メッセージ
神というものを、それを別に何と言ったらよいか、それは別に言うならば、愛というものを別に何て呼んだらよいか、それと同じ問いかけであります。
今、新たなこの時代の中で、神理が究極的に明かされるこの時代の中において、神とは愛であり、愛の法則であり、愛のエネルギーそのものであるということをアモール様より教えていただきました。
愛というものが我々を生かしむる宇宙の根源的なエネルギーであり、我らが「神よ」と崇(あが)めるその方、その存在そのものであります。
その答えにたどり着くまで、人類は長き長き時を必要とし、数々の問いかけの中で、いちばんシンプルで簡単な答えであったのにもかかわらず、たどり着けずに、難解な、難解な知の遊戯の中で人びとは苦しんできたのです。
それを学問と言い、それを哲学と呼び、さも知恵者の集団がもっともすべてを見通したかのような、神の叡智にも近づいたかのような、言葉でもてあそぶ知の遊戯の中で神というものを問いかけ続けた。それが人類の歴史であったのかもしれません。
でも答えは意外なところにあるのです。
それは、インマヌエル、イエス・キリストが説かれた愛というものの普遍性、そして神と呼ぶ、我が父と呼ぶお方に対する幼子が慕い行くような、すり寄るような、そのような思い、その中にすべての真実は隠されているのです。
難しい言葉であなた方が問いかけることよりも、あなた方が神の子であるということを明かされた、神の子であるということを明かされたということは、宇宙の根源的なる大いなる愛の神の光を引く、その子どもたちであるということ。その答えはあなた方の胸の中にしまわれている、無尽蔵にある愛というものの、愛の泉を掘り当てた時に、本来の叡智というものが湧き上がってくるということ。
神の子としての神性というものは、脳みその中に、頭蓋骨の中にはないのです。
愛というもの、ハートの中にある魂の中にある愛というものを証(あか)していく。その裏付けとして知性というものが使われてこそ知性は意味があるのです。
でも本来いちばん大切なのは、我々が神の子であるという愛というものをぎっしりと詰め込んだ、このハートの中に、魂の中に、普遍的な叡智というもの、神理というものが、もうすでに平等にわたしたちに分け与えられているのです。答えはここにあるのです。
人類はこんな簡単な事を気づくために時間をかけてきた。
でもこれ以外に人類に、すべての人類に改心をさせ、神のもとへといざなう道はないということなのです。
わたくしが説いたこと、そのあとに説いていった者たちも、知の遊戯の中におぼれ、一部の識者と呼ばれている者たちだけの難解な知の遊戯に堕ちていき、一部の学者たちだけに神理というものが、智恵というものが独占されてしまったかのように思われて、一般大衆は神の救済という枠からは外されてしまったかのような、智恵や叡智とは無関係であるかのように、人類はそのようにはきち違えてしまったかもしれない。
でも本来の叡智というものは、智恵というものは、すべてに平等に、すべての者たちの中に分け与えられた、尽くしきれぬ、くみきれぬ、あふれんばかりの愛の思いというものが、人びとの心の中に脈々とあるのだということを、それを伝えることが今回の救世の大事業の神髄でもあるのです。
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- 2005.04.30 プロティノス