いたずらな延命措置は魂の幸福にはつながらない
肉体というものは誠に尊いし、地上で修行する神の子たちにとっては何よりも大事な乗り物、乗り舟になっているのは事実なのです。
でも、ある意味で言うと、この地上の、この三次元の幸福感が、この肉体の中に閉じ込められた、この、これだけが地上の神の子の姿であると、人間の姿であると。そして、この肉体生命が終わりを告げたのならば、それで一切が終わってしまうと。そのような誤った価値観に裏づけられているからこそ、何が何でも、この物質的な肉体に留まろう、留まろうとする思いの中で、いたずらな延命治療というものが行われているのかもしれません。
でも、ほんとうの意味で言ったのならば、この三次元で着ている、自分の身体を包む衣のようなものが、ある意味で言うと肉体であるのだと思ったのならば、この地上での使命を終えたのならば、その衣は脱ぎ捨てていくものなのだという、そのような気持ちになったときには、やはり、多くの方がたがこの衣を脱ぎ捨てる段階において、いたずらな努力というか、そのようなものは、延命というものは望まなくなるときがくると思うのです。
逆に言うと、幸せに執着を残さず、あの世へ旅立って行くことをしっかりと指導するということも、逆に医学系のお医者様といわれている方たち、医療チームがやることになるかもしれません。
最後の苦しみや、痛みがあったときにでも、やはり心の持ち方、気持ちの持ち方で、その最後の瞬間を迎える痛みの度合いというのは違ってくるように思うのです。
そして、あなた方が帰って行く世界があるのだと、そして、今回の地上での寿命の長さというのは、間違いなく、あなた方自身でほとんど決めてきているのです。
この中に、百歳まで生きたほうがいいからと言って、ほんとうに百歳まで生きたいと思う方が何人おられますか。
百歳になれば身体も、足腰もがたがたになるのです。動くこともできず、おいしいものも食べられない、「いやー、私は百歳まで生きたくない」と言って、自分のいちばんいい時というのを設定して、だいたい寿命というのは決めてこられているのです。
そのように生まれ落ちたときに、あなた方は細胞レベルの中に、もう埋め込んで生まれてきているのです。それはあなた方の自由意志で、青写真の中に、計画されている。
それを必要以上に短くしたりする、不摂生とかいうのもあります。そして、事故にまれに遭う場合もあるのです。でも、それ以外のことを思うのならば、ご自分たちで決めてきた寿命であるということ。
そして、過去世の因縁を晴らしていくためにも、カルマを晴らしていくためにおいても、今世、いちばんそれが果たしやすい環境、果たしやすい病というものが、結果として、原因の結果として、果として、肉体に起きている状態というのがあったときに、それはやはり、病気として現れいでていければ、それは消えていく姿として、ありがたいというふうに思って、病とつき合っていく道もあるということなのです。
だから、物質としての肉体をすべての人間とし、その人間だけが長く生きながらえるために、いたずらにこの物質的な世界に縛りつけるために、延命を行う。そのためだけに投薬、治療していくという姿、それはやはりその方の魂の喜び、幸せ、幸福度にはつながらないということ。
まんだらけ出版「地球最高神九次元霊2」(レムリア・ルネッサンス著)
P117~119 イエス・キリストからのメッセージ抜粋