人生は愛を学ぶためにある
この世における私たちの肉体に宿っての人生の目的は、愛について学ぶこと、愛とはどのようなものであるか、そして愛をどのように表現したらよいかということを学ぶことにあります。愛は、それ自体ひじょうに深いところがあり、また、限りというものがありません。この意味において、愛の学びということにも限りがないのです。ある段階を終えたとしても、また、次の段階があるのです。神が究極の愛そのものであり、神に向かって旅を続けているのが私たちであるからです。
愛を学ぶためには、相手が必要であり、また、そのための環境というものもなくてはなりません。あなたに与えられている地上の人生そのものが、あなたに課せられた課題であるのです。あなたが直面している問題が、あなたの課題なのです。たとえば、それは人間関係における問題として現われ、あなたはそのことをひじょうに困難な問題であると感じているかもしれません。このような人間関係というものを通して、あなたがいかに人を愛するかを問われているということなのです。
愛について学ぶということは、しかし、それほど簡単なことではありません。優しくするということは、人を愛することの入り口ですが、単に優しくするということだけが愛ではないのです。それは場合にもより、また、あなたがどれだけ本気でその人のことを思っているかにもよります。たとえば、子どもを育てるときに、単に甘やかせばその子はスポイルされ、自立心を失っていくことになります。かといって、愛のないしつけはまた、その子の心をすさませていくことにもつながります。大切なのは、すべてを生かし育もうとすることなのです。
愛を表現する場合、ひじょうに多くのバリエーションがあります。人間関係ひとつとっても、ひじょうに多くの問題があなたの前に立ちはだかってきます。リーダーシップということであれば、未来を見通す、あなたの洞察力と判断力が求められます。家庭の中の問題でさえ、ひじょうに苦しく、困難な問題であるかもしれません。しかし、覚えておいていただきたいのは、あなたにとって必要のないことは起こっていないのだということです。あなたにとって必要ない環境はけっして与えられてはいないのです。
あなたの魂は神により、個性を込めてつくられました。その個性を発揮し、愛を表現することを神から期待されているのがあなたという魂なのです。今ある環境の中で、いかにあなたの個性を通して愛を表現するか、それを学ぶのがあなたの人生でもあるのです。そのため、一つひとつの問題に対し、あなたが過去世で学んだすべてを動員して取り組み、全身全霊を込めてあなた自身の魂をきらめかせていただきたい。それこそ神があなたに期待していることでもあるのですから。
霊界の構造と波長同通の法則 | 地獄の存在