神は愛のエネルギー
多くの宗教において、神という言葉が使われていますが、その意味は、いまひとつ定かでないところがあります。人格をもたない究極の存在として言われることもありますが、神話や聖書の中には人格をもった人間のような存在として登場することもあります。真実はどうなのでしょう。神とは、大宇宙とすべての生き物を創った究極の存在なのです。これまで言われてきたような、人格をもった存在としての神というのは、私たちの惑星における最高指導者としての高級霊の姿だったのです。エホバ、イエス、仏陀、モーゼなどの諸霊や、これまでに神と考えられていた方がたは、実は、地球の最高指導者たちの姿なのです。実際、この地球では、10体の偉大な意識体が協力して、地球上の文明を指導してきました。
ここでいう究極の神というのは、愛のエネルギーそのものです。神というのは、形而上学的な概念ではなく、現実に存在しているのです。地上に生きている人間には、神がどのような存在かということを完全に認識することはできませんが、神はひじょうに大きなエネルギーを持つ高次元の存在です。「エネルギー」とか「次元」という言葉は科学的な印象を受けるかもしれませんが、これは現代科学の枠組みで理解するのではなく、現代科学を超えた概念として理解する必要があります。
もう一度繰り返しますが、神は愛のエネルギーであり、すべてを存在させ、すべてを生かすものなのです。愛がすべてなのです。愛とは、生きとし生けるものすべてを生かし育むものです。愛は光であり、秩序であり、美であり、エネルギーなのです。愛は、分かち合いであり、生かし合いなのです。
私たちの魂は、神により、神のエネルギーから創られました。私たちの魂には、思いの自由が与えられています。それゆえに、私たちは神の子なのです。永遠の生命を与えられているのです。私たちは周期的に地上に生まれてきますが、地上の肉体生命には限りがあります。私たちの魂はすべて神のエネルギーから創られています。ですから、私たちはみな兄弟なのです。魂の本性は愛ですから、私たちは愛を表現しようとするのです。
私たちは、可能性としては神と同じ能力を与えられています。思いの自由という能力も神の持つ力です。私たちは、この自由によって、神の方向に向かって進化していくことを期待されているのです。私たちは、私たちの中に眠っている神の能力というものを見つけ、磨いていく自由も与えられているのです。これこそが、自由ということのほんとうの意味なのです。
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