メッセージ
わたくしも、けっして、予言だけをしていた者ではないのです。わたくしも、かつて医者として頑張っていた時代もありますので、その同じ医師としての見識をもって、神の神理を、いいですか、あなたは霊言を通して神の神理というものを学んでおられる。そして、医者という、肉体舟を治すという立場におられる。その結びつきが、いかに今の時代、大事なことであるか。根本的な価値の転換をかけているのです。
肉体舟を維持すること、肉体にしがみついて生きること、物質界にしがみついて生きることのみを幸せの基準におくから、すべてがおかしいのです。そのようなものは感謝しても、けっして、それがすべてではないのであると、逆に言うと、本来の実在界というのは天上界であるのを、天上界を実在界と本来、言うのです。魂はみんなこの世界から出て来るのですから。
いっとき仮の姿、仮の役割において、この地球において活動するための手段として、わたくしたちに肉体舟を授かるのです。その修行の大事な肉体舟として、維持するために感謝することは大事だけれども、それにいたずらに延命しようとか、それだけが、その病をなくしていくことだけが、ね、長く生きる、少しでも生きることだけが幸せの象徴であるという、間違った感覚・・・。
だから、愛する子どもを亡くす別離の苦しみはあるけれども、妻や夫を亡くす、恋人を亡くす、友人を亡くす悲しみはあるけれども、それは、「また、あの世に帰れば会えるのだ」と言えば、地上の苦というもの、苦悩というものは、ひじょうに多く、なくなっていくのです。
発想の転換が必要なのです。
それと同時に、あなたはお医者様ですから、体、肉体に関しての、やはり方法論というものを変えなくてはいけません。臓器移植をしていくということは、すべて三位一体、いいですか、霊と肉体と心というのは、この肉体がこの地上に出たときに一体なのです。その中から他の方の臓器を持ってきても、そこには三位一体で、その方の霊魂が、亡くなったとしても、その方の霊的な意識というものが染み付いているのです。ですから、その霊的な意識がその別の肉体に入って、本来はなじむことのほうが少ないのです。そこまでして生きていきたいか。
何ゆえに病気になるかということを、高橋信次、エル・ランティがおっしゃられていて、すべてこの世の中は、原因結果のルール、法則によって支配されているということ。それも、高橋信次が明かされたはずなのです。
原因があり、結果がある。それはその冷徹なまでのルールというのがあり、それは神の根本的な法則そのものでもあるのです。
そのことを思ったのなら、病を得るには、病を得る原因があったのです、その方に。よろしいですか? 今までに生きてきた年月だけではなく、不摂生(ふせっせい)とかもあったでしょう。当然、それもあります。それ以前の、過去世からのカルマの解消、たとえば、私が言った、今天変地異でね、マイナスエネジーが集まったから、いいですか、この大陸を揺らさなくてはいけないとか、どっかでエネルギーを発散させなくちゃいけないと、私たちもひじょうに悩みながら、苦しみながらそれを決めていくのですが、病を、それは地球が肉体なのです。地球は地球神の肉体なのです。
わたくしたちはそれを、今、肉体に負っているのです。自分がマイナスの不摂生、マイナスの心を思ったのなら、マイナスの想念が集積し、どこかにおいてその病んだ部分というのが形成されていく。それが物質化していくのが病というものなのです。
だから、そこにおいて苦しみがあると、単に地上で苦しみがあるだけではなくて、何ゆえにそのような原因をつくってしまったかという、その原因を反省すれば、病の大半というのはなくなっていくものなのです。それがわからない場合もあります。過去世からの解消の場合も、今の段階の地球のレベルではあるのです。でも、それをいたずらに、苦悩をなくせば幸せになるというのではなく、その病と上手に共存しながら、「このような苦悩を与えて、我が魂を救われる神よ、ありがとうございます」という思いの中で、病とともに生きるのです。
なぜであるならば、その病を生む原因をつくったのは、現在であれ、過去世であれ、あなた自身なのだから。原因はあなた自身がつくったのだから、それを受け入れて、その病を通しながら、今それを浄化してくださる、それを発散し、「私を救ってくださるこの病よ、ありがとう」という気持ちで、その病とつきあう。そして、その寿命とつきあう。
病を解消したのならば、その肉体生命が終わるときがあります。それは長く生きたから幸せなのではない。その肉体が、今回、その過去世のカルマを解消するためだけに、もし、生まれてきたのであるならば、その肉体はその病を通して清算をして、我々の実在界に、晴れてカルマを返し切って帰って来ることが、その霊魂にとって救いであるということ。それをいたずらに延命し、いたずらに苦しみを長引かすようなことをすることは、けっして、その魂にとって少しも幸せではないのだということ。
それは、やはり、霊と肉というものを一体として、神がどのようにおつくりになったかということを根本的にわからずして、人の肉体をいじるということはできない。
そして、それが幸せというものの価値観という、信仰というものの価値観の根本に根づいていかなければ、これからの人類が、本当の意味で幸せなる心の平安を取り戻し、地球ユートピアをつくっていくような心境になるとは、わたくしは思えないのです。
あなたが同じようなお医者様であるから、わたくしはそのような観点で、今日、説明いたしました。予言というものも含めてね、医学というものはどちらのほうに進めていったらいいのか。けっして、遺伝子操作をしたりとか、ね、自己実現のために神の宮である肉体をいじくり回してはいけません。
それは神により祝福され、霊と肉と心によって、この肉体というものはひとつの神の子としての神殿として、つくられているものなのです。それをむやみに切り刻んだり、むやみに人類の知恵により、知識により、男女の産み分けとか、遺伝子操作をやり続けるのならば、それは必ずや現代のバベルの塔のようになって、人類のもとに返ってくることでしょう。
原因があり、結果があるのです。
そのような原因をつくったのはあなた方人類ですよ。
でも、その結果の悲惨さを見てから学ぶのが、あなた方人類なのか。それとも、見なくともこのようなことから推察し、そのような愚かな行為をするのを止めて、そのようなことにいかなくても、すでにもう学んだ神理から割り出して、そのような方向に医学がいくのを止めるようにして、早く悟っていくのか。それは地上の者たちの、人類のこれからの今後の発展にかかってくるのだと思うのです。
そのようなことを考え、人びとは、まず、巨大な痛み、巨大な苦しみがある中で、信仰心だとか、神とかっていうことと出会いながらも、本当の意味で幸せになることはできないのです。
まず、肉体的な苦痛というものを取り除くということも大事なことです。でも、真の喜び、真の幸せはこの物質的なものを離れた霊としての、霊性の進化というものを遂げていく、その無限の過程の中にこそ、本来の神の子としての幸せがあるのだと、そのために永遠の転生輪廻があるのだと、その転生輪廻の一環として、今世のわずかな数十年があるのであるとわかれば、この肉体にいたずらに執着し、いたずらに、この延命だけを考えたり、長く生きることに執着するということは、けっして、意味のないことであるということを、あなた方、医者の立場で伝えるときがきたのかもしれない。
勇気がいるかもしれない。でも、それができてこそ、あなたは本来、今世のあなたの使命を果たしていかれるのです。
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