質疑応答
イエス・キリスト 2007年7月28日の霊言
「愛さねばならない」とか、「愛するべきである」から、愛する
のではないのです。
愛というものは、いとおしくて堪らないものを祝福し、愛そうと思っ
ていく。その愛の流れ、それ自体が、神の子のエネルギー、生命体であ
るからなのです。
愛さずにいられない。
その無償の、見返りを求めない思い、それが相手を癒していくんで
す。そして社会を癒し、地球を癒していくものになります。
だから、「ねばならない」「しなくてはいけない」「愛すべきであ
る」、最初はそういうふうに思われるのは、ひとつのきっかけ、流れを
付けるためには、よろしいかと思いますが、もし憎らしいなあと思う上
司とか、そういう仲間とか、お客さんとか、そういう方たちを愛そうと
思うのならば、あなたのまぶたの中に、今のその、お父様の姿、そして
愛して止まない、その、昔愛したか、今の奥様かわかりませんが、そう
いう方を目に思い浮かべてください。
そうしたらば、愛さずにはいられない思いで、愛していく。
感謝せざるを得ない、愛さざるを得ない、そういう思いで出て来た思い、
それが本来の神の子のパワーであります。
それが愛のエネルギーの奔流であります。
そういうふうに、愛さざるにはおれないという見返りを求めない無償
の思い、それは大宇宙から流れている神のエネルギーでもあります。
そのエネルギーが互いに祝福し、互いに清め合い、そして、そのエネ
ルギーの流れが地球を変えて行く、癒して行く。
愛の波動をあげて行くものなのです。
「ねばならない」のでは、ならないのです。
愛さざるには、おられないのです。
なぜなら、みんな仲間であり、兄弟たちであり、みんな地球は、みん
な家族であるということです。
そして、動物も、植物も、鉱物に至るまでも、
そして、他天体にいる仲間たちにおいても、
みんな宇宙の家族であり、神の子としての仲間であるのです。
そして、愛のエネルギーとして、一体として、神のお体をつくってい
る愛のエネルギーそのものでもあります。
神の体をつくっている愛のエネルギーは、愛の血液そのもので
あり、神の愛の血潮になっております。
わたしたちは、神のお体の中の愛のエネルギー、血の一滴一滴である
ということです。愛を運ぶものたちであります。
そういう思いにおいては、愛さざるを得ないと思って愛する思いは、
本来の神の愛のエネルギーではないのです。
愛さざるを得ない、愛して止まないという思いが、神のお体に流れて
いる愛のエネルギーの姿そのものであります。
そして、そのきっかけを知るために、わたしたちは地上に生まれて、
家族関係というものを持ち、無償の愛という原点を学ぶのです。
でも、本来、それは家族の中だけで生かすものではなく、そこのきっ
かけで学んだことを通して、
仲間たちを、地球の津々浦々にいる仲間たちを、
すべてのものたちを許し、裁くことなく無償に受け入れ、愛し合う、
共に感謝し、祝福し合うために、
わたしたちは、今、地上に生まれ、神の子としての使命を果たそうと
しているのです。
神の愛のエネルギーに添っていく。
それが、宇宙を生きるエネルギーであります。宇宙を統べている愛の
エネルギーの流れそのものなのです。
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