第7話 香代おばさん

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押し黙ったまましばらく歩いているうちに、愛実めぐみの心はようやく落ち着いてきた。

「ねぇ…、親を自分で選べたらよかったって思うことない?」

いきなり、こんなことを聞いて良いのか分からなかった。でも、今の愛実の中では大きな関心事だった。

「ああ。俺、何度もそう思ったよ」
当然だと言わんばかりに、あっさりと返事が返ってきた。

「そうなの?」

驚いた愛実は、広樹ひろきの顔をのぞきこんだ。

「ああ。俺の親父さ、ギャンブル狂いの暴力ジジイ。
最悪でさ。もう、スゲー大キライだった」

そこまで言い終えると、広樹はいつにも増して真面目な声で話を続けた。

「でも病気になってからというもの、今度は人が変わったように貧弱になってさ。あまりの豹変ひょうへんぶりに周りはあきれてる」

いつも明るく振舞っている広樹が、そんな辛い経験をしていたなんて想像もつかないことだった。
愛実はただ黙って話を聞くことしかできなかった。

「俺もなかなか親父のことゆるせなくてさ」
「赦す? 子どもが、親を?」

愛実は広樹の横顔を見つめた。

ふうっと、一息つくと広樹はうつむいて自転車のハンドルをにぎりなおした。

「でも、やっぱり自分の親だしさ。最近やっとひとりの人間として見られるようになったんだ。親とはいっても、完璧な人間じゃないよな。

でも、その人なりに一生懸命の人生なのかもしれない。
今まで、あんまりいい思い出はなかったけど、ここまで育ててもらったわけだし。

親父のこと、もっと大切にしたいって今は思ってる」
広樹は静かに話し終えた。
自らの体験を一つひとつ丁寧に語った言葉は、愛実の心の中に深く印象付けられていった。

(親だって完璧じゃない。か…)
一歩一歩、足を進めながら愛実は母親との関係がどうしてこうも、ぎくしゃくしているのだろうと思わずにはいられなかった。

他の人だったら良好な親子関係でいられたのだろうか。
それとも、もう少し優しく接してくれたなら、もめることはないのだろうか。
黙って歩いているうちに、愛実の家の前まで来た。

「ありがとう」
いつも通りとは言えないが愛実は何とか笑顔で言ってみた。

「俺でよければ、いくらでも相談にのるから」
(広樹君…。そんなに優しくされたら、また涙が出ちゃうよ…)

うるんだ瞳を見られまいと、愛実は広樹の胸に顔をおしあてた。
広樹は優しく髪をなでると、そっとおでこにキスをした。

「じゃあ…」
広樹はそれ以上何も言わずに立ち去っていった。
愛実はその後ろ姿が見えなくなるまで玄関先に立ち続けた。
「ちょ~~イケメンじゃ~~~ん!」

突然背後から声がした。

「ぎゃあぁっ! 何ぃ?」

愛実はぎょっとして振り返った。

「メグちゃん、やっる~う! 今度、私にも紹介して~。
はははっ~!」

塀の陰から香代かよが顔だけ出して、こちらを見ている。

「ひええーっ!」

びっくりして愛実は尻もちをついた。

これ以上はムリというほどの満面の笑みを浮かべた香代が、大きなお腹に手を当てながらゆっくりと歩いてきた。

「あっはっはっ! メグちゃん久しぶりねぇ~」
「びっくりした。やっだあ、もうー。香代さん。いつ来たの?」
愛実は不格好に脱力して立ち上がると、スカートに付いた砂ぼこりを払い落した。

「さっき着いたのよ。そしたらさ…、いいとこ見せてもらったわ~。ふふふっ」

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「いやあ、あの…、そんな、ねえ。そんなことより…。うわぁ~、お腹大きいね。このお腹の中に赤ちゃんがいるの? 信じられないなぁ」
愛実は話題を変えようと必死になった。

「不思議でしょう? もうすぐお目見えよ。メグおねーちゃん。よろしくね~」

「ねぇ、さわってみてもいい?」

「もちろん」
「すごいねー。でも出産って、痛いんでしょう?」

愛実は大きく膨らんだ香代のお腹にそうっと手を当てた。

「うーん、鼻からスイカを出すぐらいの痛みとは、言われているけど…」

(は、鼻からスイカ?)
愛実は頭の中で鼻の穴からスイカが出てくる様子を想像してみた。

(どう考えても無理でしょう。鼻から出せるのはスイカではなくて、スイカの種ぐらいじゃないの?)

目が宙を泳いでいる愛実があまりにおかしくて、香代は笑いながら続けた。

「まあ、それは出産の痛みを例えたもので、実際はそんなにすごいことじゃないのよ」
(えっ、でもそれほど痛いってことよね。痛いどころか、気絶ものじゃない? 第一、鼻の穴とスイカは大きさが違い過ぎるし――)

愛実の頭の中は血まみれの赤ん坊とスイカのひっかかった鼻の穴で埋め尽くされていった。

(落ち着くのよ、愛実。鼻の穴からは、赤ん坊も、スイカも、出ない。出ない)
「あれ? メグちゃん?」
香代が愛実の目の前で手を振って見せる。

「出産コワーッ!」
愛実は大袈裟おおげさに悲鳴を上げた。
ふたりは大笑いすると、じゃれあいながら玄関の中へ消えていった。

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