自殺で逃げても、あちらの世界で新たな課題となる

自殺で逃げても、あちらの世界で新たな課題となる

制約された肉体だけの数十年がすべてであると思うから、刹那的になり、生きているうちに、すべてのもの、すべての快楽をむさぼりたい、それこそが悔いのない人生ではないかというような、大きな誤解をしてしまう。
しかしときの流れははるか何億年という、もっと昔の意識を持てるものであるのならば、何兆年という、そのような深い深い意識まで、わたくしたちは記憶を持っていくことができます。逆に言うと、今逃げたとしても、死んで、自殺して逃げたとしても、人生というのはそれで終わりになってくれるほど甘いものではないのです。肉体が終わったからといって、それで自分が逃げられるかといったら、それは逆で、あちらの世界に帰ってから、自分のしたことは、因果律の中において、何倍もの苦しみとなって、すべて自分に戻ってくるのです。結果は、すべて自分が引き受けて、自分で乗り越えていかなければならない課題となります。その因果律を考え、では、今この肉体のあるうちに、あなた方は何をするべきなのか。
人のことを悪く言ったり、人のことを憎く思うことよりも、ただ、何かを守るために、人はそのように悪の心に身をゆだねるのかもしれないけれども、でも、守るものなど本来は何もないのです。肉体が殺されるから、相手を殺すのか、そこが究極かもしれませんが、それなら殺されればいいのです。肉体がなくなっても、もしそれで愛する者との別離があったとしても、それは一時の別離なのです。そのために自分が殺人者になってはいけません。
他者を傷つけてまで守るほど、肉体は価値があるものではないのです。だからといって、むやみに自分から殺されればいいのかといったらそれは嘘です。感謝をもって、肉体を修行の大事な船として、肉体舟として、大事にしなくてはなりませんよ。ですけれど、ほんとうに守るべきものというのは、自らの神性、神の子としての愛、穢れのない神の子としての誇りです。
そのことをほんとうにあなた方がわかったのなら、今肉体を持っているこの三次元において、あなた方は何をなさいますか。どのように一瞬一瞬を使われますか。そのことを考えて生き抜けばよいのです。

きれい・ねっと 出版
「スピリチュアルメッセージ集52 マイトレーヤー」(アマーリエ著)  より抜粋