大本教
(おおもときょう)明治25年(1892年)、出口なおに降りた国祖・国常立大神の神示を立教の原点とする教派神道系の教団である。
当初、出口なおは金光教の布教者であったが、出口王仁三郎と明治31年(1898年)に出会い、「大本」として独立することになる。王仁三郎は、出口なおの娘婿となり、後に養子となった。
出口なおは自動書記により「お筆先」を現し、「艮の金神」は「三千世界の立替え立直し」を宣言し、出口王仁三郎は教義を明確にした。
「大本」はやがて大きな宗教運動へと発展し、大正から昭和初期の日本を揺るがすほどの大教団となるが、予言などによって社会批判や警告を続け、満州や内蒙古にも渡って活動した。万教同根の思想に基づき、国際語エスペラントを用いたり、戦後には世界連邦運動を推進したりもしている。「艮」が鬼門と呼ばれている方角を意味しているように、「艮の金神」は荒神・戦神であり、大本教は裏神道の系譜に属する。ここから国家神道との教義の相違も生まれており、これは弾圧される思想的原因ともなった。
反体制的な教義と立て替え到来説が当局にとって一大脅威となり、大正十年に当局による弾圧である「第一次大本事件」が発生する。
その後「大本」は勢力を回復したが、王仁三郎の国家権力を恐れぬ過激な活動と国家権力批判が昭和十年の「第二次大本事件」を引き起こした、この2度にわたる大弾圧により教団は組織と施設に潰滅的な被害を受けることとなった。
江戸末期の頃より、黒住教、天理教、金光教、大本教、生長の家と、立て続けに神道系の新宗教が発生したが、これらの各宗教は、互いに直接的な関連はないものの、一連の霊的磁場の発生と考えられる。
つまり、日本神道の神々により日本列島の霊的磁場が整えられ、その後の第一の計画(G会)、第二の計画(K会)、第三の計画(レムリア・ルネッサンス)と繋がって行くことになる。
参考文献
- 「日月神示」著者:中矢伸一