アモール
「延命治療---肉体の寿命とは」
2004年8月21日の霊言「神とは根本的に宇宙を統べる愛の法則」より
肉体だけをいたずらに延命させ、肉体だけをいたずらに治療し、薬漬けにすることをもって、その人の苦しみを癒し、愛で包むということではないのだということ。
永遠に生きるのであるなら、永遠に修行したほうがよいのであるなら、神は肉体の寿命というものをもっと長くされたことでしょう。
しかし、やはり、どんなに生きても八十年、九十年、短い方では二十代、三十代で亡くなられる方もあるのです。
しかし、それは悲劇ではないということ。
どのように限られた天命の中で、寿命の中で、己の修行をし、どれだけ光を発信し、自分自身の本来の仕事をなして、そして、その寿命の中で、無事に魂を輝かせて還ることができたか。そのための修行のひとつの道具として、この肉体というものが与えられたのだという、深い感謝をもって、この地上で修行する、そのような大事な道具であるということ。そう思って、肉体というものを見ていただきたいのです。
ですから、たとえば、名ピッチャーと呼ばれている方であったとしても、自分の大事なボールやグローブ、バッターであるならば、大事なバットですか、そういうものを軽んじて粗末にしたら名選手にはなれませんよね。やはり、卓球をしたり、テニスをしたりする名選手と呼ばれている方は・・・・・、音楽家でもそうです。大事なヴァイオリンを、大事なピアノを、どれだけ慎重に選び、そして手入れをし、慈しんでいることでしょう。それと同じなのです。肉体というものは、そういうものなのです。
二十代で還ることを良しとして、設計された人生を迎えられた方がいるのです。そして、そういう肉体において、最後、ピリオドを打つには、やはり、病というものをもって、終止符を打つ場合が多いのです。
交通事故で亡くなる方もおられます。たくさんおられますけれども、最後にどうですか、人生計画を立てて、地上に降りて来る時に、最後、車にひき殺されるをもって、ジ・エンドというふうになさる、そのような計画を立てられるでしょうか。
やはり、その時期がきたら生命体というのは、自然に、自分でセットされた爆弾が、自然に爆発するかのように、ある一定の状況というものを細胞変化の中で起こらせ、そして、その肉体に終焉をもたらすものなのです。それは静かな、ある意味で自爆的な死というものを、自分に引き起こしているのです。それが病の根源である場合もあるのです。
2002年09月30日 イエス・キリスト 「ノストラダムスは嘘をついたわけではない」
2005年01月08日 イエス・キリスト 「奇跡の時代を生きているのです」
2005年05月14日 イエス・キリスト 「愛は永遠に流れ続ける」
2006年03月25日 イエス・キリスト 「全ての基本は愛です」
2006年04月08日 イエス・キリスト 「愛の羅針盤を」
2007年07月08日 イエス・キリスト 「質疑応答」