第12話 人生の転換点ターニングポイント

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母子ともに経過に問題はなく、ほどなく個室に移った。
愛実めぐみ香代かよもすやすや眠る赤ちゃんを、にこやかな表情で眺めていた。

「赤ちゃんを産むのって、大変だね。母親って、すごいや」
愛実が香代を見直したという目つきで言った。

「そうね。母親も大変だけど、生まれてくる子も一生懸命、産道を下りてくるのよ。必死でこの世に生まれてこようと頑張っているのよ」

(私もそうやって生まれてきたのかな)
愛実は一瞬考えた。

「メグちゃん、私にずっと付き添って疲れたでしょう。ありがとう…、助かったわ。もうすぐ旦那が来られるみたい…。メグちゃんのお母さんにも伝えてくれるように言っておいたから」

さっと表情を硬くした愛実の顔を見て、香代は思い出した。
「そういえばメグちゃん。お母さんとケンカしてたんだって?」
愛実は香代から目をそらせると、うんとうなずいた。

「メグちゃんのお母さんね…、昔からすごく頑張り屋さんなの。私たち小さいときに両親亡くしてるでしょ。だから、お姉ちゃんはいつもいろんなことを我慢してきたと思うの」

(その話ならもう何度も聞かされている)
愛実は黙って下を向いていた。

「私はお姉ちゃんに頼りっきりだった…。ホントに感謝してるの。ものすごくマジメだから、もしかしたら他のお母さんより厳しいところがあるかもしれないね。
でも、メグちゃんのこと大切に思ってることだけは確かよ。できたら仲直りしてあげてほしいな」

「うん…。分かった…」
素直に返事をした。
(香代さんに対してここで何か言っても、お母さん自身が変わるものでもないだろうし、それに今更言い返す言葉も見当たらない…)

「それから…。メグちゃん。すごく辛いことがあったんでしょ? 私でよければ話、聞くよ」

一瞬打ち明けてしまおうか言いよどんだ愛実は無理に笑顔を作ると、ことさら明るい声で言った。

「死んでしまいたいなんて言って、驚かせてごめんなさい…。でも、もう大丈夫だから」
「ホント? ホントに、大丈夫?」
「うん、ホントに。たった今、赤ちゃんに、命の大切さを教えてもらったから」

愛実は努めて明るく振舞った。
出産という大仕事を終えたばかりで疲労の残る香代に、自分の事にまで気配りさせるわけにはいかないと思った。

「ねぇ、また赤ちゃん見に来ていい?」
「もちろんよ。何度でも見に来て」
「じゃあ、今日はこれで帰るね」
愛実は香代に手を振ると、静かにドアを開けて、そっと部屋を出て行った。

愛実は足音をたてないように気をつけながら廊下を歩いて行った。両側の壁に数えきれないほどの写真が飾られているのが目に入ってきた。

みんなこの助産院で生まれた赤ん坊とその母親たち、そしてその家族の姿だ。

成長した子どもたちが描いた絵や折り紙で作られた花々。感謝の手紙もある。

どの家族も、笑顔に包まれている。一枚一枚の小さな写真から、新しい命を迎えた幸せがほとばしり出てくるように見えた。

自分にもこんな幸せな時はあったのだろうか。
この世に生まれて来て、こんなふうに笑顔に囲まれて生活したことがあったのだろうか。

愛実は、遠い自分の記憶をたどろうとした。
(私もずっとずっと前に、こんなふうに笑顔だったような気がする)

――親を選べたらよかったって思うことない?
――ああ、俺、何度もそう思ったよ。
広樹ひろきの優しい声が心に響いた。

――俺、援交している女とは付き合わないから。
脳裏に現われた広樹の怒りと悲しみに満ちた顔に、愛実は愕然がくぜんとした。

(私は、自分から幸せを手放してしまったんだ。
取り返しのつかないことをしてしまった――)

――子宮は神様からの大切な命を預かる宮だから…。

目の前に並ぶ、写真の笑顔。沢山の笑顔が愛実に向かって微笑んでくる。
(私にはもう望めない幸せな笑顔なんだわ)

神様なんて…。ほんとうにいるの?
笑顔の写真がみるみるゆがんで見えなくなっていく。

戸締りを一つひとつ確認して照明のスイッチを切りながら、久恵ひさえが廊下の向こうから歩いて来た。

「おや、どうしたんだい?」
「あっ、今日はありがとうございました」
愛実は久恵に気づかれないように涙をふいた。

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「なんの、なんの。またひとり、神の子が誕生してくれて嬉しいよ」
「神の子…?」

「そうさ、神の子だよ。神様の愛を分け与えられた神の子なんだよ。もちろん、あんたも私もね」
久恵は愛実の両肩に大きな手をのせながら言った。

「私もですか?」
「もちろんだよ。この世に生まれてきた命は、み~んな神様の愛を持ってるんだよ。だって、神様自身が愛そのものなんだからね」

(どういうこと? もっと詳しく教えてほしい)
愛実は思いきって聞いてみた。

「神様って、ほんとうにいるんですか?」

「あ~ごめん、ごめん。じゃあ、そこから話そうか。
お嬢ちゃん、時間あるかい?」

久恵は愛実の返事が待ちきれない様子で、廊下にあるソファの方に歩いて行った。

「あたしは時間があまりないからね、手短に話すけどね」
愛実にもこっちに座るようにと、自分の隣を指さした。

「よっこらしょ」
そう言って、久恵はゆっくりとソファに座った。

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