子育てから学ぶ

皆さま、こんにちは。レムリア・ルネッサンスの「さち」と申します。
最近、子育てを振り返る機会があり、その当時書いていた日記を読み返しながら、反省した出来事があります。

私には20代の息子がいますが、その子が3歳ぐらいの時に外へ出て仕事を始めました。早出があったり、夜に帰宅したりで忙しく、日々の仕事と家事をこなしていくことで頭の中はいっぱいでした。そのため、私の心の中は、子どもが早く起きて、自分できちんと仕度をして、保育所では元気に遊び、夜9時頃には寝てくれたら、家事も早く終えられ毎日がスムーズにいくのにと自分勝手な思いを抱いていました。

しかし、子どもにも自分の思いや好き嫌いもありますから、親の思うように動いてはくれません。わがままを言うし、自分の思いを通そうと駄々をこねたりします。子どもを育てるのは大変だなと思いながら、ゆっくり子どもに目を向ける余裕もなく、「早くご飯をたべなさい」「ゲームはもうやめて、早く寝なさい」と、細かく注意をしていました。
子どもへの注意や指摘は、しつけのためというより、私自身の日常の忙しさからイライラしていて、子どもに当たっていたように思います。

息子が6歳ぐらいの頃です。
ある時、「お母さん、天国と地獄とどっちがいい?」と聞いてきました。私は「もちろん天国だよ」と答えました。「だったら、ぼくのこと怒ったら天国にいけないよ!」と言います。私が「じゃあ怒られないようにしようね」と言うと、息子は首を横に振りながら、「ちがう! ぼくが何をしても怒ったらだめ!」と、何かを訴えかけるような目と悲しそうな表情で私を見て言いました。
その時は、「困った子ね」と思うだけで、子どもの気持ちに立って考えてみることができませんでした。

今振り返ってみると、その時の息子の言葉は「もっとぼくのこと思ってよ」「ぼくの方を見てよ」という心の叫びであったと思います
人に迷惑をかけたり、相手を傷つけたりした時は、子どもに納得のいくような方法で教え諭さなければいけません。けれども、私は自分の中で「子どもはこうあるべきだ」という理想を作り、できていれば良しとし、できていなければ正そうとし、子どもの行動に対して寛容になれずにいたのです。そして、子どもの思いを察することなく私の意思を押しつけていたように思います。
母親が子どもを自分の持ち物のようにコントロールしようとした時、また、子どもを尊重しなかった時、それが本当に自分を愛してくれている姿ではないと子ども自身敏感に感じとっているのだと思いました。

神理に出会ったのは、息子が高校生の時でした。子育てにおける母親のあり方についてを学んでいく中で、母性とはすべてを包み込むようなものだと知りました。その子の行いが正しいとか正しくないとかで裁いたり、自分の願望を子どもに押しつけたりすることなく、ありのままの子どもを見ていくこと。条件をつけないで受け止めて、育むこと。それが母性であり、子どもと接する上でとても大切なことだと学ばせていただきました。
母親は、子どもを尊重し、そして神様からつくられたかけがえのない個性が花開くよう、抱きしめて育み、社会に羽ばたかせていくという役割があったのです。

子育ては終わりましたが、ほんとうの意味で子どもを愛するとはどういうことかを学ばせてもらった貴重な経験だったと思っています
息子は親元から離れて働いていますので、帰ってくるのはお正月とお盆ぐらいですが、悩みなどがあれば、相談に乗ったり励ましたりしています。これからも魂の成長を願いながら、あたたかく見守っていきたいと思います。