ほんとうの美しさ

ほんとうの美の表現者とは

ファッションという名のもとに、高価なものを手に入れること、買い物の中毒になって、 あと、自分の目鼻を変えてまで装うことをもって、美の表現者だと思うのならば、 それは大間違いだということです。 よろしいですか、違うのです。 ファッションとして、美しく装うということは、 周りに対する思いやり、愛の表現であるということなのです。 セレニティ 「ガイアの祈り」(2007年6月22日)より

女性の品性

品性におきまして、慎ましやかな、清楚な、他者に対するいたわりと、そして愛にあふれた献身的な女性らしい生き方をしている者には、 自ずとそのような謙虚さの中から醸し(かも)し出す品位というのが出るのかもしれません。 私はそのように思うのです。 ですから、内面を自分の自我我欲の中で、自己本位に生き続けていたのなら、 たとえ若い頃いかに美しい目鼻立ちであり、そして高級な衣服を身に着けていようとも、 年齢とともにその方の品位の醜さが、やはり目鼻立ちを通して醸(かも)し出されて、どんなにお上品ぶった言葉遣いや身なりをしてみたとて、 その方の醜さというもの、品位のなさというものは、見る方が見たのならば、表面から見てわかってしまうのではないかと、私などはそのように思うのです。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命 」(2005年7月28日)より

装うことはいたわり

美で彩るために、神は女性をつくられました。ささやかな思いやりです。 この愛の星を彩るのは、花々の美しさだけではないのです。 年齢だけでなく、種族も関係なしに、女性は美というものを表現していく。 装うということをもって、周りの方がたに対するいたわり、励まし、生きる希望というものを与えることができる。 それが、女性を本来おつくりになった、神が期待されたエネルギーでもあるのです。 セレ二ティ 「ガイアの祈り」(2007年6月22日)より 

花がなぜ美しいか

花がなぜ美しいか?無心に咲くからですよ。 誰かに評価されて、誰かに美しいと思われたい、 そういう思いで表面をゴテゴテ飾るのは、美とは言いません。 ただただ無心に、自分の役割を、自分の存在を、でも精一杯、自分自身らしく装うことをもって、多くの方がたの目を楽しませていく。 それをもって、「美の表現者」と申し上げているのです。 セレニティ 「ガイアの祈り」(2007年6月22日)より

心の美しさ

女性の美しさというものは、心性、心根の美しさにあるのです。心の優雅さにあるのです。 女性が心の中に謙虚さと、男性に対する、自然界に対する、信仰心に対する、神々に対する、謙虚さ、美徳というものを失っていった時に、女性がどれだけ表面を塗りたくってみたところで、そこに美しさは存在しないのです。 内側からにじみ出てくるものなのです。 美というものは、内側からにじみ出てくるものなのです。 「スピリチュアルメッセージ集3 天照大神 」(2004年8月21日)より