あなた自身の悟りを出しなさい
親鸞・パウロ 2004年6月3日の霊言 『日蓮聖人メッセージ集1』に掲載
イエス・キリストを崇めるが余り、イエス・キリストと同じ十字架につき、あの十字架に架かることをもって、「自分は、あのキリストの生涯と同じ事をやったのだ」という自己満足の者たちが、後を絶ちませんでした。
それがキリスト教としての悲劇性を生み、殉教することを好んだ者たちが続出したという、悪い傾向性を作ったというのも事実なのです。
だから先生の事を崇拝するが余り、その先生方が伝えたかった真の意味を探ることなく、先生がおっしゃった事の表面づらだけを写し取る、コピーするという事に、どうしても後世の者たちは思ったという・・・。
形を変えようとしても、あなたがやろうとしている事は同じなのです。
高橋信次を崇拝するがあまり、あなたもイエスキリストの真似をして、十字架にかかりたがっている。そのようにしか私には見えないのです。
イエス・キリストの前で、あなたも私も何を学びましたか。
愛を学んだのではないでしょうか。
その身を捨てて多くの人々に対して愛を説かれ、イエス・キリストの生涯から、あなたは何を感じ取ったのか。その事をあなたが伝えればいいのです、やさしい言葉で。
それが最後の総集編としての今世の人生であるということ、そのために仏陀が出られたこの大切な時代に、それぞれの本体という者が出て来ているのです。
私たちは建物も組織も会員も何も持たずに、いろんなところへ行きながら、先生は説法されました。
まあ、あなたがたの方が、ある意味で、法敵とか、迫害がなかったという点で、今日的な、このようなきれいな建物の中に住めるということ。我々のように納屋だの馬小屋だの、そう野宿も多かったのですよ。そこで皆寝たり食べたりしながら、いつもいつも法敵といわれる人たちの中に、危険な中に生きていたのです。
そこで法を伝えた者たちですね。それから見ると、あなた方のほうが遥かに恵まれているということ。それをぜひ考えて頂きたいのです。
だからこの時代ということをよく認識して、あの時代よりも大きな仕事をあなたは残せるのですから、そのような使命のために頑張って頂きたい。
我々の仲間の中から、このような使命を果たす者が出たということは、私はとっても誇りに思っております。
どんな事でも協力します。
今、日蓮様がご指導のリーダーとしてお立ちになっていらっしゃいますけれども、私たちは単に仏教だけでなく、仏教徒でありながらキリスト教の魂も持っている。
もっと古い時代には、レムリアにも出ていたし、共にアトランティスの、その時代の正法というものも学んでいるのです。
ある意味で、出そうと思えば何でも出せる時代かも知れません。