本来の個性を生かして

自分の根源的なエネルギーからでしか、人は、本来のほんとうの仕事はできないのです。 男性性、女性性という根源をわかった上で、お一人おひとりに込められた神の豊かな個性、彩りある個性の力をもって、素晴らしい仕事をしてください。 あなた方がそれができるには、まずしっかりと法に基づき、自分自らが何者であるかということを悟る、そのことをもって以外、あなた方の力を爆発させることはできないのです。自覚することはできないのです。 それができたとき、今この時代の中で、あなたが方はここに、この時代でしか咲かない、あなた方の一輪の花を咲かせなさい。 セレニティ 「ガイアの祈り」より

すべてを受け止め浄化する力をもつ女性

基本は、いかなることであったとしても、あなた方は受け止め、そこで浄化し、愛として社会に発信していくということ。 それは仕事においても、育児においても、もし芸術的な才能をお持ちの方であったとしても、医療関係者であったとしても、すべて同じなのです。 男性のお医者様がいて、女性のお医者様がいる。女性のお医者様であったのならば、何ゆえにそのようになるか、患者さんの思いを聞いてあげる。 ああだ、こうだ、いろいろと言うお医者様もおられるでしょうが、ただただ受け止めて、聞いてあげて、抱きしめてあげるような思いで患者さんを導かれる。 そのときに、あなた方の持っている女性のエネルギーが、患者さんの中にある、本来の「宇宙の根源にある、命を回復していくという自然治癒能力」に働きかける。そういう力が女性の中にはあるのです。 セレニティ 「ガイアの祈り」より

すべての仕事に愛を込めて

どんな仕事においても、愛をもって生きるか否かで、同じ職業の中身も変わってくるのです。(中略) それは、大根一本つくるお百姓さんの姿であり、そして家一軒つくる大工さんの姿であり、子どもを育てる保母さんや、学校の先生たちの姿であり、どんな職業においても、愛をもって世の光となり、地の塩となるために、その職業という天分を通して、この神の国であるこの地上三次元において、少しでも愛のある社会に変えていこうとするために、生涯を、職業を通して貢献なさられたのならば、死んでいかれるときは、それなりの魂の充足感というのがあるはずなのです。 「スピリチュアルメッセージ集51 ヘレン・ケラー」(2005年7月7日)より

神の愛によって生かされる命

女性であっても男性であったとしても、どんな生き方においても、地上における自分たち人間の真の幸せとは、その表面的な外側にあるのではなく、内面的な自分自らの幸福感というものを、愛により、神の子としての神性を光らすということの原点に戻って、人生というものを考えていかれたのならば、それを広げていくのであるのなら―。 生まれつきの病に臥せっている者たち、そして生まれつきハンディキャップを持ち、二十年以上生きていけないと言われている身障者の方がたもおられるのです。難病のもとに生まれて来られる方もおられるのです。 そのような方がたの人生を、単に不幸であると、そのように定義づけるようなことはできなくなると思うのです。 真に不幸であるとは、愛を知らぬことであります。 真に不幸な人生とは、愛なき人生であります。 愛とは神です。 神とは愛の光です。 神とは愛を、愛をたたえた、この宇宙の生きとし生けるすべてを育まれておられる法則であり、愛のエネルギーなのです。 (中略) 愛なくして、神の愛なくして、わたくしたちは生きていくことはできません。であるならば、地上に生まれし時より、神の愛によって生かされていない者はただ一人としていないのです。 「スピリチュアルメッセージ集51 ヘレン・ケラー」(2005年7月7日)より  

病をつかまず共存して

自然に時の流れの中で浮かび上がってくるものは、やはり魂の中にある、深い深いところに潜んでいた膿のようなものの膿出しかもしれないということをお思いになったら、その一時(いっとき)浮かんでくれば、現象化すれば、それは消えていくのです。 それがたまたま現象化していったときに、肉体の病というものを通したりして出てくるかもしれないということは、そのときには、その病をつかまないということ。 出ていけば消えていくのです。 その病と一時(いっとき)共存することによって、大いなる魂の代償を払って、自分の魂を浄化しているのかもしれないのです。 「スピリチュアルメッセージ集55 小桜姫」(2005年7月21日)より

病気から学び成長する魂

病気も、苦しみも、すべて、私たちが学ぶために、私たちを成長させてくれるための、ひとつの題材でしかなかったのだと、そう思ったとき、死ぬことも、悲しいことでも苦しいことでもないよと。 病気であったとしても、さまざまなふうな環境であったとしても、それはすべて、過去、自分がやってきた原因結果の、結果をつみ取るだけの、ありがたい、ありがたい試練であったのだと、そう思ったとき、一切の執着は離れ、自らの永遠の魂を上空から冷静に見渡すことができるようになると思うのです。 アマーリエ 「オピニオンリーダーの女性霊」(2005年9月22日)より

病やハンディキャップは神の愛から

神のお言葉の中には、常に人びとに幸せであれ、というふうに言われる言葉があります。 人びとは幸せになりたくて、「神よ、神よ、我が病を取り除きたまえ。我がハンディキャップを取り除きたまえ」というふうに言われるかもしれないけれども、 神は地上にいる子どもたちを愛するがゆえに、人びとにそのような病やハンディキャップをお与えになるということ。 そのことを忘れてはいけないと思うのです。 「スピリチュアルメッセージ集51 ヘレン・ケラー」(2005年7月7日)

病を受け入れて

「病と闘うな」とよく言いますね。闘病というけれども、病と闘うのではない。 病を受け入れて、自分の体質と共存して、それもすべて自分がインプットしてきたことであるということをすべてを受け入れて、それとともに生きるということを―。 なぜならば、それを自分は望んで生まれて来たから。必ず、偶然ということはないのです。 あなた方の世界から見たら、すべて偶然のように思うかもしれない。 でも事故ひとつにおきましても、偶然はないのです。 それを通してわたしたちは大いなる代償を払いながら、それで自分の今まで知らなかった、魂のさまざまな膿のようなものを出させていただいているのだというふうに思ってください。 「スピリチュアルメッセージ集55 小桜姫」(2005年7月21日)より

病気と闘わない

私たちから見ると、本来目的を立て、修行をしているのは実在界のわたしたちの世界。 そしてそれから、一生懸命計画を立てて、まあちょっと長い長期な旅行に出るような気持ちで、地上に出て来るのです。そして、そこで一発テストを受けるのです。 そしてそれがだめだったら、また次に、また帰って来て、実在界で一生懸命修行をして、そして、また次に出て行って、試験を受けると。 まあ、そのような流れと申しますか、そのような形でいったとき、旅行先で病気になるのは困るけれども、でもまあ、旅行なら旅行に行って、ある程度やったらば、まあ、こっち戻って来てから、ゆっくりその病気を治せばいいやとか思うじゃないですか。病気なんてそんなものなのです。 ああ、ちょっと肉体が壊れたから、一年間行こうと思ったんだけれども、十ヶ月で切り上げて帰って来ようかとか、そのような気持ちで病気をもし考えたなら、いたずらに病と闘わないで済むでしょう。 「スピリチュアルメッセージ集55 小桜姫」(2005年7月21日)より

病に感謝を

「病よ、ありがとうございます」と手を合わせて、「どうか、この病を耐え忍ぶことにより、私の魂も鍛えられ、清められますように」という、感謝の思いで、その病とともに生きていくのです。 そうすれば、病によって必要以上に悲しみとか、苦しみというのを抱えずに済むと、私は思うのです。 そのように明るく、前向きに生きていくうちに、病はいつかしら、より良い方向に進んで、ときには消滅してしまうこともあるのです。 明るい思いで生きているときには、神の天上界からの光というものは、その方にさんさんと降り注いできて、どのような状況であるにしても、そのような苦しさというものをやわらがせ、そしてそれを軽く済ませてもらえるように動くのが神様の光である、愛念であるということをお思いください。 「スピリチュアルメッセージ集55 小桜姫」(2005年7月21日)より

自信のある男性は才能豊かな女性を受け止める

男性たちに、今自信のない者が多いのです。(中略) 自信のある男性は、才能豊かな女性を受け止めることができるのです。 しかし、自分に自信のない男性は結果的に、才能のある女性たちに対してひじょうに卑屈な思いを持つので、ひじょうに不当な攻撃というものを与えて、それが最終的に、「女らしくない」とか、「かわいらしくない」とか、「あんな女は駄目だ」というような、そういう男性優位の社会構造というのが長いことありましたので、その中で一緒くたにしてまた女性たちが頑張ろうとしても、大きな失望の中であきらめていく。 どれだけ頑張ろうとしても基本的には、やはり好きな男性に愛されない自分というものを見ていて、やっぱりあきらめて、精神的な進歩ができずにまた後退して、ひとつの時代の流れの中、習慣の中で、あきらめの中で、絶望の中でまた押し戻されてしまうという、そのような歴史が随分あったのです。(中略) 女性が不当に抑圧され、本来の素晴らしさというものを内側に秘めたままで、少しもその力を発揮しないままに、この地球が進歩発展することはあり得ないのです。 「スピリチュアルメッセージ集21 平塚らいてう」(2005年2月24日)より