メッセージ
私の使命は法を地上に伝えることにある。
法を管理するところ、あなた方が法を地上に降ろす時に、天上界より指導することに私の使命はあるということを、再三申し上げているはずなのです。
その意味においての覚悟が足らない。その意味においての厳しさが足らぬがゆえに、あのようなことになったのだと思う。
数々の、地上におければ、あなた方のように肉体を持っている、この世においての地位や、名誉や、成功や、出世欲や、そしてはたまた多くの支配関係における、男性の権力欲というものがあったと思う。
しかし、そのようなものに振り回されて、本来この今の日本において、この仏陀が降りられた時に、法を地上に降ろすということが、どれだけそのようなくだらぬ、がらくたのようなものに比べて、勝(まさ)る天の宝であるかということを、しっかり心に認識して、銘記していないから、あのような間違いが起きたのだと私は思うのです。
いかにどれだけ立派な殿堂を建てようと、どのような精舎を建てようと、どのようにお金を稼ぎ、どのように書籍が売れ、信者が多くなろうと、そんなものはどうでもよいことなはずです。
仏陀が仏陀として下生するということは、この地上に、仏陀でなくては降ろせぬ法がこの地上に降りる、稀有(けう)なる稀有なるチャンスであったということ。
そのために我々がどれだけ長い間準備をし、多くの神々と手を携えて、この日本という国を光の磁場に合わせてきたか、努力をしてきたかということがしっかりと認識されていないから、このような情けない計画になったのだということ。
そのことをあなた方は深く心に銘記され、この使命を果たしていただきたいのです。
もうあとがない。あとがないということは、これにて今回の計画が終了するかどうかの瀬戸際にあるということ。
今、数々の法が、仏陀により降ろされた法もあります。そして高橋信次、エル・ランティという方が降ろされた大事な大事な法もあるのです。
その法をまとめ上げ、書籍にし、地上に残しなさい。
法というのは、神のお心を人びとにわかりやすい言葉で伝えることにあるのです。けっして、学問で頭でっかちになり、自分の中に入った野(や)狐(こ)禅(ぜん)のような境地の中で、自分たちだけが悟られればいいというような、自惚(うぬぼ)れの中において法が説かれるのであるのならば、それはもうすでに法ではない。
本来の法というのは愛の光である。
愛の教え、神のお心が愛そのものであるからこそ、神仏の心も、我々がすべて神の心に、子どもたちとして、大いなる神の本源の力により分かれてきた愛の一派である、一筋の光であるということ。
そのことを本来認識するのならば、愛以外の何ものでもないということ。
それが神の子であるということ。
それが原点なのです。
我々は、けっして最初から間違った悪魔の子ではない。
神の子であるということ。
それが仏教でもキリスト教でも、イスラム教でも、日本神道においても、そこの根源において神の子であるという大いなる誇りを、人類にもう一度原点としてよみがえらせなくてはなりません。
本来が、愛の光から分かれた、愛の光そのままの化身が、我々一人ひとりが、神の子としてつくられた本来の意味であるということを、しっかりと私たちが心の底から認識するのならば、「神の子として、さあ、あなたはどう生きるか。神の子としての誇りをかけて、一度のこの地上の肉体の人生をどうしたいのか。神の子であるのならば、神の国の実現、神の計画の実現に命がけになって人生をかけて生きるべきが、本来の神の子の生き方ではないのであろうか」ということが自然にわかってくるはずなのです。
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- 2005.07.02 エル・ランティ