仕事は楽しんでするもの
マヌ 2002年11月25日の霊言
私はね、明るい人々が幸せに満ちた、さわやかな世の中を創っていくのがとても好きなんです。
神の愛というものは、神の悟りというものは、そんなジメジメしたものではないし、もっと生気をはらんで、ともにみんなで幸せを分かち合っていく、そういう元気の出るエネルギー、そういうものが神の悟りとしてあってもいいのではないかと、常々ゼウス神とも言っているのですよ。
元気の出る悟り、元気の出る神への道、元気の段階論、そういうものがあってもよいのではないですかね。
みんな辛気臭く、学問臭く、頭でっかちになると、思わぬ罠があるものですよ。確かに享楽的なものに流れるのはよくないかもしれません。
レムリアの時も、人々は芸術に没頭するあまり、市民生活においての生産行為を植民地の人々に押しつけ、自分達だけがその道にいそしみました。
そのようなひずみ、そのような反動がレムリアを一瞬にして水没させた、そういう反作用を生んだのも事実なのです。
でも、心がけにおいて、レムリアの人たちが今日ほど自己本位であったかというと、そんなに心が曇っていたわけではないし、邪悪なものが出てはいなかったのです。
人々は美しいものを愛しました。至高なるものを音楽に、芸術に、様々なものに乗せて、素晴らしい技術を誇りながら、神への道を目指したのです。そこには唯物的な思想もなく、けっして悪魔的な思想というのもなかったのです。
ただ、その生活を追求しすぎるがために、具体的な生活行為、生活の精進というものを度外視してしまった、それが他の方々の犠牲を生んでしまった、その方々の恨みや苦しさを招いてしまった、という罪があったのです。
けっしてそんなに唯物思想でもなかったですよ。
美とか、真実とか、音楽とかによる至高のものというのは、芸術的な至高のものというのは、ある意味で目に見えぬ幸福感というものを追求しますので、そして芸術の究極には神があるということ、天上の美があるということ、それを人々はよく知っていたのです。
まあおおらかといえばおおらか、享楽的に見えるといえば、そうだったのかもしれません。
しかし、その部分をぜひ、今回の文明にも一部でも残したいと思って、ゼウス神は地上に出られた時、その明るくおおらかなギリシャという場所にレムリアの一部を映し出したのです。
そう、ギリシャの時のあの明るさ、底抜けに人間的な、
「人間自体が、神がお創りになった賜物であるのだから、その我々神の子である人間を賛美し、受け入れ、そしてより素晴らしい形で神を崇めていこう。自分たちも芸術を通して神のもとへと近づけるような、そういう素晴らしい人間として、人間神の子になろう」
そのような思想を、今回の文明の中でも残しておく必要性を、ゼウス神はとても考えておられたのです。
それで早い時期にその核となるギリシャ文明というのを、お創りになったのです。その時にレムリアを代表して、あなたがそばに出て行ったではないですか。
2003年06月22日 マヌ 「オリオンの悟り」
2004年12月11日 マヌ 「わたくしはいつも盛装して出てきています」
2005年02月09日 マヌ 「神と芸術」
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2006年04月01日 マヌ 「愛の修行の惑星」