メッセージ
我が息子たちよ。あなた方が、今、この日本に生まれ、この神の計画のもとに、集い来たっておられること、その姿を見て、私は心よりうれしく、たまらなく、あなた方に声をかけたく、今日参りました。あなた方は、我がホワイト霊団の愛すべき仲間たち。私とともに、数々の困難、苦難を乗り越えてこられた、私のかわいい子どもたちでございます。
あなた方が、今、このような想いで、この地上に生まれ、そして、弱き者たちの力にならんがために、その愛の思いを実践しようとされておられるということ。そのことが、どれだけ神の御心の中において、神が喜ばれ、我々の気持ちをどれだけ喜ばせてくださっているか、それをお伝えしたいのです。あなた方は、この地上に出られる時に、この救世の計画をすべて熟知し、一生懸命やって来られると、勇んで地上に降りて行かれた方がたです。各霊系団からそれぞれの者たちが地上に降りてまいりました。なかなか、今回の救世の計画において、ホワイト霊団の者たちが力を発揮する場所は少なく、なかなか、私たちも指導するチャンスというのがなかったのです。
でも、これから、これから、あなた方が多くの神の子たちを救っていく救世事業に入っていく時に、あなた方の本領を発揮されていく場が与えられているということ。そのことをほんとうに、あなた方が来てくださったことを思って、私はありがたくて、うれしくて涙するのです。
先ほどから「癒し」ということをおっしゃっておられるようですが、癒しというのには様々な形があると思います。 癒しという以前に、それは神の愛のお心、そのものであると思うのです。愛の、愛を感じ、多くの方たちの気持ちに立った時、そして、それをどのようにしたら、多くの人びとに伝えていけるかと、心を砕いた時に、その相手を一切裁くことなく、ありのままにて、相手の全存在を受け入れ、そして、共に励まし合い、慰め合っていく、トータルに相手の素晴らしき神の子としての神性を受け止め、いとおしみ合う。その時に、私はいたわりとともに、癒しというのがあるのだと思います。そして、最大の癒しというのは、神の、宇宙の中に遍在しておられる、大宇宙の神から発せられる愛の想い。愛とは自らを生かし、そして、神の子、自分たち、仲間たちを共に生かし合おうとする、その愛の想いの中で、自他共に一体となり、その喜びも悲しみも分かち合っていく、その辛さも共に分かち合っていく。その想いの中において、人びとが神の子として、共に手を取り合った時、つながって神の御意識の一部として、その神様のお気持ちの懐の中に飛び込んで行った時、その時に私たちは魂において、最大限に癒されるのではないかと、そのように思います。
地上における、あなた方、一人ひとりの中における癒しというものを考えた時に、まず、あなた方の身の周りの方がたを、そして、あなた方のように、傷つき苦しまれる、患者さんたちのような方がたがおられる立場におられるのだったらば、心に傷を負い、肉体に傷を負っている方がたに、どうか、あなた方の最高の技術と、そして、愛と励ましでもって、その方がたを包んであげていただきたいのです。愛の想いの中で、優しさの中で、あなた方がその神の子たちを、あなた方の手を頼ってやって来られる方がたを、どうか、力を貸していただける中に、あなた方は神の光を帯びた、神の使者として、神の代弁者として、その周りの方がたの魂を最大限に癒される、癒し手となられることでしょう。
その想いの根本に、どうか、あなた方は神の子であり、共に病で傷つき、病で苦しむ方がたも、けっしてひとごとではなく、あなた方の一部、そして、あなた方もすべてが神様の一部であるという想いの中で、愛によってすべての魂が結合し、連結されていく中において、神の御意思というものがこの地上に表現されていく。
神の現れの私たちは、一部一部が、みな手を取り合って、神様がこの地上に表現したいと思うものを、最大限に表現し合う仲間たちなのだという、そのような連帯感のような想いの中で、どうか、共に生かし合い、助け合い、そして癒し合っていただきたいのです。
あなた方が考えておられることは、今はまだ、ご自分の個人的なことかもしれません。
でも、個人個人の悩み苦しみは、それは個人個人のことを越えて、大いなる神の救世の計画の中において、最大限に生かされていくのです。その意味がお分かりにならないかもしれませんが、あなた方が、今、苦しみ悩んでつまずき、そしてその中で、学んでいる中において、それこそが、多くの人を助けていく、もっとも大事なよすがとなっていくということを、私は申し上げているのです。人の苦しみ悲しみを、ほんとうの意味で自分が苦しみ悲しんだ者でなければ、やはり、人の涙の意味などはわからないということなのです。生まれて一度も病気をしたことがない、一度も悲しい思いをしたことがない、人に裏切られたこともないという方が、ほんとうの意味で、自らの隣人たちの苦しみや悲しみや、病気の辛さというものを、分かち合うことはできないということなのです。
ですから、自らの修行をし、その悲しみや苦しみを、今、一生懸命、正面から受け止め、自らの修行として頑張られる中に、そのことが、その中で学び得たことが、あなた方の隣人たちを救っていく最大の愛の手立てとなっていくということ。その表現手段となっていくということ。傷ついた方がたの心を、真に理解していく道しるべになるということ。だから、自他は一体なのです。みんな一体なのです。みんな、神により創造されたあなた方、愛の子どもたち、神の子どもたち、神により愛され創造された、神のご意思そのものの表現形であるのが、私たち、みな神の子であるということなのです。
ですから、どうかお一人お一人の存在に、お一人お一人の個性に、プライドを持ち尊厳を持たれ、誇りを持たれて、自らかけがえのない命として造られた、神に期待されたあなた方の個性を生かされ、そして、それをもって自らの個性をもって、他の方がたの傷や、他の方がたの悩み苦しみ、そして、喜びも分かち合って共に手を取り合って、幸せに生きる道というものを、この地上に打ち立てていただきたいのです。それこそが神が望まれる、地上ユートピアという言葉で表される、神の国の再来であるということなのです。
天上界には、神の国はできております。この地上にも、この地上三次元に神のお心のある世界を映し出したいのです。天上界のように人びとが互いに信頼し合い、そして、互いに生かし合い、そして、神の賛美と栄光を讃え合う、その喜びに、祝福に満ちた、その天上界の世界をこの三次元にも、地上にも再現したいのです。それであるには、善意というもの、愛というものを、一辺倒の中において、少しも不安や裏切りや悲しみや悪意というものの入り込まないような、それを許して溶かしてしまうような、そのような圧倒的な愛の世界というものを地上にも映し出すということ。それが地上ユートピアの目的でもございます。
それにはまず、その神の王国というものは、人びとの心の中につくらなければ地上には出ないということ。まず、先ほどの方もおっしゃられておりましたけれども、原因結果ということを思うのならば、人びとの心の中に、ハートの中に、魂の中に、愛の想いを、やさしさを、共に生かし合う、そのような互いに尊敬しあう想いを、神に対する感謝を、神の栄光を喜ぶ姿を、それを共にあなた方の心の中に思うのです。自らも許されて生きてきた魂なのです。そういう人生であられたと思うのです。
であるのならば、あなた方が知らないところで、どれだけ多くの許しの中に、あなた方が生かされてきたということを思い、隣人たちの罪も、やってしまったことも、許してあげましょう。相手の悪いところばかりを責めるのではなくて、相手のありのままを受け止め、そして、互いに生かし合い受け止め合う、そのような想いの中で、どうか、あなた方が生きていかれることを望みます。
あなた方は、愛というものがどういうものか、ただただ甘やかせばいい、許し合えばいいというふうに思われるかも知れないけれども、あなた方の中にある、愛というものが自らの尊厳を高め、そして、相手の尊厳を生かすことであるのならば、時に愛というものが厳しい言葉を伴う時もあるのです。真に相手を生かすことが、自らも生かすことでもあります。そして、自らを生かすということは、あなた方の隣人、神の子たちを生かしていく過程の中に、あなた方の魂も最大限に素晴らしいところが発揮されて、あなた方の魂も素晴らしい光を輝かせていくのです。隣人のためにという人生は、返ってくることは、自らの人生を光り輝かすためになっていくことになるといわれるのも、そういうことなのです。
ですから、どうか、自分がとか他者がということではなく、傷ついておられる方がたを見たのならば、それは我が痛みであると。そして、悲しんで苦しんで、まあ、精神的にも追い詰められている方がたがおられたのならば、その方がたの悩みや苦しさは、我が痛みでもあると思い、そして、その方がたの気持ちになって、できるだけのことをしてあげてください。そして、その過程の中で、真に知恵と勇気と判断力、そして、本来の厳しさというもの、そういうものをすべて、あなた方の魂はトータルに学んでいかれることでしょう。そうでなければ、そういうものは解決していけないのです。
甘やかし尽くすことだけが愛であると、もし、誤解をしておられるのであれば、それは間違っているのです。真に相手を幸せにしようとする時には、それはたまには叱責することもあるでしょう。強くなりなさいと、誇りを持ちなさいと、励ましのように強い言葉を言わなくてはいけない時もあるでしょう。その過程の中で、あなた方は愛の寛大さも、愛の厳しさも、愛の豊かさも、愛すればこその悲しみも、すべてを学んでいかれるのです。そのすべてを学んでいくことこそが、魂の成長であり、それが自分自らの進歩発展にもなり、そして、あなた方の仲間たちの幸せに協力し、幸せを願う姿にもなっていくのです。
ですから、自分たちだけが幸せになるという、今の現代人のエゴイズムから、互いに生かし合い、互いに手を取り合い、互いにいたわり合い、癒し合い、励まし合うという、その姿こそがこれから神が望まれておられる、愛の発展段階の、真の神の子の姿、そのものであるのだと私は思います。これからは、一宗一派の宗教だけで唱えられる時代ではなくなってまいります。今まで、在来の宗教と呼ばれていたもの、私もキリスト教の中において、人びとを導いて参りました。でも、私だって、過去の別の文明においては、別の形で、また指導してきた者でもあるのです。
ですから、これから、今この、今回の文明のクライマックスにおきまして、仏教がイスラム教が、そして、日本神道がキリスト教がという形において、キリスト教におきましても、様々な宗派に分かれております。それが一つに統合されていく中において、ほんとうのエキスと呼ばれているものだけを、神の本来の根本的な法だけを残して、今までの発展段階的な宗教というものが消えていく。溶けていく。人びとの中で融合されて、一つの新たな価値観として生まれ変わっていくという、そういうものをまた、ネオ・ルネッサンスという、神々のお決めになった、お考えの、計画の中にあるのです。
どうか、あなた方は、新たな時代をつくっていかれる方です。今までの古い既成概念にとらわれた、既成の宗教の足枷(あしかせ)の中を越えて、そして、あなた方の新たな時代を、地球の新たな未来をつくるために、今、あなた方の命を輝かし、役立てていただきたいのです。それを乗り越えられ、使命を果たされることが、あなた方個人におかれても、素晴らしい魂の飛躍、進歩発展、成長となられることを私は信じて疑わないからです。
そのうちに、ホワイト霊団とか、そのうち、キリスト教がという言葉も、もう死語となっていくことでしょう。でも、この文明において、共に、共に苦しみながら、この茨(いばら)の道を歩み、道を切り開いてきた仲間でもあるのです。そのあなた方を、私はけっして忘れません。
(中略)
あなた方はどれだけの愛を人びとに与えても、分かち合っても、それは尽きることはない、涸れることはないのです。無限に、無限に与えられる、あなた方を愛してくださる神から、愛というのは無尽蔵に与えられているものなのです。
ですから、人びとに愛を与えることに臆病になってはいけません。どんどん愛を与えてください。 賢い、真の知恵ある愛を与えてください。そして、自らを解放してください。自分が傷つくかもしれない、自分がひょっとしたら不利な立場になるかもしれない、というそのような恐怖心や、そのようなものの警戒心の中で、自分を開かなければ、あなた方の本質的な成長もないし、ほんとうの意味で隣人たちと、魂と魂の愛の触れ合いということはできないのです。
愛というのはそういうものです。自他共に一体となっていくためにも、みずから自身を開き、自らが開いていくことが相手の心を開いていくことにもつながるのです。互いに開き合って、互いに尊重し合って、互いに学び合って、互いに高め合って、愛というものを共に循環し合って、この地上を素晴らしい愛の花園にするために、どうか皆様方、お力を貸していただきたいと思います。
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