臓器移植の問題点-亡くなった方の魂が迷っていく危険性がある

臓器移植の問題点-亡くなった方の魂が迷っていく危険性がある

 いちばん問題なのは、その亡くなっていく方の意識が、自らの命を捨ててでも、他の方の身体の中において愛を生かしめる、愛を与えていく存在になろうという覚悟なくして亡くなられて、そして、その本人自体が、まだ肉体がすべてであると思って、肉体から出られない、その肉体だけ、死んだら終わりであると思ってしがみついているところに、いきなり周りの肉親とか、その親たちが出てきて、了解もなく、まだ肉体の中に入って、生きていると思っている者の身体を切り裂いて、臓器をみんな持って行ったのならば、その肉体の中にいる魂自体がたいへんな思いをし、その魂自体が救われる道が、逆に難解なものになってしまうのです。
 それであるのならば、昔から行われるように、ちゃんと葬って、肉体ごと、あなたは亡くなったのだよということを言い聞かせる、しっかりしたことをもって、我々の世界に送り出していただくことのほうが、魂を救うという意味においては、その方の魂を迷わせないということが大切なのです。
 ですから、何でもかんでも分け与えることが、他の方の命を救うんだから本人も喜ぶだろうと、すべて決め込んで、他の方がたへ臓器を提供するということは―――、我々は魂の次元で見ております。
 魂が成長できるか否かということだけを考えるときに、逆に混乱と迷いと転落を意味する場合も、臓器移植というのはあるから、全面的に賛成であると言って、亡くなった方の身体を裂いて、すべて臓器を提供し合うということ、それが当たり前のルールになるということは、やはり危険性があるということを申し上げているわけです。
 それが、了解が取れて、それが愛の生かし合いの行為となり、そして、お互いに神の子としての学ぶ、愛の認識というものを学ぶ素晴らしいチャンスとなり得るのであるのならば、どうぞそのチャンスというのは、優秀な医学界の方がたのお力を得て、また新たな命を生かしめるためのチャンスとして、生かしていただくことは私どもの世界では、何ら問題はないというふうに思っております。
 すべて、大事なのは愛です。愛を学ぶために、地上の肉体はございます。
 

まんだらけ出版「地球最高神九次元霊2」(レムリア・ルネッサンス著)
P110~111 イエス・キリストからのメッセージ抜粋