「病と闘うな」とよく言いますね。闘病というけれども、病と闘うのではない。病を受け入れて、自分の体質と共存して、それもすべて自分がインプットしてきたことであるということをすべて受け入れて、それとともに生きるということを―…
健康で平和に生きているときにはわからなくても、重大な病気をしたときに、「神よ」と言って信仰に目覚める方がたは多いはずなのです。命はいつまでもあると思い続けていても、けっしてね―――。神がどんな一人においても、永遠の命を…
そなたたちは心の中でまだ起きてもいないことを、くよくよくよくよ悩むことにより、体の中で自己処罰の概念というのを、意識の中で植えつけ、それが肉体に反映し、様々な病をつくってしまっている。 だから、新しい病が起きるたびに…
原因があり、結果がある。それはその冷徹なまでのルールというのがあり、それは神の根本的な法則そのものでもあるのです。 そのことを思ったのなら、病を得るには、病を得る原因があったのです、その方に。よろしいですか。今までに生…
難病と申すような、原因不明の病気に急にかかったりする場合があるのです。それはなぜかって言うと、その時期に一挙にカルマの総清算をして、そして十分償いをして、次の世界にまた飛躍して、アップしていこうという、そのような気持ち…
病気も、苦しみも、すべて、私たちが学ぶために、私たちを成長させてくれるための、ひとつの題材でしかなかったのだと、そう思ったとき、死ぬことも、悲しいことでも苦しいことでもないよと。病気であったとしても、さまざまなふうな環…
病ということだけを言うなら、過去世での大量のカルマの清算という場合もあるでしょう。魂を穢(けが)したくないから早く帰ってきたい、と設定した場合は、何かしらの病を設定しなければ帰ってこられないので、病があるのです。 だか…
人にはそれぞれの寿命においての限界があるのです。それは望む、望まないではなく、本人自らがそのように設定してきているということ。 最初から与えられた寿命に中において、後半病気でとか、そういうので亡くなるけれども、そのよ…