愛の祈りと科学
カイトロン 2006年3月18日の霊言 『地球最高神九次元霊2』に掲載
科学の大きな発明の要所、要所には我々の世界からのインスピレーションがあるのです。つねに大きな大飛躍を遂げた、そのターニングポイントと呼ばれるときには、我々の世界からの指導が入っているはずなのです。ですから、科学だけがいつも一定方向に、一定の努力をすれば、一定に進むというものではなくて、そして、必ず、人類のために人類が神の子として修行する段階において、ふさわしいものが神よりのプレゼントとして、発見、発明されていくのです。その方向に、そして、そのひとつの発明により、その後は人類の努力によって、多様化され、応用化されていく段階において、そのひとつの時代を作っていくことが許可されている。そういう意味においては、その後の応用に関しては、あなた方の自由ではありますけれども。
次に行くのは、先ほど言っていましたけれども、精神的なものと科学的なものの合体、合流、今まで分裂、分化されていたものが、統合され一体化されていく―――。
それは宗教だけではなくて、科学においても、医学においても、すべてにおいてもそうなのです。西洋と(東洋)医学、物質と精神、そういうものが、部分部分が主張し合って、どっちが正しいとか、有益であるというのではなくて、すべてが統合され、すべてが必要であり、すべてにおいてバランスを保ち、それゆえにすべての者たちが、役割があるということを、ほんとうの意味で、広い懐の大きい愛の想いで見つめ合っていく。それが神のお心であるということ。
この人が言っていましたけど、神様のジグソーパズルということをね、言うのならば、どのピース、ピースにおいても、必要であって、不可欠なものであったということが、人類がほんとうの意味で見直さなくてはなりません。
ですから、自力だけにおいて、科学が進むということもないのです。
すべてはバランスの中において―――。
そして科学というものは―――、前も言いました。科学というものは、神の子たちが、神の子としての修行をするために、奉仕する手段にすぎないのであると。科学というものが、科学だけで済むのではなく、神の子たちが、自分たちの修行をしていく上において、より便利であり、より多くの愛の奉仕をしていくために、科学というものが、その時代、その文明の進度に合わせて、その時代、文明の個性に合わせた方向で、与えられてくる。
そして、その神の子としてのいちばん大事な愛の想い、愛の行いというものをしていく上で、ひじょうに有効であるために、科学者の者たちというのは、それを助けるために指導している、役に立っていく。
芸術においても同じであると、マヌは言っていました。芸術もひとつの愛、精神的な高まりというものを、多くの神の子たちに広げていくために、愛の想いをわかち合っていくために、ひとつの時代のバイブレーションを上げていくために、芸術というものも存在していると。
だから、すべてにおいて愛の奉仕者としての役割が、科学においても芸術においてもあるのです。
いちばん大事なものは、愛の教え、神より教えられた愛の法というべき、神の摂理です。愛の教えです。それがいちばん大事なもの。それが神の愛の心臓部、大宇宙の心臓から流れてくる神の、愛の奔流としての、愛の法則として、それは脈々と大宇宙を流れ、そして神の子であるわたしたちの中にも、その愛の想いとして、それは流れているものです。
まず、その愛の法、そのかけがえのなさを、魂の中でしっかりと学ばずして、それの、その修行するための奉仕者としての、奉仕をするべき部分としての、科学の発展、芸術の発展というもの、様々な文化の発展というのはあり得ないということなのです。主客転倒しているということなのです。
科学と精神、宗教、宗教といいませんね、神の子としての法ですね、それと科学、どちらかなんてのは、全く具にもつかぬことなのです。神の子として存在するという修行、それがいちばん大事なものであり、たまたまそこに科学、物質文明というのが存在しているだけの、色合いを付けているだけのことなのです。
科学というものが絶対的なものであると、物質がすべてであるというふうな方向に、誤った方向にアトランティスも、そして今回の文明も偏ってきているから、まるで科学が同等な顔をして、いや逆に言うと、精神文化というもの、精神的な、スピリチュアルなもの以上に、科学の方が正しいものであるかのように、今の世の中、科学者たちがのさばっておりますけれども、そんなことは絶対にあり得ないということなのです。
神の子としての理論がまず先です。神の子としての生き様を、魂の中に神の子としての、いかに愛の想いというものを表現していくことができるか。それを人生の中に流していくことができるか。神の子として、どのような修行を、進歩、発展していくことができるかこそがもっとも大事なことであり、それに応じての科学の進歩、発展度合いというものは、それは惑星によって様々ではありますけれども、それがけっして神の子としての優劣には、あまり関係ないということなのです。
確かに大宇宙に出て行くために、ある程度の資格としての、科学の発展というのは必要なのです。
でも、宇宙の中をピュンピュン円盤を飛ばせている人たちから見たら、あなたたちなどは、ほんとうに赤子レベルなのです。ほんとうに、幼い幼い、ハイハイしているような赤ちゃんにしか見えません。
でも、それでも、心さえしっかり、愛の想いで、神の子として一人前になったら、ハイハイしている赤ちゃんでも、幼稚園前の子どもたちでも、ちゃんと順番に教えて、大学レベルの科学技術を教えてあげるよ、ぼくたちのこの宇宙の波動論を教えてあげるよと待っているのです。
でも、もしそれが逆であったのならば、ダメです。科学というものばかりが発達して、心が幼かったら、じゃあ、彼らはどうするでしょうか。それは、もう自分たちで滅びていくしかないということを意味しているのです。それが、地球とか惑星単位の淘汰の歴史でもあるのです。
まず、愛の想いで、自分たちが神の子として宇宙に出て行くのにふさわしい状態であるか、ふさわしい段階であるかという、そこがいちばんメインであるから、我々九次元と呼ばれている世界の、救世主界でも、まず、そこの法の指導いうものを優先するのです。その上で、それに準じて、科学進歩というもの、科学、物質世界の発達というものの指導をしていく。そして、それは多少、まだ誤差があったとしても、まだ波動論のことも、何もわからなかったとしてもいいのです。ほんとうの意味で神の子であると、永遠の転生であると―――。
自分たちはまるで、この地球だけ、自分たちだけが住んでいるような気持ちでいます。自分たちがこの大宇宙の中で、唯一ほんとうに、いちばんすごい存在であるかのように、愚かにも考え違いをしている。でも逆に言うと、自分たちしかこの大宇宙に存在していないかも知れないという、ひじょうに孤独な考え方の裏返しでもあるのです。
それから見たのなら、大宇宙のどこにいても、あなた方が見えないだけ、あなた方の地球のテレビに映らないだけで、どの惑星にも、どの衛星にも、生き物はいて、みんなあなた方の兄弟、家族、仲間たちがいて、みんな応援して手を振っているんだよと。ほら、見てごらん、と言って見せられた瞬間に、大宇宙のすべての惑星にいる者たちが、あなた方に向かって応援のエールを送っているのです。それがただ見えないだけの地球人であるということなのです。
それを、これから気付いていく段階がきます。
その前段階として、いちばん大事なこと、地球の霊天上界と呼ばれている、指導者たちであるわたしたちが、まず何をいちばんに持ってきているか。それは宇宙人の円盤理論でもないし、科学的な波動論を、まず、あなた方に説明することではないはずなのです。
仏陀が言われ、そして、エル・ランティが言われ、イエス・キリストが言われて、そのところから来ている、脈々と昔から言われてきている、神の子としての「法」です。
地球としての法、神の子としての愛の法、それをまず、あなた方に永遠の転生と、永遠の魂の流れ、神の子としての高貴な存在として、あなた方はあるのだということ。
そして、ひとりではないのだということ。
そういうことを、ほんとうの意味で教えていく。そこがあってこそ、次の段階に行く、次のまた段階を助けるための、科学という僕(しもべ)たちが出てくるということを、あなた方に伝えたいのです。
それが、この今回の文明、そして前回のアトランティスにおいても、物質と、物質文明の進歩、科学技術の進歩というものと、精神文明の進歩というものが両輪として発達するどころか、結果的に、精神文明の愛の豊かさというものを犠牲にした進歩発展によって、その文明のバランスというものが崩れて、崩壊してしまっているという、そして、この文明においても、崩壊寸前な状態であるということ。
それは誤った、物質、科学万能主義論というのが蔓延して、人々の中で、精神的な自らの魂の高貴さというものに目を背けた、ちゃんと認めないという、その人類の無知さ、傲慢さによるものの、原因結果の、最後の結論であるのかも知れないのです。
そこに、その因果を結ばせないために、今、必死で霊天上界から、人類はみな神の子であるのだと、永遠の魂があるのだと、死というのは何も怖いことではない。一時の旅行か、まあ、私たちから見たらば、ほんとうに肉体、他の惑星に転生することを、他の宇宙人たちから見てもですよ、死というのは一時の他のところに移動する旅行みたいなものなんです。悲しいことではないんですよ。魂は永遠なんですから。そうしたらば、苦しみというものの大半はなくなるのです。病気、病というものが苦しいといっても、病を通して今まで過去世でやってきたことの、因果の果が結び、それを表すことで自分は解放されていくのです。そして、それが終えたのならば、長く生きたからいいのではなく、短く生きたから悲しいのではなくて、自分、自ら設定してきた、その寿命の中において、その仕事が終わったのなら、その肉体から出ていけばいいのです。
ですから、皆様方の運動がいかに大切かということが、その科学というものだけの、科学というものだけを頭に占めて、そちらの方向があまりレムリアで説かれないということを、マイナスのように思わなくていいのです。
今、ポイントがあるのは、まず、愛の法というのをしっかりと伝えていって頂くということ。そのことがメインであるということ。
そこが終わってから、次の科学に強い者たちが出てきて、明かされてくるということなのです。
今、バシャールたちが言ったり、宇宙人の方たちが言っている科学にしても、まだ、ほんとうの意味で地球に受け入れられ、それが地球の科学の発展として根付くには、もう少し時間がかかると思うのです。それには、その基礎がほんとうの意味で根付いていないからなのです。
しかし、しっかりとこの宇宙の仲間の中において、時代、時代を越えて、国を越えて転生してきたという事実だけではなくて、惑星間においても転生輪廻するということを、しっかりと理解したのならば、人々は科学においても、それから他の人々に対する寛容さにおいても、他天体からの技術援助というものに対しても、どんどん心を開いていくことがあると思うのです。そして、受け入れていく寛容さというものを持っていくと思うのです。
今の段階では、たとえ最高の科学技術者と呼ばれている者たちが、急に宇宙人の人たちがこうだからと言って、波動論を言ったからとしても、地球の科学者たちには科学者たちなりの、すごくプライドがありますから、そんなにすんなりと受け入れていくことはできないでしょう。
まず、心の豊かさ、愛の豊かさ、神の大いなる宇宙の愛の法則のもとに、みんな同じ兄弟、姉妹であり、家族であるのだと、ほんとうの意味でわかったときに、彼らに対して素直に指導というものを仰いでいくこともできるし、互いに生かし合い、大いなる愛のもとに、奉仕し合っていくこと、無限の進化、発展の道こそが、神の子の永遠の道であるということ。この地球における肉体の枠、枷の中において、互いが縛り合っていく、不幸を不幸として、苦しみとして抱きしめていく、そういう時代にはもう終わりを告げるのだということ。それがみんなわかってくればいいと思うのです。それをまず学んだ後の、科学技術であるということ。
今は、こういう、バシャールたちが言っている、他天体ではこういう面もあるよ、こんな進歩も発展もあるんだよ、ということを見せることによって、地球人たちの目を外から見た、自分たちの、地球人という客観性をもって、自分たちを見させる、そのために、今、彼らは仕事をしているのです。ほんとうの意味で、地球が地球の科学の進歩、発展として、しっかりと結びつけていくには、やはり、地球自体の地道な科学技術力の進歩、発展というのが必要なのです。それは、加速すれば、この二十世紀の後半になってものすごく進歩したように、これから二十一世紀にかけて、そこの核さえできれば、ものすごい水準で、あっと言う間に進んでいくことでしょう。
でも、やはり地球の科学の進歩として、しっかりと積み重ねをしていったところでの、急速な進歩、発展というものが望まれなければ、それはしっかりとした技術力として、地球に根付かないものとして、役に立たないと私は思うのです。
ですから、出番は、私などは、あなた方がやってくれた仕事のちょっと先という感じで、手ぐすね引いて待ちかまえているというのが真実なのです。ですから、今回の計画で、まあ、この人もコンプレックス持っているみたいですけれども、科学的なものが苦手な人が、こういうことをやっているということも、けっして、まあ、そこの部分はいいんじゃないのかい、というところで、使命を持っているということも事実なので、あまりあせらなくてよいかと思います。
それより、もっと、今の、今の時に大事なこと、今、あなた方がやること、それはこの世界中の神の子たちの仕事の中で、いちばん大事な仕事の場所に、今、レムリアに座るあなた方がいるということ。そのことは、そのくらい言ってもよいと思います。そこからはじまり、地球中にいる神の子たちに、本来の使命を悟らしめる、自分の存在理由を悟らしめるということが、あなた方の使命でもあります。そうしていった時に、地球中に住む神の子たちが、自分の力を発揮して偉大なる自分たちの力に気付いて、この地球をユートピアと変えて行くことができるのだと思うのです。
ですからどうか、精神的なことばかり言われて嫌になっているから、少し科学的なことも知りたいと思われるのもわかりますけれども、いちばん大事なことは、そこであるということ。人々の世界の中から、無知さゆえの悲しみや苦労というものをなくしていくということ。それは医学においても同じでしょう。すべてにおいても同じだと思うのです。
ですから、そこの価値観の大転換ということを、「ルネッサンス」というのです。
別のベクトルから見たのなら、別の発想から見たのならば、けっしてそれは苦しくないんだよと。敵対し合ったり、殺し合うものではないんだよと。みんな、一なる神のもとから出ている宗教なのだよと。あなたも、もともとは、他の国にも転生していたんだろう、なぜ、自分のもと生まれた国の者たちを攻撃するのか、排斥し合うのか。そういうことを互いに学ぶための、今までの分裂の、分裂していた、分かれていた時代があったのです。
でも、もうこの分裂と破壊に満ちた時代から、大いなる愛のもとに統合されていく時代、一なるものの時代に来たときに、それは愛のもとに統合されていく時代であるのです。愛のもとに、神のもとに統合されていく。
「神」という言葉がキーワードになる。それはミカエルが以前、霊言集で言っていたと思うのですけれども、愛というもの、そして神というものが、キーワードのもとに、全人類がひとつにまとまっていく。そして、そこのところで、神の子だという意識がしっかりと認識として確立したときに、次なる地球自体の大いなる多岐にわたる文化に広がり、それがひとつの運動として、ルネッサンスの運動となっていく。
その原動力は、あなた方が説く、このレムリアの「法」にある。神の世界から降りてきた、この地球の法、宇宙の法にあるのだということ。それが、これから爆発的に起きてくる、地球の、ルネッサンスの原動力になっていくということ。規範になっていくということ。そのことを、あなた方はいちばん大事な根幹の部分を今、おやりになっているんだということ。それをどうか認識して、お仕事を頑張っていただきたいと思います。