感謝

「一生真っ暗な闇の中で閉ざされ、光を見たことのない者が、光り輝ける素晴らしい、美しい自然界の姿を見たときの感動。耳も聞こえぬ、ほかの方がたの声も聞こえぬ、音のないサイレントな世界の無音な世界の中で、何の声も聞こえない孤独の中に閉じ込められていたときに、一筋の小鳥のさえずりを、波の、さざ波の音を、木々の風の吹き抜ける音を聞いたときの感動を、あなた方は味わったことがありますか?
 あなた方はあまりにもそういう幸せに慣れすぎていて、感動することを、感謝することを忘れている。幸せというのは何かをつかまえたり、物質的なものをつかまえたからといって幸せがあるのではないのです。自分がおかれているささやかなことでも感謝し、それを感動をもって、人生の中で愛を人びとに振りまいて、神に感謝して、自らの神の子としての生きざまを、人生をかけて精一杯生き抜いていった者には、たとえどんなにみすぼらしく見えた生涯があったとしても、本人の心の中は、幸せと感動で、震えているのです。」
以上、きれい・ねっと 出版「スピリチュアルメッセージ集51 ヘレン・ケラー」(アマーリエ著)  より抜粋致しました。

皆さまこんにちは、レムリアルネッサンスのミオと申します。

私は切迫早産のため、約5か月病院での入院生活を送ったことがありました。
立っていいのはトイレと洗面のみ、そのほかはできるだけベッドで横になっていました。本などは読むのですが、それ以外の行動はできず、お腹の赤ちゃんの成長に一喜一憂する日々でした。
そんな毎日の中で喜びだったのは、美しい夜空、雲の形、雪など、窓の外の変化を見ることでした。普段元気に歩きまわれるときはなんの感謝もなく当たり前の光景でしたが、自由に動け、いろんなものを見ることができるということは、本当にありがたいことなのだと思いました。
妊娠期間が進んでくると、稀に主人に車椅子で押してもらいながら病院の売店に連れていってもらえました。病院の玄関を出て、新鮮な空気を吸ったとき、本当に心地よく、早く無事に退院して新鮮な空気をずっと吸っていたいと思いました。
 入院中、お腹の子のために体はあまり動かすことができず、自分がふだん元気に健康に動けることのありがたみを感じました。また、看護師さんや医師の方がたに本当に毎日お世話になり、自分ひとりで生きているのではなく、周りの人から助けられ支えていただいてるのだと実感しました。そして、子どもを産むまでのことが私にとっては当たり前のことではなく、とても大変なことだったのですが、人間の生命の誕生の尊さを心から感じました。それは自分の子どもだけでなく、自分も、友人も、世界中のすべての人、一人ひとりの命が尊いのだということです。言葉ではわかっていましたが、本当にそうなのだと心に刻むことができました。
わたしは普段当たり前のものに、なかなかありがたさは感じていませんでした。でも今回の経験を通じ、たくさんの美しい自然に触れることができ、自分が健康に生き、時間と行動の自由があり、周りの人との縁があって一緒にいること、それはすべて当たり前のことではないと実感しました。そのすべてを創られた神の力を、神の愛を感じることができました。そして、自分の周りにあるすべてのものに対して感謝の想いが湧き上がってきました。感謝は心だけでするものでなく、自分の周りに、そして神に対し行動で表現していきたいと自然と思いました。これから先の人生、時間を大切にし、自分ができることを精一杯やっていきたいと思っています。