墨子
前5世紀後半から前4世紀初め頃に活躍したとされる中国の思想家で、墨家の始祖。墨とは刑罰を受けた者が入れられる入れ墨のことで、墨子とは彼が受刑者であることからいやしんで呼んだ言い方だという説が有力である。魯の人で、宋に仕えたらしいが、その経歴ははっきりしない。
戦国時代に世が乱れたのは、人びとが私利を求めて愛を失ったことが原因と考え、家族愛や国家愛などのエゴの愛を否定し、無差別の人間愛であり、一視同仁の平等な愛である「兼愛論」をとなえ、侵略戦争に反対して、非攻論を主張した。実際に諸侯に説いて他国を攻めるのを思いとどまらせたが、そのとき模擬戦をし、戦術をあらそって相手を論破したということから、すぐれた戦術家でもあったと考えられる。また、儒家の礼の仕方は贅沢で民の財を浪費すると反対し、勤労と倹約を薦めた。
戦国末まで儒家と二分する勢力を持ったが、秦漢帝国成立の頃急激に衰え、以後二千年間忘れ去られ、清代末に脚光を浴びるようになる。
九次元霊アモールの魂の一部が八次元に現れたものとされている。