P249より転載。 こんにちは。レムリア・ルネッサンスのたまきと申します。 私は一時期、主人の仕事の関係で海外で暮らしていたのですが、しばらくの間ほとんど言葉がわからず、ひとりで外に出るのも人と会うのも不安でとても憂鬱でした。 引っ越した当初4歳だった息子もやはり言葉には困っており、現地の幼稚園に通い出したばかりのころは「みんなが何を言っているかわからないから幼稚園に行きたくない」と言って泣いたこともありました。 でも息子はそれからどんどん言葉を覚えていきました。 「すごいなぁ」と思って見ていると、息子は不格好でも間違っていても、誰かが聞いていても誰もいなくてひとりのときでも、かまわずよく喋って遊んでいました。 その一方で自分自身を振り返ってみると、私は「うまく話せない」とか「間違えたらいやだな」、「通じなくて返事がもらえなかったらどうしよう」と、そんなことばかり考えていつも話すことから逃げていました。 そして当然ですがあまり進歩もありませんでした。 そのとき私は、それまでもずいぶんこうして失敗や間違うこと、傷つくことを恐れて自分を守っていたんだなということに気がつきました。 今思うと、無意識のうちに枠からはみ出すことを恐れ、それでも自分自身でありたいという思いとの葛藤の中で動けずにいたのかもしれません。 でもこの神理と出会えたことで、 ありのままの自分というものを信頼して表現していきたいと思うようになりました。 それから、拙い言葉でも少しずつ周りの人にあいさつをしたり、話かけてみたり、できることからするようにしてみました。 そうしているうちに、以前なら人から声をかけられないよう、逃げるように近所の前を通り過ぎていたのが、人と会って話をすることが次第に楽しくなっていきました。 また、満足に話せなかったとしてもあまり気になら

私たちは神の愛に生かされている

「魂は永遠であるということ。  死ぬことは少しも怖くないのであるということ。  幾転生を通しながら、人びとは学び、幾つかの過ちをしても、過ちがあるからこそ人間であるのであると。  過ちを、その人の欠点も含んで、神は愛されているからこそ、この永遠の命を与えたもうているのであるということ。  それほどに神の愛というのは、慈悲というものは、深く大きいものであるということ。  その大きなる神の愛に、我々は生かされている神の子たちであるのだということ。」(マイトレーヤー)   以上、きれい・ねっとより出版された「スピリチュアルメッセージ集52 マイトレーヤー」(アマーリエ著)P37より転載。   こんにちは。 レムリア・ルネッサンスの、いちごと申します。   神理を学んでいると「神の愛によって生かされている」と色々な方の霊言に書かれています。 それを頭では理解できても、心から実感するということがなかなかできずにいました。   思春期の頃の私は、実はあまり良い子ではありませんでした。 学校で禁止されていることや、親が困ると思うことをやるのが、わりと好きでした。 例えば、禁止されていた自転車通学を行ったり、学校や塾をサボったり、というようなことです。 今思えば、親の関心を引きたかったのかもしれませんが、当時は冷静に自分の心と向き合うことは考えもせず、「自分がやりたいことをやるんだ」と思っていました。...