第16話 エピローグ

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香代かよの出産からちょうど一週間が過ぎた。
今日は香代の退院の日。

おだやかな秋の昼下がり。愛実めぐみは手早く身支度を整えた。クローゼットから上着を取り出したが、また元に戻した。

(上着はいらないみたい)
窓の外を見わたすと、澄みきった青空が広がっている。
愛実は両手を広げると、「うーん」と思い切り深呼吸をした。

「支度は出来た~?」
玄関から母の声がした。
「は~い」
明るく返事を返すと、愛実は軽い足取りで階段を下りていった。

「よかったぁ、お姉ちゃんとメグちゃん仲直りできて」

愛実が母親とふたりそろって部屋に入ると、香代は嬉しそうに笑った。

「私がここで産んだおかげよね」
そう言いながら、ベッドの上に無造作に置いた着替えやタオルを、ぐいぐいボストンバッグに押し込んでいく。

「何言ってるの。まったく、あんたは調子いいんだから」
智実ともみは苦笑いした。
香代は最後に残ったパジャマを適当に丸めて、ボストンバッグにねじ込んだ。

「ああ、ちょっと、貸してごらん」
見かねた智実は、パジャマをたたんで入れ直してやった。

姉妹なのにまるで親子のようなふたりを見て、愛実はひとりで笑ってしまった。
(きっと、子どもの頃から全然変わってないんだろうな。このふたりは)

「お姉ちゃんがこの産院を紹介してくれたのよ~。メグちゃん産んだ時にすごくいい助産師さんがいたから、って」
香代が言った。

「えっ、そうなの?もしかして…あの助産師さんのこと?」
愛実は母の方を振り向いた。
「そうよ。まさか私の顔覚えてるなんて思わなかったけどね。十六年も経つのに」

ノックの音がした。
「おやまあ、皆さんおそろいで。にぎやかでなによりだね」
久恵ひさえが顔を見せた。

「本当にお世話になりました」
香代はベッドからはだしのまま床に降りると、その場でペコリとお辞儀をした。

「お世話になりました」
智実と愛実は、ふたりとも神妙な面持ちで頭を下げた。
「いやあ、なんのなんの。またいつでもおいで!」

「はい、準備完了! それじゃあ、行きましょうか」
香代がボストンバッグをぽんっと、たたいた。

みんな揃って駐車場まで行くと、たった今到着したばかりのワンボックスカーから、香代の夫が降りてきた。

「遅くなってすいません。お義姉さん、お世話になりました」
会釈をして智実からボストンバッグを受け取り、後部座席に置いた。

香代は真新しいベビーシートの上に生まれたばかりの我が子をそうっと寝かせた。ベルトのロックがかかったかどうか、初めて親になったふたりは何度も何度も確認した。

「先生、ありがとうございました」
座席に座った香代が窓から顔を出した。
「何か分からないことがあったら、いつでもおいで」
久恵は笑顔を返す。

エンジンがかかる。
智実と愛実も笑顔で手を振った。
短くクラクションを鳴らして、車はゆっくりと駐車場を出て行った。

愛実は車が見えなくなるまで見送ると、隣にいる久恵に話しかけた。
「あの…。この前は、本当にありがとうございました。」

「いやあ、とんでもない。仲直りできてよかったじゃないか。その後お母さんとはどうだい?」

「前よりはだいぶ優しくなりました。実は…、父の会社が不況でボーナスが出なくなって、母は自分が頑張らなくちゃって働きに出ていたみたいなんです。私を大学まで出さないといけないって思ったらしくて。

それで両親はお互いにイライラしていたみたいで…。
でも、今回いろいろと話をしたら気持ちが楽になったって言っていました」

「そうかい…責任感の強いお母さんだね」

久恵はニッといたずらっぽく笑うと
「ちょっと不器用だけどね」
そう付け加えた。

「そうなんです。マジメすぎるんですよ。固いっていうか」
そう言う愛実の目も笑っている。

「そういえば、このあいだ先生から聞いた話を母にしたんです」
「そうかい」
「親子が約束して生まれてくるって話。母はびっくりしていましたけど、『あの先生が言うなら、きっとそうなんだろうね』って」

「おやおや、信用されててよかったよ」
久恵は大きな声で笑った。

「私…。自分の経験したことを、援交している子たちに話そうかなって思っているんです」
急に真面目な顔になって、愛実は言った。

「うまく伝わらないかもしれないけど、やっぱり自分のこと大事にできない子の気持ちって誰よりも分かるし。私みたいな悲しい目にあってほしくないし」

「そうかい…、よく言ってくれたね。すごく辛かったろうに、あんたって子は…」
久恵の目にうっすらと涙が浮かぶのを見て、愛実は照れくさくなって笑ってごまかした。

「先生言ってくれましたよね。失敗してもやり直せないことはないって。神様は見捨てたりしないんだって。あの言葉―。私、すごく嬉しかった」

「そのとおりだよ。私たちはみんな、神の子だからね。生まれてこなくてよかった人なんて誰ひとりいやしないよ。

みんな神様に愛されて、がんばってきなさいねって言われて生まれてきてるんだ。辛いことがあっても乗り越えられる力を与えられているんだよ」

愛実は黙ってうなずいた。
「みんなにもそのことを伝えたいと思います。ありがとうございました」

「あんた、ほんとうにいい子だね。大好きだよ!」

久恵は愛実を思い切り抱きしめた。

「あ~、先生。くっ、苦しい…」
祖母と孫娘がたわむれるような、ふたりの屈託のない笑い声が駐車場に響いた。

「愛実、行くわよー!」

「はーい」
愛実は母親の乗った自家用車に向かって手を上げた。

「それじゃあ、先生。失礼します」
振り返って一礼すると、愛実はゆっくりと空を見上げた。

私は愛されて、今こうして生きている。
神様の愛の想いが込められた、私の身体―。

そう思った瞬間、心の底から喜びに満ちた感覚がわきあがって来た。

愛実の目には、愛に気づいた自分の心に呼応するかのように、青空も日の光も澄み渡った空気さえも、喜び歌っているように光り輝いて見えた。

『愛実、あなたと一緒にどれほど涙を流したことかしら。これから先も、たくさんの愛を学んでいけるように、今まで以上に見守って、導いていくわね』
守護霊の瞳は喜びの涙で光っていた。

愛実は、あたたかな風が自分を包み込むようにして、そっと吹き抜けていくのを感じた。

おわり