メッセージ
神の愛というものは、常に人類を育み、動植物を、この地球という環境を通して、神の体としてその表現媒体として、神のご意思を広げるために、表現するために数々の惑星が命を持っております。
その中において、地球というものはひじょうに心臓部、心の中におきまして、愛というものを強く問われる、ある意味で言うと愛というもの、アガシャー系というふうにあなた方は知っておられると思いますが、アガシャー系団という意味において、心臓部、心の、愛という血液を流す、そのことをもって、修行のメインテーマとしている星なのであります。
ですから、神の体には愛という血液が流れているのです。それを全身に流していく、愛を流していくポンプというのが心臓です。
この地球自体、銀河系というもの自体が神のお体の中において、心臓部分であるということ。心臓部分であるということは当然、愛が何であるかということを学ばねばなりません。それをもって愛というものを、愛という血液を神のお体の全身に流していく、その押し出していくという、そのような使命を銀河系自体が授かっているのです。
よろしいですか。ですから我々がアガシャー系、イエス・キリストを招霊して、愛というものを徹底的に今地球人に教えていこうとしているのもそこなのです。
愛が何であるかがほんとうにわからねば、我々の地球としての、惑星としての使命もまっとうできぬということ。そしてそれは何も、心臓の部分としての、心としての部分での地球の修行だけではなく、銀河系の修行だけではなく、生きとし生けるすべてのものが、神の中における愛というエネルギーにより生かされ、育まれているものであるということ。神のお姿そのものが愛そのものの化身であるということ。
そのことをあなた方は、まだまだ感覚的にはわからぬでしょうが、そのようなことがわかる時代が必ずや来るでしょう。
今そのように、硬い、重い肉体にあなた方は、我々からみると閉じ込められているように思います。本来あなた方が出してみたなら、素晴らしいパーニャパラミタを、素晴らしい智慧というものを持った偉大な存在なのです。
だけども地上に生まれて行き、そのような牢獄のような肉体の中におかれ、そして五感以外の、先ほどから言っているテレパシーとか様々な感性というものが、霊能力というものが封印されておられます。
でも必ずやこの時代を超えていった時、そのようなむくろのような肉体を脱ぎ捨て、もう一段軽やかな波動の肉体というものをあなた方が手に入れるような時代が必ずくるのです。
愛という浄化におき、物質の質量の意味においても軽やかになり、その執着の部分が抜けていったとき、肉体自体にも変化が起こり、波動的にももっと軽やかな肉体というものになるのです。
その時には、自分自身が神の子であり、愛そのものであり、それ以外のものは持っても掴んでも意味のないものであるということを、ほんとうに魂が理解し尽くしたとき、肉体は余分なものをまとわなくなるのです。質量的に軽くなるのです。
今、あなた方の肉体はそのように荒い波動の中で、粗雑な、ひじょうに我々から見ると粒子の重い、重い重い肉体を持つようになっているのは、あなた方の心の中に、地位とか権力とか様々な名声とか支配欲とか、様々な欲が地球人の心の中の大半を占めているということ。金銭や異性に対する執着とか、そういう欲がたくさん占めているということ。
そのようなことをもって、抱え込むものが多いから、ひじょうに我々からみると物質的な低レベルなものに対する執着心が強いから、肉体においても波動的においてもひじょうに粗雑な質量の重いものを肉体としてまとってしまっているということなのです。
すべての執着を解き放ち、すべての物を足るだけのものにし、食べ物にしてもすべてにおいても、余分に貯め込まない、抱え込まない。自分がまず生活していければいいだけ、そしてそうでなければ多くの者たちに分け与えるということを思っていったならば、人びとはいつも食べるためにあくせくしたり、他の者から守るために険しい表情で他人を敵外視することなどなくなるでありましょう。
宇宙の星で、ある程度進化したところに行けば、大きなセンターのようなところがあり、食べ物、飲み物などはどこにいても、お金など使わなくても無料で出てくるのです。人はそんなに食べられるものではないのではないでしょうか。そして食料にしてもたくさん買い込んでも、食べられる量は決まっており、腐らせてしまうはずなのです。
ですから、その時にその時代その地域において必要な者たちが分かち合うということ。分け与えるということ。ほんとうに愛の想いの中で学んだときに、地域の中において余分に人を蹴落としてでもお金をたくさん欲しいとか、余分なものを貯めこもうとか、他の者と比べて自分が惨めだとか、優越感だとか、劣等感だとか、そのような想いもすべてがきれいになくなっていくのです。
この肉体を維持するために必要な分だけを神様から与えられる。そのためにみんなで働き、みんなで地域共同体のように、そのように食べ物を用意していく。そのようなものがあって、愛と感謝によって、互いが分け合っていく。農産物でも分け合っていく。そのようなことをもっていったのならば、人びとの世の中から、今、今の地上界が抱えている多くの悩みとか貧困とかそういうものが消えていくことでしょう。
今の地球を見ていても、食べ物の絶対量が足りないわけではないのです。水にしても富にしても足りないわけではないのです。一部の者たちが独占してしまうから、飢えて死んでいく者たちがいるのです。
教科書がなくて勉強もできぬ者たちがいます。でもかたやこちらでは、贅沢三昧に育って、甘やかされて、物質のあり余ったところで、脆弱になっている子どもたちがたくさん文明国の中にいるのです。彼らにかけているお金、彼らにかけている物質的な、あふれているようなものを、もしアフリカとかハイチとか、そのように飢えている者たちの子どもたちに分け与えていく気持ちが、もし地球人というトータルな目においてあったのならば、子どもたちはどこも学問を受けることを、教科書もないとか、鉛筆もないとか、果てや食べていくものがなくて死んでいくような子たちなど 、本来、地球はないわけがないのです。
分かち合うということ。他者の痛みを我が痛みとしていくということ。そういう自分だけが良いという思いの対極にあるもの、それが愛であります。
それを地球人がほんとうの意味で地球意識として持てたときに、地球人意識として持てたときに、愛と分かち合いができたときに、この地上からは様々な不幸が姿を消していくのです。
そういう時代が必ずや来るでしょう。その時には肉体も先ほど申しましたように変化を遂げ、ひじょうに物質的にも軽やかなものになります。それには何度も申します。
それには欲を捨てなくてはなりません。
地上的な、自分さえ、我が身さえ良ければいい、我が身さえ可愛ければいいという、その欲を捨てていく。
それはみんなが、本来は神がお創りになられた神の子であるという、そのような原点に戻り、愛というものをほんとうに学んだときに、人びとの目は霊的な目も、霊的な耳も、霊的な様々な第六感、第七感と呼ばれているものが、すべてが開いていき、この者がやっているように、いろいろな者たちと、精霊たちと話ができ、宇宙人ともコンタクトができるような、そういう時代が来るでしょう。
そのような時にこそ、いろんな意味で霊文明のほんとうの開化という時代が、宇宙の中における地球にもやって来るということ。
その時代、その時が来るのを我々は、長い間、気が遠くなる程この人類を指導してきながら、楽しみに楽しみに待ってきた時でも、大飛躍の時でもあるということを伝えておきます。
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