メッセージ
こんにちは。老いぼれです。老子です。
「修行」、わしが一番嫌いな言葉だよ。修行なんかしなくたって、そのままありのままの自分で、自分自身がどんな生き方をしたらいいかなんて考えなくたって、ありのままの神の子で生きていれば、それで十分幸せなのが神の子なんだよ。それを気づくか気づかないか、自分の人生を味わえるか味わえないか、それだけが問題だ。
多くのものを望まず、多くの欲を欲せず、自分自身に正直に、神様からつくられた自分の人生を、魂を味わいながら、ゆったりと自然の懐の、神の懐の中に抱かれながら、踊りながら生きていく、味わいながら生きていく、それが私が言っていた境地、「無為自然の境地」っていうものなんだ。
わしの考え、思想というのはね、考え方というのは、何もやらなくていい、人間は努力しなくてもいいという教えじゃない。そんなんじゃない
まあ、わしが言ったことはあの時代で研究者がいろいろ言っているかもしれないけど、まあ今日の言葉で言うのなら、無為自然の自然というのは神の御心ということだ。
幸せというのは、欲にかられ自我にかられ何かを獲得し、何かを所有するものじゃない。そんなものじゃない。幸せというのは心の中で、魂の中で幸せをかみしめること。幸せを感じること。それを幸せというんじゃ。
努力というのは、自分がやりたい夢や希望をかなえるためにするのなら、その多さ少なさなぞというのは苦の原因にはならないということ。自分がなりたいと思う努力は高くても難しくても、そこに向かって努力してるということは喜びでもあるということ。そこに、ほんとうに自分の魂の中で、人生の中の希望の思いがあるのならね。
これだよ。自分がやりたい夢は、人がどう評価しようと、その結果じゃあない。結果のために、目的のために、自分の人生を修行という名のもとに縛り上げて、「苦しい、苦しい、苦しい」と言って、努力をする人生なぞは「人生をほんとうの意味で味わってることにはならんよ」と。あんたたちは幸せになりたくて、この地上に出て来たんだろ? 地上に出て来たということはな、自分の魂の中にある、あんたたちで言う「うずき」、「自分ならではの光」、「やるべきこと」、それは、「べき」なんて言葉もおかしい、この翻訳はおかしい、「やりたいこと」、それに忠実に、夢を目的を見つけた時に人というのは、莫大なエネルギーが出てくるということ。
その時に、「苦行」だとか「修行」だという言葉はない。その修行をしなければアラハンに行けないとか、修行しなければ、ここまで行かなきゃ、ボサッターという位になれないとか、それはおかしいよ。
わしゃ、ごめんだね。セミやコオロギといっしょに仲良く生きてるほうがどれだけ楽しいかのう。
わしはわしとして正直に、神より与えられた個性を、個性というのはその中に使命が含まれている。わしは「多くの人びとを自由にしなさい」と、「多くの人びとを自由の中で解放することで、喜びを与えていきなさい。喜びに気づく道を与えていきなさい」と。大自然の中における神の声を聞くことによって、人びとにそのようなことを語りかけていく、知らしめていく。
ほんとうに大事なのはのう、あんたたちみんなの中にもうすでに蓄えられた過去世のパーニャパラミタと呼ばれている叡智がたくさん詰まっている、そして神に創造された時より与えられた神ご自身の分光、分けた光があんたたちの体の中に入っておるんじゃ。この光に出会うことだよ。
いっしょに上がっていこうよ。
いっしょに成長していこうよ。
いっしょに許し合っていこうよ。
神の子の本源というものの中に、ともに認め合って、手を取り合うということ。そして生かし合うということ。その思いを忘れては誰も幸せにはなれないということ。誰もだよ。
あんた方の中にある魂の純粋性、マリア様がおっしゃった、幼子のようなねえ、邪心のないねえ、きれいなきれいな神の子としてのまあるい心、そして、そこを通して人を愛していこうという思い、感謝の思い、その愛がどれだけその魂から光輝いているか、己自身の光を発してるか。
己自身の光を発してるということは、己自身の命を、魂を大切に生きてるかということなんだよ。大切に生きようとするその思いが、あんたたちのそのピカピカの無邪気な純粋な魂の、さく裂するような光を放ちだした時に、愛のキャンドルサービスと呼ばれている、愛の点火は行われていく。
むき出しの、むき出しの、あなた方の魂の光をもって、愛の光をもってしか、あなたの隣人たちの、神の子、仲間たちのハートに火をともすことはできない。
その大事なことを見失っちゃいけないよ、ってことを、この老いぼれは伝えたくて、今日来ました。
わかっていただけたかな? 少しお役に立てたじゃろうか?また、この老子としてのシリーズを、もしやりたければ、ほかの者が来た時に、どうかお呼びください。また喜んで来ましょう。
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