子どもは神より預かりし宝物

子どもは、それぞれの魂としての気高さをもって神より創造されました。 その一時(いっとき)、あなた方の家庭を通路として与えられ、その子どもを授かるということを通して夫婦もまた愛を学び、養育者として自らも霊的な成長の場を与えられていくのです。 そして、一時預けられ、そして成人していったのなら、その子の個性を開花するようにと、それまで教育を一生懸命して、一生懸命その子なりの個性が開花するように、そのためには努力しなくてはいけません。教育も与えていけばいいのです。 そうしたのなら、一切の執着を持つことなく、見返りを求めることなく、その者たちが羽ばたいていくとき、そう、つばめの子どもたちが羽ばたいていくときのように、親は子どもたちを手放してやらなくてはいけません。 飛び立たせてあげなくてはいけません。 「スピリチュアルメッセージ集60 日向」(2005年8月2日)より

愛の本質を学ぶ親子関係

自分の持ち物であり、自分の所有物であるとは思わず、永遠の魂の中においては、自分とは違う魂であるという尊厳の中において、子どもは別の魂であるという敬意を持って、子どもたちを見守ることができたのならば、自分の持ち物として子どもたちの個性をつぶすこともないことでしょう。 神から与えられた自らの命と同時に、それぐらい大事な子どもたちの命、それをいっときお預かりし、ほんの数十年の、もう人によっては二十年足らずの時しか一緒にいられない方もおられるのです、親子で。 その時を一緒に過ごすことによって、ともに素晴らしい魂の学びと出会いを経験でき、ほんとうの意味の、愛の本質が何であるかということを学ばせていただく。貴重な経験をいただく。 それが親子関係の基本でございます。 聖母マリア 「ファティマの真実」(2005年11月12日)より      

母性の愛で包んでいく

いかに女性というものの天職の中に、子どもを産み、育み育てるということが、いかなる、ほかにいかなる価値ある職業があろうと、これに勝る神命、職業は女性にはないのであると私は言えると思うのです。 新たな地球の未来を、人類の未来をつくっていく神の子たち、その未来の神の子どもたちを、どのようにして素晴らしい子どもたちとして育み、育てていくか、羽ばたかせていくか。 そのことが、ある意味でお母様の、その女性として母性をいかに表現をしていくか、その愛で包んでいくかということにかかっているのだということ。 そのことをもっと深く認識していただきたいと思うのです。 「スピリチュアルメッセージ集60 日向」(2005年8月2日)より

流産した魂

流産して魂が天上界に帰っても、天上界でものすごくかわいがられるから大丈夫です。 母親も天上界に帰ったらその子どもと会えます。 そういう場合は産んであげられなかったということで、女性は男性以上に自分をせめてしまいます。 その子たちは決して母親を恨んでいません。 この問題は女性が一番根幹のところで、最もつらい課題だと思います。 アマーリエ 集会レポートより

子どもを授かるありがたさを魂で学ぶ

わたしたちの命は転生輪廻を繰り返し、永遠の命の中で愛を学んでいるものである。 そして原因結果の、因果の法則により貫かれているのが宇宙であるということです。(中略) その中で夫がいて夫婦でほしいと思ってもできない方、考えてください。 ひょっとしたら、欲しくて欲しくてたまらない、でもできないということで、初めて子どもを与えられるありがたさということを今回学んでおられるのかもしれない。(中略) 子どもが授からないことをもって、子どもが与えられることのありがたさ、感謝、尊さ、自分が生命の神秘として、宇宙の創造のエネルギーとして、自らが子どもを産むという、創造の原理の中で果たせるという、女性としての幸せを体現できるという、その修行のありがたさを学ばれるのです。 永い永い永遠の転生です、その中で一回ぐらいお子ができなかったからといって、どうでしょう。 そこで、お子が授かるということ、産めるという女性の幸せを、魂の底まで焼き付けることができたら、感謝することが学べたのならば、尊い人生でまたあるのではないでしょうか。 木花開耶媛命 「アマテラスの祈り」(2007年4月21日)より

子どもがいないことで自由になる分、自分の能力を発揮できる

今ひじょうに子どもができないことを悩んで、不妊治療とか、男女産み分け法で頑張られておられる方がおられるでしょう。 でも、そのような過程というものは、確かに環境的なことは確かにありますけれども、わたくしのような者から見ておりますと、大方がご自分で選択なされた方が多いということ。 このような文化が爛熟した、このような現代的な時代になりますと、女性においてもひじょうに優秀な、有能な女性たちが出て来ます。 ひじょうに魂的にも、最終的な仕上げ段階に来ている者たちがたくさん出て来ているのです。 そのような過程の中において、自分の能力をぜひとも発揮したい。 まあ、自己実現というか、それ以外においても、救世の事業においても、自分は命がけでやりたいという思いが強いがゆえに、そのような家庭愛的な部分とか、やはり子どもにとらわれたくないという思いを、表面から、正面から打ち出して人生計画をつくって来る者も多いのです。 そのようなことにおきまして、今嘆(なげ)かれることよりも、逆に子どもがいないから、そのような家庭の中で何ができるかということを最大限に、時間とかエネルギーは自由になるわけです。お金も自由になるわけですから。 そのようなものを通して、ご自分の実力を発揮することをもって、神に、神様に対して、地上人類に対しての愛を発揮なさられることを、そのことがあなたの人生をより輝かされる結果になると思います。 「スピリチュアルメッセージ集68 マリア・テレジア 」(2005年9月22日)より

男女は本来はひとつのもの

本来は、りんごの一個を二つに割った片割れが女性であり男性であります。 本来的な意味においては、優劣はどこにもありません。 女性性としての役割、男性性としての役割、二つで一体になっていくものですから、当然男性たちが優秀なものを表現できるのであるならば、女性たちの中においても、そういう才能豊かな方がいても全然おかしいことではない。 ただ、女性性としての役割、りんごの片割れであることをちゃんと認識したうえで、愛豊かな表現者としての役割を果たしていただきたいという。その認識のうえで、どんどん宇宙を彩り豊かにしていただくのが、神の望まれる道でありますよということです。 「アマテラスの祈り アマーリエ(日向様指導) 」(2007年8月2日)より

自然体で愛の奉仕を

男性にしてみれば、自分と同じではだめなんですよ。 今までは、女性が職業に就くと、家庭の中に男性が二人いるようになってしまったのです。 だから、男性は奥さんに対してライバル心を持ったのです。 でも女性が、自然体でさりげなく女性性を表現して、愛を表現するためにわたしはこういう才能で奉仕するのよ、神様のために、多くの方のために、愛の奉仕をするのよといって存在していたら、相手の方は、逆に自分の妻に誇りを持ち、敬意を表して、それを助けるパートナーとして存在しようと自然に変わるものなのです。けっしてそこにはやきもちはないのです。 「アマテラスの祈り アマーリエ(日向様指導) 」(2007年8月2日)より

自分らしさを大切に

素晴らしい才能を持っていたら、それを抑えておくことの方が辛いでしょう? みんなそうなんですよ。 自分らしくありたい、自分が感じた愛を少しでも表現していきたい。それをできるのが、ほんとうの意味で正直に生きることであるし、幸せなことなのです。 そのうえで、女性としてどう生きるか、女性としてどう愛を感じるか、そういうものがやはり伴うのであって。 まず、原点は自分らしくあるということです。(中略) 自分自身であって、自分自身にしかないものを神様が与えられた。 それを一生懸命表現して、愛豊かに生きていく。 そして、そういうあなたを愛してくださる人を探して、女性たちよ、幸せであれ、ということを天上界はおっしゃっているのです。 「アマテラスの祈り アマーリエ(日向様指導) 」(2007年8月2日)より

すべての職業は愛を表現するために

すべての職業が愛を表現するために存在します。 農業でもそうです。愛を伝えるために、この肉体舟のために、愛豊かなものとなれるようにと祈りを込めて、お百姓さんが一生懸命野菜をつくってくださる。それを食べたわたしたちはとても幸せで健康になるし、子どもたちだって安心して育っていける。まず、そこが基本です。そうすると、素晴らしい野菜をつくったり、お魚を獲ったりすることに誇りを持ってお仕事をしていただけるでしょう。 その基本が間違っていたから、(中略)人をおとしめてでも、お金さえ儲かればいいからと言って、農薬漬けの野菜とか、毒入りの魚とかをつくってしまったりするし、そういうことに良心の痛みも感じなくなってしまうのです。 すべての仕事というのは、愛を表現するために、愛をなすためにあるのだという、きちんとした根本認識を社会が持てれば、社会のシステムはおのずと変わっていきます。やはりそこまでいかなければ、そこに住まう人間たちは幸せにはなれません。 「アマテラスの祈り アマーリエ(日向様指導) 」(2007年8月2日)より

表現方法を間違わなければ自己主張にはならない

やはり、女性がちょっと優秀だとか、頭がいいとか、ちょっと何かができるというのを前面に出すと、男の人もすごく煙たがったりということがありました。男の人って、妙なライバル心があるから、奥さんがすごく有能だったりすると、嫌だからいじめちゃおうというような人も多いのです。 けれども、女性に素晴らしい才能や能力があったら、男性もそういう相手の存在を受け入れて、逆にともに協力してパートナーシップを組んでいく、そういうふうに男性側も成熟していかなくてはいけない。 そして女性も自分の能力に振り回されることなく、自分が女性だということをしっかりと素直に受け入れて、そのうえで神様からいただいた才能を、愛を表現するために使っていく。 わたしたちは、神様の愛を表現する手段として、個性を与えられ、素晴らしい能力というものを与えられています。ですから、その表現手段、方法さえ間違わなければ、けっしてそれは自己主張でも、エゴでも、でしゃばりでもなんでもなくて、その方たちの素晴らしい言葉や音楽や絵、優しさをもって社会的なさまざまな職業に携わることは、社会をより豊かに愛深くしていく原動力になるのです。 「アマテラスの祈り アマーリエ(日向様指導) 」(2007年8月2日)より

女性も豊かな才能を表現できる時代

これまでは、女性が自分の才能を前面に出すと、結婚できないとか、孤独な人生を歩むとか、そういうことが多かった。 けれども、そのうちに社会が成熟し、男性の意識が変われば、女性がほんとうの意味で自分を正直に出していたら、そういうあなた方、女性たちを受け入れられる男性たちが育ってくる。そういう時代が来るのです。 有能で才能が豊かな女性ほど孤独だったという今までの社会システムがありますが、それは、ひじょうに幼い段階でありました。 これからは、もっと積極的に、自分の才能を豊かに表現して、多くの人たちのために愛を奏でながら、なおかつ幸せになる道、幸せになっていける社会をめざす。それが次の時代に来る社会であるのです。 「アマテラスの祈り アマーリエ(日向様指導) 」(2007年8月2日)より