メッセージ
あなた方はわたしたち九次元の者たちを、ひじょうに救世主界といって、指導霊と言ってくれるけれども、わたしなんかまだまだ若造でね。
はるかにキャリアの長い九次元の方がたから見ると、わたしやカイトロンなどは、まだまだ若造なのですよ。
ですから九次元の中でもやはり、ひじょうな、そういうものがあるのです。そして、九次元は九次元で修行を終えていくと、結果的に十次元とか惑星意識になっていくんだけども、そこにくるとどうなるかわかりますか。
自分のパートナーを連れて行くんですよ。
男性原理だけで天地創造はできないということですよ。
自分のパートナーと一体になることによって、その惑星の中において、男性原理、女性原理が一体になることで、その惑星にあらゆる万象万物のものを創造していくという、物質界における天地創造が始まるのです。
その、ひじょうにまだ狭い世界です、根源の、大宇宙の愛の神から見たらひじょうに小さいものだけれども、その惑星を通して 、その惑星は皆違うのです。どうですか。地球を見ても、金星、木星、火星、水星、天王星みんな違うでしょう。土星。みんな違うでしょう。みんな違う色をして、みんな違う雰囲気を漂わしているでしょう。
それは、そこを形づくっている、内在しているその中に入っている、その霊体が違うからなのです。その方の霊体の個性が違うから、惑星が皆違うふうな個性がある。そして、違う役割があるのです。
地球には、地球神霊と呼ばれている方が入っておられるのです。その方の中には、もう男女の性を超えた、合一された、融合されたものが中に入っているのです。
男性原理、女性原理が一体になっていくことによって天地創造をしていくということがあるのです。
であるならば、大宇宙の、これだけの大宇宙を根源として創られておられる愛の神の愛 、愛ですよ。
愛の神の中には、それが男性だと思われますか。男性ではないのです。
「大地なる母」と言うではないですか。父なる神と言うならば、母なる神があるのです。それが合一、愛のエネルギーによって融合された、そのほんとうの意味での根源的な愛の思いが、宇宙大に拡大してつくられているのが、この大宇宙の姿そのものなのです。そこまで我々九次元、たとえ十次元とか、そのあたりにおいても行けないのです。
でも、自分の担当した惑星においては、男女の合一において、自分のパートナーとの合一の融合の中において、その中における天地創造をしていくのです。それが、地球神と呼ばれている惑星意識の方がたの姿なのです。
そういう方がたから見たら、わたくしなどはまだ若造であるということ申し上げているのです。
でも自分のパートナーとめぐり逢ってくる。そして、そのパートナーと共に生きていくということ。それはけっして、お互いに束縛し合うもの、占有し合うもの、そして、お互いの自由を束縛し合うのではなく、共に手と手を取り合うからこそ、より多くの愛の中において大きな仕事ができるということ。
ひとりでいた時よりも、相手といっしょにいるからこそ、自分ひとりでは為し得ない仕事が為し得るということ。
それが、愛の姿そのものなのです。
愛は奇跡を生みます。
愛は、すべて一切のものを創造する根源的なエネルギーそのものが、愛のエネルギーなのです。
その愛のエネルギーが大宇宙の中から、神の愛の中からわたしたち一人ひとりの中に流れ込んでいるのです。
そのわたしたちが、親である大宇宙の愛の神により創造された、分け与えられたその愛が、その魂の伴侶に、パートナーに出会い、共に手を取り合い、そしてふたりで一体となって神の親のもとに戻って行く。帰っていく。そしてその中において、神と共に同じ天地創造を為していく。次の段階が魂の中に許されていくということなのです。
それが、男女の原理の循環であり、愛の姿であるということ。
神の子であるということは、わたしたちが愛の化身であるということ。
大宇宙は、圧倒的な愛の摂理、愛のエネルギー奔流そのものが、神の愛であるということをほんとうに理解しなければ、男女の法の究極がわからぬと言ったのはそういうことにあるのです。
そこが理解されていないから、間違って濫用されているから、間違った相手と、間違った形態によって関係を結ぶから、苦しみが湧き上がってくるのです。
でも、それもまた成長のための一環として、学びの一環として、かけがえのない「今」であるということ。その学ぶことに臆病になってはいけないということ。失敗することを怖れないということ。
わたしはね、わたしだってたくさんの失敗をしてきたのです。いくつものしくじりをやらかしてきているのです。でも、失敗したことも、すべてが懐かしい思い出です。失敗したかもしれないけれども精一杯頑張って、自分の中で愛を光らして、自分なりの役割を果たして生きていきたいという思いだけは、思い続けてきた。
そして永遠の時の流れの中で、永遠の命を生きていく過程の中で、あなた方もわたしも、いっしょに神の子としての使命を果たしていくのです。
それが神の子としての道なのです。
愛の道以外、神の子の道はないのです。
愛のために生きていくのです。
愛のために生きて、愛として生きていくのです。
愛として輝いていくために神の子はあるのです。
であるのならば、愛し合う、ロマンティックな愛、配偶者としての恋愛が、愛し合う姿がないわけないではありませんか。
この地上に男性だけがいたらどうなりますか。アマゾネスのように女性たちだけしかいなくなったらどうなりますか。どこも素敵な幸せな世界はできないでしょう。男性だけがいたらむさくるしくなりますよ。女性たちだけがいたら、恐いですよ。
男性がいて、女性がいて、共に恋をして、恋に落ちて、惹かれ合って、求め合うから、この地上は美しいのです。豊かさに彩られるのです。
その究極の中で、子どもが生まれ、新しい生命が生まれ、そして未来に対する希望が生まれるのです。それが、神が望まれているこの地上の姿なのです。
それは人間だけではないのです。
生きとし生けるすべての万象万物、森羅万象すべての中にその摂理が、原理が生きているということ。
これが愛の摂理です。
これが愛の原理そのものなのです。
大宇宙を統べているその摂理そのものが、その愛の原理であるということなのです。
そこの中において喜びがあるのです。
美しさがあるのです。
そこの中において神は、ご自分の創造物を楽しんでおられるのです。
だから、このように美しい芸術作品である、このような美しい宇宙を創造され、そしてその宇宙の中において、様々な芸術や、様々な人類が各惑星の中にいる。その者たちの生を通してご自分を表現なさっておられるのです。
その生命体を通してご自分を表現されておられるのです。
海の中にいる深海魚のひとつひとつにおいても、美しい姿があるではありませんか。あのようにゆったりと生きる、浮いているマンボウ、ね。あのように、なんか誰にも見られることない 。でもその姿の中に、美しさを感じるではありませんか。素晴らしさを感じるではありませんか。
ミジンコや、そのアメーバの世界の中にも美しさがあるのです。
その中にもちゃんと神の愛の原理が流れているのです。
生きているのです。
であるならば、あなた方の中に最も神の子として、いちばん似姿にそって創られた人間であるあなた方に、神の愛の姿が込められていないわけがないではありませんか。
神の愛そのものとして、神の愛の凝縮した集大成として、あなた方があるということ。
その中において男女があり、愛し合う姿があるのならば、それが神が望まれておられる姿そのものであるということ。
そこで間違った性の濫用があるからといって、その男女が愛し合い、睦み合う姿を悪として否定してしまうことは、豊かな人生を、自らの魂を否定してしまうことになるのです。
愛というのは豊かさを生むのです。希望を生むのです。
ありとあらゆるものを創造していく、そのエネルギーの、根源的なエネルギーが愛であるということなのです。
愛なくして何も生まれないのです。
愛なくして生命も、この世の中も、この大宇宙も生まれなかったということなのです。
そのことを思うのならば、あなた方が神の子であるという愛の思いを開放しなさい。
つまらぬものに束縛されず、自らの中にある、こうあらねばならぬという思いから解放して、そして罪悪感から解放して、そんな間違うことを怖れることなく 、このマヌにおいてもたくさんの失敗があるのです。しくじりがたくさんあるのです。
そのことを思ったのなら、あなた方だっていいではないですか、失敗をしたって。
失敗してもいいから、愛を、愛していくことをやめてはいけません。
愛していくことをとめてはなりません。
愛を流れ出していくこと。
愛し合っていくことに臆病になってはいけません。
傷ついても、傷ついても、ほんとうに愛し合うものであるのならば、必ずその愛の、お互いの大事なものに気づいて、まためぐり逢ってくるものです。
そしてほんとうに、その過程を経たからこそ、お互いに、根源的に必要であるということをまた学ぶのです。
であるのならばあなた方も、自らの愛の思いというものを解放していかなければ、あなた方のほんとうの愛のパートナーにめぐり逢いませんよ。
臆病な者に、自分の愛を開放して、人を愛することから逃げている者に、自らの、分けられた魂のパートナーに出会えないのです。
その臆病な者には、自分の愛から逃げてしまうという、どうも逃げるという性格が出てきてしまうので、自分自身の中に、愛に正直に生きていくということ。
自分の人生に対峙し、直面して、それでもなおかつ愛を求めていくという、愛してやまない思いを出していくということ。
その勇気というものを、どうかあなた方は忘れないでいただきたいのです。
性的なもの、そういうものが正しく、神の子としてある姿からはあるまじき姿であるというふうに、あなた方に今回埋め込まれてしまったかもしれない。
でも、もうそういうものから開放されてほしい。
そして、愛というものを、喜びをもって、勇気をもって、あなた方の行動原理として、生きるエネルギーとして、活力として、どうか希望として、あなた方の人生の中に溢れさせてほしい。
女性を愛する気持ち。男性を愛する気持ち。そういう思いで、幸せに輝いている者は、あなた方の隣人も、社会も、その周りにある惑星も、地球自体そのものも、あなた方は幸せにしていく力を持つことになるのです。
その溢れんばかりの愛というものから、拒否して逃げていたのならば、その愛の力強さにおいてはやはり、劣るものになっていってしまうのかもしれない。
だから、どうか勇気をもってほしい。
愛によって傷つくことよりも、愛してやまない思いを無限に出していける 。神というものは見返りを求めずに、ただ愛を与え続けるものだということをあなた方は以前聞いているはずなのです。レムリアの教えの中に聞いているはずなのです。
であるのならば、あなた方も勇気をもってほしい。
あなた方は今回傷つき、まあ分裂していった者たちによって、ひじょうな攻撃を受けました。
それでも許して、許して、人びとに対しての愛というものを、レムリアを通してならしていこうとなさった。
その思いです。
男性に対して、女性に対して、傷つくかもしれないという臆病な思いで、どうか愛する思いを止めないでほしい。
そして、無尽蔵に出てくる自分の愛の思いというものを、周りに対して流していっていただきたい。
愛する異性に対しても、愛というものを溢れだしていくような生き方をしてほしい。それによって共に傷つくことが、そして報われないことがあったとしても、愛というものは無限に、自分の中から与えられ、出てくるのです。
それが神の子である証明であるから、だからあなた方においても、人類を愛することに関しては認められても、異性を愛することに対しては、罪悪感を持っていく者たちが、お坊様たちの中にいるとしたのならば、もうそういう思いは捨てなさい。
幸せに、わたしといっしょにダンスを踊ろう。
いつも言うでしょう。
神とダンスを踊る。
神に恋をする思い。
それがあってこそ、バランスの取れた、神の道というのを、踊りながら上がっていくことができるんだよ。
そんな、ぎすぎすしたゆとりのない思いの中で、全人類を幸せにしよう、この宇宙を幸せにしようなんて思っても続かない。絶対続かないから、豊かさの中で喜びをもって、「仕事は喜びをもってするもんだよ」って以前言いましたよね、あなた方にも。
この人に言ったんですけどね。
でも、あなた方にも言いましょう。
難行苦行で仕事をするのはやめなさい。
喜びをもってしなさい、仕事というのは。
その中には何か。
愛ですよ。
喜びというものは愛し合う者たちの中にあるものです。
仲間を愛し合う愛。
人類を愛する愛。
そしてパートナーを愛する愛、ね。
動物を愛する愛。
芸術を愛する愛。
すべての中に愛が宿るのです。
そうしたときに、ウキウキとした喜びの中で仕事はできるのです。
書籍・CD
関連メッセージ
- 2002.11.25 マヌ
- 2002.11.28 マヌ
- 2003.06.22 マヌ
- 2004.12.11 マヌ
- 2005.02.09 マヌ
- 2006.03.11 マヌ
- 2006.04.01 マヌ