第3話 迷う心

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夜九時を過ぎても駅周辺は帰宅途中の人でにぎやかだった。
仕事帰りに居酒屋へ立ち寄るサラリーマンや、仲間とワイワイ騒いでいる学生たち。
なかには、愛実めぐみのような制服姿の高校生もいた。

愛実は結局さっきまでいた駅まで戻って来てしまった。
行くあてなどなかったし歩く気力も失っていた。

コンビニに入ってパックジュースを一本買うとイートインスペースに腰を下ろした。

(私はいったい何をしているのだろう。
何が不満だというの? 何を手に入れればいいの?
誕生日を親に祝ってもらえばそれで満足?

最近お母さんとまともに話もしていないな。
こんなこと、していちゃいけない気はするけれど。
でもどうすればいいんだろう…)

愛実はガラス越しに空を仰ぎ見た。

夜の空。暗いばっかりで星は一つも見えない。
しっかり見上げないと夜だなんてわからない。
目線を元に戻せば、街灯に照らし出された街がそこに姿を現した。

二十四時間営業の店の前では、愛実と同年代の若者たちが何人もたむろしている。
愛実は自分の心の中にき上がる思いをどうしていいのか分からなかった。

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(家に戻った方がいいのかもしれない。でも誰も待っていてくれないところに、ひとりでいるなんて…)

そばで見守る守護霊は、寂しさでいっぱいの愛実の心の内を、自分の心の痛みのように感じていた。

『愛実まだ間に合うわ。今あなたの心が感じとったとおり、早く家に戻るのよ』

愛実は家に帰ったほうがいいと心の中でしきりと感じていた。でも、またあの暗い玄関にひとりで入っていく勇気はなかった。

結局愛実は自分の心の叫びよりも寂しさをまぎらわす方を優先した。

那美なみ、出てこられるかな…)
ケータイにメッセージを送った。

“那美、今どこ? これから、会える?”
“めずらしいじゃん。こんな時間に”
「よぉー! どうしたの、愛実」
近くにいたのだろう。那美はすぐにやってきた。

「なんだか、もう家にいたくなくって」
そう言ったきり愛実は黙りこんだ。

「何かあったの?」

那美は心配そうに顔をのぞき込むと
「あっ、そうだ。今日どうだった? 行ってきたんでしょ?」
思い出したように聞いてきた。

「うん。それがさあ、那美の言った通り。超簡単だったよ。あんなのでいいの? わけわかんない」
愛実は苦笑いしながら言った。

「大人なんて、わけわかんないのばっかりだよ」
人目もはばからず那美は大きな声で言った。

店にいた他の客が、一斉にふたりの方を振り向いた。

「出ようか―」

那美にうながされ愛実は席を立った。
何処どこに行くわけでもなく、身を持て余したように、ふたりはとぼとぼと歩き出した。
駅前のロータリーの先に置いてあるさびついたベンチまで来ると、ふたりして腰を下ろした。

この辺りは大きく伸びすぎた街路樹のせいで街灯の明かりが届かず、駅前なのに薄暗い。
夜になると、あまり人が寄りつかないところだった。

ケータイを眺めたり言葉を交わしたり。ぼんやりと遠くに目を向けたり。ふたりが何の目的もなくそこにいることは、誰の目から見ても明らかだった。

そこへ見知らぬ男が近づいて行き、ふたりの前で立ち止まった。ごく普通のどこにでもいる背広姿のサラリーマン風の男だ。

那美は立ち上がると、愛実に背を向けて何か小声でやり取りしている。
愛実はふたりの様子をただ眺めていた。
やがて那美が首を振ると、男は渋々立ち去って行った。

振り向くと何事もなかったような顔で那美が言った。

「今日はずっと、一緒にいようか」
「ありがとう。ねえ、今のって…?」
「あぁ、ホテルに誘ってきたの。『一万五千円でどうか?』だって」
まるで、買い物の合計金額を言うかのように無表情で説明する那美。

「えぇ…」
愛実は返事に困った。

「もっといけるよ。わからなくてもただ相手にまかせておけばいいだけだし。難しくはないよ。愛実もどう?」

「でも…」
(そんなことをしたら、お母さんなんて思うだろう…)
返答に躊躇ちゅうちょしていると、那美の目がどうする? とせまってきた。

(いつもひとりきりにさせたままで、娘の誕生日すら忘れているんだし。私のことなんてどうでもいいのよね。だったら…。)

その時、別の男がやってきた。
那美が慣れたそぶりで話をつけてくれた。
「じゃあ……」
愛実は那美に向かって小さく手を振ると、男と一緒にホテルに向かって歩き出した。

心の中で逃げだそうかと迷いが生じた。
足取りが急に重たくなったようにも感じた。
胸の鼓動は早まる一方でそわそわと落ち着かない。

(初めてだからちょっと緊張しているだけ。気にしないわ)そう自分に言い聞かせて心のざわめきを無視して歩いた。
愛実を何とか思いとどまらせようとして、守護霊は懸命にメッセージを送り続けたが、最後まで受け取られないままだった。

『自分の言葉が直接愛実の耳に届けられたなら』
そう思わずにはいられなかった。
 

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