第0話 プロローグ

登場人物紹介

 

もう全て準備は整っているのに、彼女の心は不安でいっぱいだった。
これから新しい世界へ出ていくというのに、今ある全ての記憶を消してしまわなければならないからだ。

今彼女がいるのは「天国」とか「あの世」と呼ばれているところ。
「この世」で人生を終えたあと、肉体を手放した魂がかえっていく故郷ふるさととも呼べる場所だ。

「この世」で死を迎えると肉体はなくなるが、魂が消えてなくなることはない。
「この世」と「天国」を何度も行き来しながら、永遠に生き続けているのが人間のほんとうの姿だ。

「この世」に生まれるたびに、親子の縁を結びこれからどのような環境に生まれ育ち、どのような人生を送るのか、あらかじめ人生計画を立てていく。一人ひとりが自分だけの人生の課題を持って「この世」に生まれていくのだ。

たとえ「天国」にいても、これから自分が生まれていく家族の様子は、あたかも雲間をかきわけるようにして、うかがい知ることができる。自ら思いを寄せれば「この世」に生きている人の心の内さえも、手に取るように分かってしまうのだ。
そして「天国」を去り、再び「この世」に生まれる時には、かならず「守護霊」と呼ばれるサポート役がつくことになっている。
「この世」に生まれた人にメッセージを送ることで、人生の課題を乗り越えられるように、文字通り「守護」するためだ。

「守護霊」は見ず知らずの他人ではない。ましてや、先祖の誰かでもない。生まれる本人の、魂の一部なのだ。

自分の一部であるからこそ常に寄り添い、決してあきらめることなくサポート役にてっしていく。
ただし、こうしたことを全て記憶から消したうえで「この世」に生まれていかなければならない。

「天国」で清らかな心を持っていた魂が肉体に宿る時、本能が芽生える。
それは自分を守ることにつながるのと同時に、欲にもつながっていく。
魂は「天国」という、形の見えないエネルギー体だけの世界から、肉体に宿って「この世」という物質に囲まれた世界へ居場所を変えたあと、さまざまな誘惑に遭遇そうぐうする。
あまりにも欲に目がくらんでしまうと、守護霊からのメッセージを受け取ることが難しくなる。
そうなると、人生計画に沿って課題を乗り越えることもままならない。

目に見えない存在が自分のために必死になってメッセージを送ってくれている。そう分かっていれば、心に浮かんでくる思いは単なる偶然ではなくて、生きていく上で貴重な道しるべとなるはずだ。

ただし、心に浮かぶ言葉の多くは自分自身の思いであって、「守護霊」からのメッセージとの見分けは容易ではない。
そのために「この世」で生きることが時として、孤独で難しいことに思えてしまうのだ。
「私、地上に生まれるのがとても不安なんです」
彼女はやっとの思いで自分の気持ちを打ち明けた。

「ここで人生の計画を立てて出て行っても、地上でうまくいかなくなってしまう人がたくさんいます。それだけ今の地上の世界は荒れた状態のようですね。だから怖いんです」
「大丈夫ですよ。今も見ていたでしょう。あなたはあそこに見えるあの女性と親子になって、一緒にがんばろうと約束したじゃないですか。
あの方も計画通りに約束した相手と結婚して家庭を築き始めたところです。彼女があなたを助けてくれますよ」

ガイド役は、彼女の不安な気持ちを見通していたかのように穏やかに言った。
そして、自分の隣に目を向けると言葉を続けた。

「それにあなたのそばには、いつもこの方が『守護霊』としてついています。心配などいりませんよ」

横でたたずんでいた守護霊は静かにうなずいた。

「私がどんな時でもあなたのことを見守っているわ。
何かあれば、必ずあなたの心の中の声となってメッセージを伝えるわ。だから大丈夫。がんばって」

彼女を見つめる守護霊の瞳には、何があってもあなたを守り続ける。そんな力強さがあふれていた。

「そうね。あなたがついていてくれるんですもの。
心配なんかいらないわね」
彼女の揺らぐ気持ちは次第に落ち着きを取り戻していった。

(ここでの記憶がなくなっても大丈夫。
約束したあの人の元に生まれて共に愛を学んでいこう)
そう思いを新たにした。

しばらくして、彼女の母親になる女性は妊娠した。

小さな受精卵は子宮に着床すると、細胞分裂をはじめた。
やがて身体の各部位へ変化していき、人の姿へと成長していった。

(ここまで大きくなれば、もう大丈夫だわ)
この時を待っていた彼女は、その肉体の中に宿った。
「天国」での全ての記憶を消し去って――。
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