ゼウス
(ゼウスは、ギリシャ神話の最高神として知られているが、約3600年前に、実際にギリシャの地に肉体を持った実在の人である。地球霊団の最上階の10体の意識体のうちの1体で、天上界では、哲学や芸術を担当している。)大事なのは、人びとの心に眠る神の子としての神性を、今一度、揺さぶり目覚めさせること。それがいちばん大切なのだ。最初から神の子でない者を神の子にしろというのではない。皆、平等に、己が心の中に神の子としての神性を、もともと持っているのだ。それを目覚めさせよと。己れ自身に気づかせよと。そこに尽きているのだ。
そのために我々はさまざまな霊言集を通し、神理の言葉を伝え、「ああ、この言葉、聴いたことがある」、「かつて天上界で、この言葉を聴いたことがある」、「過去世、このような言葉を聴いたことがある」という思い出を揺り動かし、初めて自分自身の神の子としての神性に目覚めさせる。そなたたちは、その媒体にすぎないのである。
今世、改めて宇宙の成り立ちや、魂の兄弟たちの創造や、過去の文明について新たな知識を得たことはあるであろう。しかし、それに関してはあの世に帰ってからだって、学ぼうと思えばいくらでも学べるのである。知識ではないのである。
地球上にいる数十億の者たちが、いや、人間たちだけではない。動物も、地球自体も、すべてが神の子なのであるという、己が神性に、神の玉衣の中にある自分たちであるということに気づくところが最も大事なことなのである。
神理の些末(さまつ)的知識、そのようなものばかりに目を奪われ、学問化し、頭でっかちになるでない。神理というものは、もっともっと、シンプルなものである。
知識は、確かに大きな転換点のときの判断材料となり、理性や知性というのが大切なのはよくよく知っておる。しかし、もっと大事なもの、知識や科学文明の大きな進歩、発展に負けず劣らず、いや、もっと根本的に大切なのは、一人ひとりが神の子であるということ。愛の化身であるということ。そんな初歩的な、そんなシンプルなことを、なぜ、そなたたちはわからぬのか。
大切なのは愛の教えなのである。神の子としての神性を光らすことなのである。されば、そなたたちは芸術の流れの中において神の光を発信せよ。
神という大きな松明(たいまつ)、その光をいくつもかかげよ。そして、真っ暗な中で右往左往していた人びとを、神の国へ導くように誘え。皆、地獄に行きたい者など一人もいないのである。ただ、神のもとへ行く道がわからなくなっているだけなのである。この真っ暗闇の中で、神のもとへ、神のもとへ人びとを導きなさい。闇など恐がることなどないのである。闇とは光が消えた状態、それが単なる闇である。今一度、光が輝けば闇はなくなる。光の不在、それが闇である。最初から、サタンたちがいるから闇があるのではない。人びとが神の心を忘れたから、闇が広がっている。それだけなのだ。
もともと、地上を埋める、この多くの者たちは、誰一人もれることなく神の子なのである。その一人ひとりの中には、すばらしい神の子としての神性が、その光が灯っているのである。中に神の光が入っているのである。それを、今一度、目覚めさせ神の光に点火させよ。
神のもとへ!
神のもとへ!
何をあなた方、一人ひとりが本来、望んでいるのか、待っているのか。
気づけよ、気づけよと、光を発信しなさい。
我々は明かしたはずである。神とは本来、宇宙を統(す)べる根源的なエネルギーであり、そして、愛の奔流そのものであり、愛の法則そのものであるということを、私たちはそなたたちに伝えたはずである。
我々は神であると、ゼウス神であると、ポセイドン神であると、マヌ神であると、イエス・キリストであり、仏陀であり、マホメットであり、モーゼであるというふうに言ってきたかもしれないが、我々ですら根源神でもない。
我々は単なる人格神であり、神より与えられる、遣わされし、地球を守る、守り神、メッセンジャーである。そなたたちと同じ神の使徒であるということを、今明らかに、明かしているのである。
神とは本来、宇宙の中に流れる大いなる、大いなる、高いバイブレーションの中にある、愛そのものの奔流である。愛そのもの、慈悲そのものである、神のエネルギー体。
そして、そのひとつひとつのエネルギーを引いてつくられたのが、そなたたち、一人ひとりの人間たちである。神の子たちである。
それは人間たちでなくても、動物であっても、植物であっても、すべてが、大いなる神のエネルギー体から、すべてがそのエネルギーを、一筋ずつ、一筋ずつ、つなげられながらつくられて、三次元に物質化されて、降ろされていっているものなのである。
だから、すべてのものが神の子であるということ。
そして、神の子であるという神性に基づき、立ち戻ったときに、大いなる根源の、神の懐の中につながる道が、帰って行く道があるということ。誰一人として、つながっていない者はいないからである。
神へ回帰して行く道、神の子たちは、自らが神の子であるということに立ち返り、そして、自らの内側を深く見つめていくことにより、感謝することにより、愛の根源である自らの神性の中に、神へ立ち戻って行く道を、今明かされているのである。
それをもってこそ、人びとが神の子であるという認識を、ほんとうに実感できた時こそ、人びとは物質世界のものを貪り、ひとり占めにするようなことから解放されるのである。
本来ならば分け与え、分かち合うならば、十分に足りる富もあり、食物(しょくもつ)もあり、様々なエネルギー資源もあるであろう、この地球には。それをひとり占めにするから、自分たちさえ良かれと思って、戦い合い、占領しようとするから、いざこざが起き、貧富の差が起き、様々な苦しみや、戦いの歴史が営まれてきたのではないであろうか。
ともに神の子であり、愛の奔流であるということがわかったのならば、日々三度のご飯を食べ、身を繕うもの、ともに豊かに暮らす十分なものを与えられたのなら、それ以外のものは、同じ神の子たち、同胞に分け与えていく。それをもって喜びとする。それが本来の神の子の、神性なのである。
何でもかんでも貪り、何でもかんでもひとり占めにし、他の者たち以上に富み栄えようという、そのような思いがあるから、貧富に差ができ、片や、片方の者たちばかりが富み、片方の者たちは、食べる物もなく、飢えて死んでいくという事態が起きるのである。
分かち合いの精神、調和をしていき、みんなでともに喜び合って、分かち合って生きていこうという、それは本来、自分たちが誇り高き神の子であったという、愛の根源である宇宙の根源につながる、自分たちの魂の内奥は、そこに通じているのだという誇りがあってこそ、神の子たちは神のもとへ回帰していくことができる。高い思いの中で生きていくことができるのである。
そなたたちは、もっとそのように理解しなくてはいけない。
それを伝えるために、高橋信次、エル・ランティという方は、魂の永遠性というもの、転生輪廻ということを、まず、初歩の段階で説き明かされたのである。神の子であるということを伝えられた。神の子であるということは、人びとの認識の中にあまりなかった言葉である。
キリスト教においても、自ら罪の子であると思い、自分たちは修行しなければ、とても罪ばかりに、カルマばかりにまみれていると、仏教でも、キリスト教でも言ってきたではないか。
でも違う。自らは、神によりつくられた、素晴らしい神性の中に、神の子としての、愛というものを分け与えられた、誇り高き神の子であるのであるということを、エル・ランティは、しっかりとそなたたちに伝えられたはずである。
そのことをもって、今回の文明の総決算が行われる。
本来、神の子としての高いバイブレーションを持っているのが、神の子である。それが、低い、低い次元の中に終始している。だから、この地球自体が、その地域自体が、低いバイブレーションで覆われてしまう。
だから、高い、神の子としての認識に戻っていったのならば、みんながそのような共通基盤を持ったのならば、この地球自体の波動も、また、高い認識力のもとへ戻ってこられる。
そうすれば、地球意識を苦しめている、この低次元の、波動の低い、へばりついたような、ウイルスのような人類が、素晴らしい愛の光を発するようになれば、地球意識本体のお苦しみもなくなり、地球意識自体も救われていくということ。
そして、そのように地球意識とともに、その表面に住んでいる地球人類、神の子たちが光り輝いたのならば、この地球も愛の星として、神の星として光り輝き、宇宙から見ておられる方がたから見ても、素晴らしい愛の星、愛の地球人になったということをもって、宇宙連盟の一員としての資格というのも与えられ、地球自体のバイブレーションが上がっていくことであろう。
すべては人びとの心次第、認識次第。認識したのならば、神の子の本来の姿に戻っていったのならば、神の子の本来の波動は、ひじょうに高い愛を含んでいる。
なぜなら、神は本来、愛の、愛と慈悲の塊。精妙な、素晴らしい波動の、愛の奔流そのものが神であり、その愛の根源的なエネルギーが、すべての宇宙をつくり、すべての神の子たちをつくり、発信している。
そのようなことを、そなたたちはまず気づきなさい。我々が伊達(だて)や酔狂(すいきょう)で、遊び心で、このような計画を発信してはいないのだということ。そのことを、そなたたちが深く心の底に刻むならば、いつか、必ずやこの地球は、素晴らしい喜びに満ちた、愛の星となるであろう。
自分以外の者のために、命がけになって努力をした者、命を張って、神のために仕事をした者、その者をほんとうの光の使者と言う。その光の使者としての仕事を守っていくのが、我々の―――、指導していき、守っていくのが、天上界にいる、我々、高級霊という者たちの仕事でもある。
だから、そなたたちは、今、我々の絶大なる援護を受けて、今、この神理の道を歩んでいる、聖火ランナーであるということを心に刻み、この道を雄々しく歩んでいただきたいと思う。