メッセージ
私のような者が天上界にいるということ。そして、それが、神のお心の中において、そのような役割をもつ者がいるということ。あなた方は不思議に思われるかも知れない。しかし、神の国を実現するという意味においては、時には破壊をももたらすことが次なる再生をもたらし、そして、数々の互いの偏狭な垣根を取り壊していくことにより、ひとつの大いなる道筋の中で、時代を越えて流れていく、神理の叡智というものの道筋をつくるという、そのような役割があるのです。
三次元においては、やはりこの地上で、ひとつの帝国、国というもの、組織体制というものを通して文化は継承されていく。そのような道筋があるがゆえに、私は、まず出て、神理伝道が行われる道筋に沿うて、その神の真意を地上に伝えるために、神の国実現のために、私は地上に出て、帝国の統一ということを生涯の事業としたのです。
その過程、数々の悲しみや、苦しみや、戦いというものを通して破壊神と呼ばれていたときもあるのです。 かつて、インドに出たことがありました。
インドでは、シヴァという名で呼ばれた、破壊の神と呼ばれた時代があります。仏陀よりもっと以前の時代です。その時代に私が出たときも、やはりインドは数々の国が入り乱れ、戦乱につぐ戦乱があって、その時に、やはり次に出て来る大いなる進歩を説く、仏陀の法が説かれる前に、やはり国を平定し、ひとつの愛による道筋というものをつくるためにも、慈悲というものを説かれる、仏陀の法が説かれる道筋のためにも、私はその古代のインドに降り立ち、国を統一するために破壊神と呼ばれても、その国々を統一して回ったという、そのような過去があるのです。
私たちが戦闘により、殺戮とか、戦というものをあえて肯定していくもの、そのような神のご意志あってこその、ご意志を地上に広げる、繁栄させるために、神の御国を実現するためのその道具立てとして、我らは戦というものを通しながら国を平定していく。
あなた方の国では、ヤマトタケルと呼ばれてる方がおられるはずなのです。あの方は日本神道の中において、やはり日本が、この国、いずれこの神理発祥の地となるために、日本神道の方々は遥か昔に、この日本という地を預かられたのです。授けられたのです。その時も、やはり数々の平定をし、この国を神代の国と呼ばれる神の国にしていくために、あの方も命懸けになり、この大和の国を平定されたはずなのです。
それがゆえに、その後、安定した基盤の大和朝廷というものが築いていく道筋になり、そこの中で、聖徳太子とか、そういう方々が神法、神の法というものを地上に降ろすことができた。安心して、そのような仏教とか、日本神道だけではなく、仏教、キリスト教を通しながら、この国に、数々の西洋、東洋の宗教というもの、文化というものを入れながら、この国独自の磁場として、神の国の磁場としてというものをつくりながら、今日までの時を、力を貯めながら、蓄えて待ってこられたという、そのような時代があるのです。その時に、やはりヤマトタケルと呼ばれる武将の方がお出になられて、この国を平定されました。
私は、まあ、ある意味で言うと、それのもうちょっとスケールが大きいと言ったら失礼かな。ほかの国、ヨーロッパ圏から、アジア圏から、先程、あなた方が言われたように、アフリカの方まで行きました。インドの方まで行きました。あの時代は、まだ地上に、この世というのが 。世界地図で言うと、だいたい、それぐらいのものだったのです。アメリカ大陸とか、そういうとこ、まだまだ、発見されておりませんし、人が、それほど文化の高い者たちが住んでいたのは、だいたいそのあたりでした。ですから、だいたい世界統一を成し得たという形に、まあ、だいたいなっていたわけです。
そして、それは私の野心により、私が 。何度も言いますけど、私が支配したかったから統一したというのではなくて、そこを一体化させることによって、ギリシャの文明というもの、ギリシャの叡智と呼ばれているもの、それがすみずみまで流れ入る道筋をつくったということなのです。
血管を通らなければ血液は流れないでしょう。それと同じなのです。私が国を平定し、統一していくということは、神の国、神のお心という、叡智というもの、神の国を実現させるという、その神の熱い血を、情熱を、神理を、その血管に流すために国というものを統一させていく。ひとつ、一体感をもたすことにより、その道筋をつくるという、その役割が私にはあったということです。
ですから、私たちのような者がいるのが、高級霊界にいるのが、ひじょうに不思議に思われるかも知れない。そのように思っておられる方が多いのも事実だと思うのです。
ですけど、神の計画を実現する上においては、やはりそのような荒々しいものも時には必要であり、ただ、その破壊を行うときに、それが神の国の、何度も申しますが、神の国のご計画のための、自らは道具立てとしてその使命を果たすために、命懸けで地上に出ていくという思いがあってこそ、我々の立場、地位というもの―――、地位というのは失礼です。居場所というものが存在し得ている。使命のセクションというものが与えられているということです。
あなた方も、もし、この最終ユートピアを打ち立てるための、この第三の計画に命懸けになってやる気があるのならば、我々が戦をしたように 。時には、戦闘系の者たちを荒々しいと言って嫌われるものなのです。それもよくわかるのですけれども、やはり命懸けになって、その道を、道筋をつくらねば、どれだけ血液が、すばらしいものが、神の血液があったとしても、それが道の中を流れなければ、ひとびとの手元には、ひとびとの栄養となって、心の栄養となって届かないのです。
それを流すのは、心臓としてのポンプの、あなた方の熱い情熱、使命感、それしかないということです。その時に自らを守る、自らが傷つかぬ思いの中だけで汲々とするのであるのならば、それはあなた方の自己保存となり、単なる宝の持ち腐れとして、あなた方の単なる興味、嗜好のものとして、この神から与えられたメッセージが無駄になっていくのを、私は黙って見過ごすわけにはいかないということなのです。
ですから、そのような思いがあるのならば捨て身になって、命懸けになって、この神理のために頑張らなければ、到底、ユートピアなどは建設できないということ。口先だけで、ユートピア論を唱える人は多いかも知れないけど、やはり地上にユートピアが実現されるときは、生身の三次元の、この地上の者たちが体を張って血を流しながら、汗を流しながら、この地上に、やはり平和な国土というもの、平和な国というものをつくり、打ち立てながら、一歩、一歩前に確実に進んでいった、その実績があってこそ、その後に神理というものが伝播し、宗教関係のお坊様たちが播いた種が実を結んでいくのではないでしょうか。
そうでなければ、キリスト教においても、仏教においても、あの当時、仏陀や、イエス・キリストが説かれた教えが、今日(こんにち)、これほど広がるということはあり得ないと思うのです。この世界中に広がったキリスト教、世界中の隅々まで行き着いた仏教などの教えを見ていると、これを伝播するために、どれだけの者たちの血が流れたことでしょうか。
キリスト教関係の修道士たちにしても、皆、殺されていったではないですか。でも、彼らは命懸けで伝播して、その毛細血管のような血管ではありますが、血管をつくっていったのです。そのような、血を流した歴史があってこその、まあ、あなた方でいう伝道ですね、伝道というものを通してこそ、神理というものは隅々まで広がっていったということがあるのです。
インターネットが広がってきている時代ではあります。でも、やはりインターネットだけに頼って、自分たちだけが書斎にこもって神理を語っているのでは、神の国のユートピアは建設できないということを、私は申し上げたいのです。
やはり命を懸けて、情熱を懸けて、思いを尽くして、自分の命を捨てて戦う者。その神の手足となって命懸けとなって戦う者。それがある意味で、私とか、ヤマトタケルと呼ばれている者たち、そして、自由の女神と呼ばれているこの者にしても、あえて、その戦乱の中に身を置きながら、神の使者としての、荒い国づくりの、荒々しいところの基盤で動いてる者たち。そのような者たちがいるということを、私はお伝えしたいのです。
あなた方の流れを見ていると、神理というものを聞いている中で、どんどん、神理に対するマニアックな流れというのが出てきているように思うのです。我々の言葉を聞いて、さあ、もう十分聞いたなら、さあ、あなた方も次は何をするのかということを、一人ひとりの心に、腑に落とし考えなくてはならない。
天上界の叡智(えいち)というものは無尽蔵にあるけれども、無尽蔵に聴いたから、その聴いた者たちが、無尽蔵に叡智が豊かになるのかといったら、そんなことはないはずなのです。
そして、今あるものを、この素晴らしい宝を、この神の血潮を、血液を、この魂の栄養となるべき血液を、多くのひとびとに配っていく。そのような道筋を、血管をつくる努力を怠ってはいけないと思うのです。それをこの間から、この者がインスピレーション感じながら、言っているのです。それが、とても、あなた方の仲間たちに伝わらないようであるから、私も今日、こうやって出て来たのです。
命懸けになって戦い、命懸けになって神の神理というものを、叡智というものを、この地上に流していかんとする、その限りない情熱というもの。それを抜きにして、神理というものは伝播することはあり得ないということ。神理というもの、神の叡智が伝わらないところに、神の御国に、ユートピアなどは実現できないということ。そのことをあなた方に、今日は何よりもお伝えしたいのです。
ほかにも優秀な女神たちもおられることでしょう。でも、この第三の計画が発動されるようなことになれば、当然、世の中は、混乱した時代になっているということ。その中において、強烈なる神の神理というものを自ら受け止め、巫女として降ろしながら、かつ、それをあらゆる逆境にもめげず、天変地異や、数々の法敵の人たちとの戦いを通しながらも、強烈な思いで、逆流してくる血液を、新たな本来の道筋の中に押し戻すようにして、本来の場所に流していく。そのような力を持つ者でなくては、この第三の計画が発動されたときには、役に立たないということなのです。
それぐらい事態が切迫していたときに発動されるのが、第三の計画であるということを我々は知っておりました。
ですから、戦闘系の者が立ったのです。戦闘系の者でなければ、単に巫女として優秀なだけの女神たちが立ったのであるのならば、これはこの現状の中で、戦っていくことはできないでしょう。
でも、あなた方が、今、やろうとしていること、かつて説かれた神の叡智という血液が、逆流現象を起こしているということなのです。本来であるのならば、ここから世界に向けて、もう、発信されているべき叡智、神理なのです。そして、まだまだ先が説かれるべき神理があったわけなのです。それが世界に向けて発信できるどころか、それが今度はその血液が、そのひとつの団体の中に溜まり、それが悪い血となって、宗教界を汚染しはじめたのです。
その血液の逆流現象とでも申しますか、悪い血になってしまったということなのです。その悪い血の中から良い血を選び出し、そして、新たな輸血です。天上界から、新たな血液を降ろして地上に、叡智を補充しました。それが、あなた方が、今、受けている神理であるということなのです。
その新たな輸血した神理というもの、そして、悪い血に染まってしまったものから、まだ使えそうな血液の成分を取り出して、それと新たなる輸血によって、もう一度、逆流し傷口から噴出している血液を止めながら、本来の道筋に、世界に地上から、この日本から発信するこの血液の道筋を、もう一度、本来の場所に流れていくように、発信していくように、そのような役割―――。そのような、まあ、ある意味で言うと、救急の医療チームのような者があなた方であるということ。そのときに、ひじょうに、交通事故のようなものですから、緊急な対応が叫ばれるということであり、あなた方が瞬時にして判断して、対処していかなくてはいけないということ。
そして、だめならばだめで、別のバイパスをつくらなくてはいけないということ。 そのようなことを瞬時に判断しながら、あなた方はこの神理というものの、復旧活動というものをしなくてはいけない。それが、第三の計画のあなた方の姿であるということ。それをもっと認識していただきたいと思うのです。
この間、おっしゃっておられました。聖母マリア様でしょうか。「愛のキャンドル・サービス」ということをおっしゃっておられました。素晴らしい言葉だと思います。そうなのです。神の神理というもの、神の神理は基本的に何を学ぶか、私たちは幾転生、永遠の命を超えながら、いちばん大事な「愛」というものを学ぶのです。
愛というものを学ぶために、私たちは永遠の命を与えられてるということなのです。さまざまな形態での、愛の現れというのはあるでしょう。でも、さまざまな形態を通しながら、それでも幾転生を超えながら、永遠の命を生きながら、我々は愛を学ぶのです。
その愛という、光のバトン・リレーが行われようとしています。もう、世界の要所、要所に光の天使たちが待ち構えているのです。でも、大元の灯台の国から最初の光が来ないから、愛のバトンが、愛のキャンドルが、次に点火することができないで、みんな、じれているのです。
それくらい、大事なことが、その使命がこの日本の地にはあったということ。その大救世運動の大元であるということを、どうか、心臓から、動脈から、ポンプを、愛の血潮を、神の叡智を、光を流していただきたいのです。
この光を通して、この愛のポンプを通して、まず、動脈から大いなる血を、神の愛の溢れる叡智を流していただきたい。それを流していただければ、もう、その者たちから、者たちへと、次々と静脈を通して、毛細血管の先にいたる所まで、神の愛の血潮というものが伝わっていくことでしょう。
そのことを通して、ひとびとは神の愛というもの、自分たちの、今いる位置というもの、神のご意志というもの、地球としての、地球人として、どうするべきかということを学んでいくのです。
書籍・CD
関連メッセージ
- 2002.09.26 アレキサンダー大王
- 2007.07.14 アレキサンダー大王