"天照でございます。
わたくしたちがこの大和の地を預かりまして、この国を大和心の中におき、守り育てて参りましたのは、すべてこの日のためでございました。
この地が、この地球という星を愛の星に変えていく、そういう救世の最終段階の法の発信の地となるために、わたくしどもは長い間この地にこもり、この国の本来の使命を守るために、頑張ってきたのです。"
Profile of Amaterasu
地球人類を長く指導してきた偉大な女性霊のひとりであり、今回の文明では、日本神道の主宰神である女神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」として知られています。
今文明の始まりのときより、神理を発信する国として日本の地を護(まも)り育て、日本の人びとを導いてこられました。
巫女のアマーリエは、天照大神について、「ものすごく優美で、ほんとうに美しい、凛とした方です」と述べています。
本来の女性のあり方について、また、大和心(やまとごころ)や大自然と調和して生きる日本神道の教えについて、日本の役割について等、さまざまなメッセージを降ろされています。
Messages from Amaterasu
古来、大和の民は、
秩序と礼節、簡素を美徳としてきた
古来、大和の民というものは、大和心という調和の中に、大自然の調和の中に、秩序と礼節を持ち、簡素というものを美徳として、その生き方を学んできた者たちなのです。
今日、物質的には、豊かになったかもしれません。
しかし、心からの礼節というもの、謙虚さに満ちた、神々を敬うという信仰心、そして、日常の中にあまりにも物があふれすぎ、幸せの価値観というものが物質的な豊かさの中にしか見出せないという、哀れな貧しい心の持ち主に、日本という国民たちがなってしまったということを、わたくしは深く憂うものなのでございます。
人が幸せに生きる時、その時に、物というものがたくさんなければ幸せになれないということは、過剰な物質の中にしか己が幸福感というのを見出せないという、そのような間違った心の教え、心の価値観というものが根づいてしまったかのように思われるのです。
日本というもの、大和というものを見直すために、かつての伊勢神宮とか、日本の古い建築物をご覧になっていただきたいのです。
大自然の中に育まれ、包まれ、そして、その大自然の美しさを、そのまま木の感触の中で、簡素さの中で、自然と溶け合うという建物、建築様式の中に、自然と一体となって、人間たちも、国民たちも、その自然の中の一部として、大自然の中に感謝をこめて生きるという、それが、大和心の信仰心であり、生きざまだったのです。
そこに多くの物はいらないのです。
山に生えている木を切り出し、そこに簡素な家を建て、生活調度品においてもシンプルであり、けっして電化製品とか最先端の機器がなくても、人びとは幸せに暮らしていたのです。
いつからでしょう。幸せというものが、物をたくさん所有するという、所有欲の中でしか見出せなくなってしまったのは。
それとともに、人びとは、本来、神に感謝し、自然の中で共に生きるという心の豊かさ、ゆとりというものを、謙虚さというものを、失っていったのでございます。
女性の美しさは、心根の美しさ、心の優雅さにあり
かつて、大和の女性、日本の女性は、世界の女性の手本となるべき美しさと、知性と、謙虚さに満ちた信仰心、それでいて誇り高いものを常に持ち合わせていたように思うのです。
けっして男性に張り合うことなく、男性たちの使命というもの、天意というもの、天命というものを優先し、弟橘が身をもって示したように、日本女性の美しさというもの、心意気というものを現しながら、男性の使命を補助していくという、補助者としての美しさを、常に見せ続けてきたように思うのです。
しかし、それが失われてしまいました。
日本の女性たちの心の中に、謙遜、献身の美徳というもの、優雅に生きるということが、どれだけ伴うものであるのか。
数々の高価なもの、ブランドもののバッグなどを身につけて、高価なドレスを身にまとい、派手なお化粧をしながら、美しさを競っているように思うのですが、わたくしのような者から見れば、とても地獄的な波動の中で、表面だけの装いの中で、女性たちが美というものを追求しているかのように思うのです。
女性の美しさは、心性、心根の美しさにあります。心の優雅さにあるのです。
女性が心の中に謙虚さと、男性に対する、自然界に対する、信仰心に対する、神々に対する、謙虚さ、美徳というものを失っていった時に、どれだけ表面を塗りたくってみたところで、そこに美しさは存在しないのです。
内側からにじみ出てくるものなのです。
美というものは、内側からにじみ出てくるものなのです。
男性の役割と女性の役割
男性方は、宇宙における陽のエネルギー、猛々しく世の中を改革し、秩序をつくり、大きく時代を切り開いていかれる積極的な力の現れとして、神々は、大宇宙の神さまはあなた方をおつくりになったのです。
しかし、女性は本来、そのように、積極的に秩序を変革してまで、大きな時代の流れをつくろうという者はひじょうに稀なのです。
やはり、力ある男性の脇にいて、補助者として、陽に対する陰の意識として、謙虚さを持ち、その方の潤いとして存在する、美の体現者として存在するということ。それがわたくしたち女性たちの使命であるのです。
おおかたの者はそうなのです。わたくしにおいても、日向(卑弥呼)様においても、そして、ここにおられるこの方(アマーリエ)においても同じなのです。
本来は同じなのです。
その陰の意識というもの、積極性の裏にある意識というもの、男性に対して補助者として仕えたいという思い、そういう思いはわたくしたちでも同じなのです。
ただ、何人かの女性たちが、女性たる指導者たるがゆえに、積極性の意識というものを持って、責任というものを背負いながら、女性霊としての指導者というものを引き受けているということなのです。
わたくしたちがこのような場に出てくるからといって、けっして積極的であるというわけではなく、あなた方に畏怖されたいと思って、しゃしゃり出てきているわけではないのです。
わたくしは、謙遜と美徳、秩序と礼節、優雅さというものを、今一度、女性たちの心にほんとうの意味で復活したいと思います。
やはり時代の流れの中で、そういうものにもう一度還っていくということを、男性方が社会の構造をも変革する、社会の改革を、皆さま方にわたくしは期待するのです。
女性は、組織的な変革には向いていないのです。
心性の美しさを現すということ、理念を感性において表現していくということ、やさしさと母性でもって、多くの人を包むということは女性の指導者でもできるのです。
しかし、大きく時代を切り開いていくパワーは、陽のパワー、積極性のパワーなので、あなた方のような優秀な男性方にこそ期待されているエネルギーであり、お仕事であります。役割に違いがあるのです。
今の時代は何ということでしょう。
男性と女性が同一視されるかのような教育体制の中で、女性だけではなく男性も、自分たちの個性、自分たちが本来与えられた使命というもの、その陽の積極性、そういうものを見失っておられるのではないかとわたくしは思うのです。
本来の女性の法を打ち出す時期がきた
女性が法を説かれ、女性が女性としての道を極めるという中において、女性の法が現されたことは、今回の文明ではあまりないのです。
わたくしがかつていた時に、やはり、美しき、優美なる女性の模範的な姿として、どのようにあるべきかということを説いたことはあります。
そして、キリスト教の中で、聖母マリアといわれる方が、その清楚な母性に満ちた美しさの中で、多くの人びとを、女性たちを指導した姿というものもあるのです。
しかし、それは、多くのシスターという、修道院の中の閉鎖的なものの中で、やはり、一般の家庭生活をする者たちの手本としてあったものではないのです。
仏教においては、もっと悲惨でした。
仏教の中において、女性は本来いないのです。
存在として許されていないのです。
存在として許されない者たちの天命を現す法など、どこにもないのです。
ですから、女性たちを救っていかなければ、地球全部の人びとを救うことはできないのです。
その女性たちにとって、いちばん大切な女性の法を、これから説かれようとしているのです。
母性が見失われた時代
今、幼い子どもたちが犠牲になっている姿をあなた方はテレビでごらんになっているでしょう。何ゆえにこのようなことが起きるのか、それを、こう立て続けにあれば、あなた方も考えられるはずなのです。
人々の心の中にある、母性に対する欠如。そして、幼い子どもたちを守ろうという、本来の人間として成長するべきものが歪んでしまった人々が多く生きているということも事実なのです。そのように病んだ精神構造はどこから出てくるか、そのようなことを多くの人々は、ディスカッションの果てに悟っていくのです。
魂というものを、命というものを軽んじていく。幼子たちを守っていこうという、基本的な愛の思いすら、今の人類の中には育っていないのです。その中において、魔界の者たちが跳梁した時に、常に犠牲になるのは力の弱い者たちなのです。
その力の弱い者たちを守るために、人類は皆、力を結束して助け合っていかなくてはいけません。魔界の者たちを呼び入れるような、磁場の悪い地球にしておいてはいけないのです。それを打ち消すのは、愛と信頼と優しさの想いです。そのことを人類は、時間がかかりながらも学んでいくことでしょう。でも、それは時間がかかるのです。
でも、いちばん大事な法の根本というもの、それを、今、わたくしたちは天上界から降ろしているのです。
日常の一コマ一コマ、すべてが信仰心
この日本の地が、けっして信仰心のなかった国というわけではないのです。確かに今の世界レベルで通用する意味において、信仰心深い地にはならなかったということは、確かにあるのです。それは我々もたいへん反省しているのですけれども、でも日本の、日本神道自体が唱えていたものというのは、万物自然と神の子たち、国民たちが、心を一つにして、大調和の中に生きる、和をもって旨とするというのが、日本神道の考えでございます。
けっして、宗教団体を作ったり、悟り悟りと言って、内側に反省を持っていくとか、外に向けて大きな教団をつくっていくとか、そういうことではなく、大自然の中に神のお心が宿り、そして、地上にいる神の子たち、人間たちはみな神の子であるから、その大自然と調和をすることにより、神の子たちは神と一体になっていくということ。そしてそこに信仰心というものが、ささやかな暮らし、日常を通して、人々の生活の中に、生きざまの中に神が息づいていく。
けっして、神というのが特別に、別に教会や聖堂で行われることだけが宗教であるのではなく、我々、日本神道におきまして、信仰心というのは日常の一コマ一コマ、一動作一動作、すべてが信仰心であるという、それがわたくしたちの教えでもあったのです。
ですから、教理とか教義とか、そういう難しい言葉で書いたような、そして修行、修行と呼ばれていくような、そういう方法を確立しなかったことが、やはり今日において、わたくしどもの教えというものが残らなかった理由であったかもしれません。
でも、大和という場所は、けっして好戦的なものではなく、なるべく人と違わないようにと言うと消極的に聞こえるかもしれませんけれども、なるべく大調和というものを主眼として、みなが仲良く手を取り合って生きていこうという、そういう風土の中に、育ってきたように思うのです。
広島、長崎の原爆の意味
間違わないことを望むなどということは、その者たちにとって、進歩発展すること、成長することを阻害することにもなるのです。いずれ大きな間違いをしてしまうのならば、今、小さな間違いの中において、全体を見抜く力を養った方が、人類にとっても、その神の子たちにとっても、ためになることがあるのです。
互いの国々が、核爆弾を投げ落とすことによって、地球全体を滅ぼしてしまい、球体である地球という惑星の上空すべてに、放射能の雲がかかってしまってから、「ああ、しまった」と思っても遅いのです。
何度も申します。日本における、広島、長崎で亡くなられた方々の魂を、ほんとうに悼みながら、彼らが身を通して示してくださった、そのむごたらしい現状というものを通して、地球人類すべてが、このような愚かしいことはしてはいけないのだということを学ばせていただいたのです。
そして、その大いなる犠牲を示す場所として、この日本がそれを受け取ったということも意味があるのです。
いずれ、それが、神の法が説かれる地ですから癒されていきます。大いなる、大いなる学びと判断の中で、人々は自分たちが過去に行ってしまった愚かな過ちというものを、涙を飲みながら、涙を流しながら、広島、長崎の姿を見ているではないですか。今は子どもたちですら、それを見ているではないですか。この法を説かれる、この足もとにある国の原爆ドームだからこそ、意味があるのですよ。
次に起きる時、取り返しのつかない戦争は、核戦争なのです。それを絶対起こしてはいけないという警告として、この日本に落ちた、広島、長崎の原爆の意味があるのです。
今、外国の方々が、多く日本の地に観光にいらっしゃり、広島、長崎を回っておられるではないですか。かつて敵国であったという、アメリカにおいては、広島、長崎は仕方ないことであったと言って、事実を隠蔽することが行われておりました。でも、今、この時代になり、アメリカの方々が、広島、長崎に来られて、そのあまりに悲惨な現状というものをごらんになっています。けっしてどんな正当な理由があっても、このような戦争をしてはいけないということを、民族を超え、時を超えて、涙を流して反省し、日本国民にわびておられる人々がおられるではないですか。そういう時がやっと来たのです。
戦争を越えて、この時に、人類は大いなる悔悛の時を与えられたのです。この時に、天上界よりの法というものが、広げられていく、大いなる時が来たということです。
新たな動きの始まり
そのうちに世界中から、この日本という地に法を学ぶために、多くの光の天使たちがやってくるときがきます。そんなことあり得ないなんて、思わないでください。
力のある世界に散っている光の天使たちが、このときとばかりこの地に、大和の地に向かって、法を求めてやって来ることでしょう。
そのときに、常に正しい法を発信する、そういう安定した磁場を持った神の国日本という、そういう地であり続けるために、わたくしたちは龍神たちにも結界を張ってもらい、この地を守っております。
法の種を発信する、愛の星を実現させていくために神の法を守る、その地がこの神の国日本の使命でございます。
新たな動きが始まっております。
新たな大きな運動が始まっております。
そして、宇宙からの応援のパワーも到来しております。
宇宙的な意味においても、大きな大きなエネルギーが、援助が迎えられる時期に間に合いました。皆さま方のおかげで間に合いました。
どうか、この時、数十年の遅れをものともせずに、何千年、何万年とかかえてきましたわたくしたちの無念な思い、それを今回こそは果たし、乗り越え、愛の星地球にと変えていくことができる、そのような素晴らしい飛躍の第一歩とするその時を、今日が始まりであるのだと、その席に皆さま方が居合わせたのだと思われ、ともに天と地に降り立つ神の子たちが手を取り合い、その使命を果たして参りたいと、わたくしは心より思っております。
わたくしの悲願は以前にも申しました。「日本神道」という名前から「日本」という名をはずすことでございます。
自然との大調和というのは、宇宙の神の御心でございます。大宇宙の神の御心と大調和一体となり、神の子として生きていく。それが、こと日本とか、この地球とかを超えて大宇宙の中に、宇宙の仲間としてこの星が使命を果たしていける、そのような時代になるということ。それを天照は心から願い、この数千年、この地を守って参りました。
この地にお生まれになった皆さま方とともに、今日この時を迎えられ、わたくしなりの使命を、このうしろにおります指導霊団一同とともに、果たせますことを、心より大宇宙の神様に、そして、地上の皆さま方に、心よりお礼を申し上げます。
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