女性に生まれて

みなさまこんにちは、レムリア・ルネッサンスの秋野稲穂と申します。

私は中学生の頃まで “なぜ自分は女性に生まれてしまったんだろう”という疑問をいだいていました。幼稚園へ行くときに着る服や靴下に、花の模様やフリルが付いていると嫌でしょうがありませんでした。毎日暗くなるまで野山を駆けずり回り、主に基地を作ったり、戦闘ごっこをして遊んでいて、「キャー!!」という発声は絶対に使わないというこだわりのある子どもでした。

しかし、そんな私も次第に成長し、好きな人ができたり、結婚をして子どもを産み育てるたびに、女性に生まれてよかったと思うようになりました。人に尽せる喜びや、小さな命を育み、愛おしむことのできる幸せ。あるときは、「自分の命に変えてでもこの子を守る」という、母の強さと勇気が自分の中から奮い立ってきたこともありました。それは、自分だけのためだったら、諦めたり、妥協するのは目にみえていたことだったので、まさか自分がここまで強くなれるなんて信じられないほどでした。また、落ち込んで自分の壁から出られなくなったときや、自分ではどうしようもなくなったときに手を差し伸べてくれたり、話を聞いて一緒に泣いてくれたり、ただ黙ってそばにいてくれたのは、いつも女性の友人であり、母でした。今までどれだけ女性に心を救われてきたんだろう。とあらためて思います。

女性には生まれたときから受容性と母性が備わっています。その表現方法はお一人おひとりの個性や状況によって違いますが、相手に心を開いて受け入れたり、「そうだったの、大変だったわね」と、「心配してたのよ。あまり気にしないで」、「大丈夫よ」と、声をかけられたときは(そうだ、私、ひとりじゃないんだ。案じてくれる人がいるんだ)と、見守られていたことに気がついて、その心のぬくもりに癒され、周りの人の存在の大きさと、その人たちの支えがあったからこそ、今まで生きることができたということに感謝ができるようになりました。
私は女性霊のメッセージで女性の役割や持ち味を学びながら、日常生活で経験していくことで、女性として生まれ、生きられることへの喜びと幸せを心から感じられるようになったんです。

どの方もご自分で人生計画を立てて生まれていらっしゃいますので一概にはいえませんが、多くの女性は結婚をして妻となり、嫁となり、母になっていくように、年代によって立場や環境が変わっていきます。私は義理の母、そして、おばあちゃんになれるのかもわかりませんし、いずれは親の介護をすることになるのかもしれません。また、仕事で女性の立場から若い人を育てることも増えてきます。そのような状況の変化やそれに伴うさまざまな方との関わり合いの中で、これからも私なりの受容性と母性を表現していきたいと思います。