女性性

役割の違いを生かして

愛というのは、本来は男性より女性のほうが感覚的に備わっているのです。 男性は神様の知恵、叡智をもってつくられました。 その才気ある知恵をもって社会をリードし、社会を改革していく、そういう力となっておられるのです。 行動力においてもそうなのです。 女性は、その母性豊かな、慈愛豊かなその愛というものでこの地球を包んで、豊かな潤いのあるものとして、最後仕上げていく。 そのようなエネルギーの奔流として、女性霊というものを神はおつくりになられたのです。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命」(2005年7月28日)より

豊かな母性愛ですべてを包む

母性というのは子どもに対してだけ持つものではございません。 母性というものは、女性の中に本来与えられたものなのです。 その母性をもって、お子様がいなくても、そのご主人を、その友人を、その地域を、その温かい母性で包んであげていただければ、ぎすぎすとした社会はなくなっていくことでしょう。 その潤いの部分として、愛と豊かさという部分を打ち出していけるのが女性霊ならではの力であると、それこそが神が期待された女性に対する使命であるのであると、私は思います。 そしてその姿を通して、私たちはこの地球を愛豊かな星に変えていくのです。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命」(2005年7月28日)より

ほほえみで地上を照らす

女性というものは家庭の中において太陽であるということです。 どれだけつらいことがあっても、家庭の中ではほほえみましょう。 夫に対してもほほえみましょう。 ほほえみというものは、無償の愛というものを、神様より与えられた愛というものを地上に表現するための手段として、特に女性の微笑というのは貴重なものなのです。 ほほえみというもの、笑顔というものを通して、この地上を照らしていきましょう。 この国を指導するとか、国家を、体制をどうのこうのするということが、一介の女性たちにできなくても、家庭の中で、夫に対して、子どもたちに対して、そして地域の人びとに対して、ニコニコとほほえみかけるだけで、あなた方は愛の天使になれるのであるということ。 この地上に、愛という光を投げかけることができる光の天使であるということ。 それこそが、女性霊たちに本来、求められていた、神が求めておられる姿であるということなのです。 女性がいたずらに男性化し、権力や自己実現をはかって国の指導体制を握ろうとすることよりも、一人の女性として、愛の表現者としてご主人を、お子さま方を愛の中で育まれ、慈しまれ、そして、この地上に勇気と慰めと、励ましをもってこの地上に送り出されていく。 その姿がどれだけ女性霊として尊い仕事であるかということ。 かけがえのない仕事であるかということ。 それをあなた方、女性たちは気づいていただきたいのです。 「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より

献身的な姿が愛する人を輝かせる

男性というのは「陽」のエネルギー、女性というのは「陰」のエネルギーでございます。 男性は陽のエネルギー、ご自分の使命、才能、叡智、それを通して社会に向けて、陽のエネルギーで仕事をし、才能を開花し、そして社会を積極的に変えていくという使命を神様より与えられているのです。 それゆえ理論的であり、行動的であり、陽気であり、攻撃的であるということなのです。 女性はそれに対して陰のエネルギーであります。 陰というのはけっして陽に対して陰が劣っているのではありません。 陽が陽として輝くためには、陰のエネルギーの補助がいるということなのです。 そして陰のエネルギーの補助を、「内助(ないじょ)の功」と日本神道では申します。 それはけっして自ら女性を蔑視しているのではなく、女性として殿方に対して、殿方の才能に対する、愛ある献身的な姿を与えることにより、男性をますます、より男性として光らすという、そのような愛のエネルギーそのものなのでございます。 自分が自分がと、今の女性たちは自己実現に走られておられるように思いますが、しかし女性が女性であるということを、自らを光らすということは、自分の愛を、献身的に男性に、殿方に対して捧げたときに、その男性を通して、子どもたちを通して、ご自分の陰のエネルギーが輝き渡り、周りを愛と祝福で包み、お子様たちを、ご主人様を、幸せの絶頂に導くのです。 「スピリチュアルメッセージ集58 木花開耶媛命」(2005年7月28日)より