メッセージ
私は基本的にはホワイト霊団と呼ばれる、西洋医学と呼ばれている医療の専門家チームの中におります。
しかし、今、この最終的な神様のご計画の、救済計画により、西洋も東洋もすべてが一体化し統合される時代となり、その中により、東洋医学、西洋医学も含めまして、人々の人間の体というもの、そして精神の構造というもの、それらを両輪としてユートピアの価値として、方向性として位置づけていく、そのようなことが必要な時となり、そのようなことをお伝えさせていただきたいと思います。
西洋医学、東洋医学は別々のもののように発展してまいりましたが、しかし、それは西洋医学と呼ばれているものには、やはり、この三次元における、物質界というものの法則にのっとった、ルールの中における人体の仕組みというもの、それをやはり科学的に明かしていかねば解決できぬという、そういう方向性が西洋医学の中にはございます。
そして、東洋医学の中には、メンタルという、人間の体の中には物質的な肉体をまといながら、そして中には霊体という、もっと言うならば霊魂という、メンタルな内的な魂の部分を持った、そういうものが一体化されてできているのが肉体人間なのであります。
その両方から救っていく、両方から対処していくことをもたねば人間の体というものはけっして救われていかないし、解決されていかない。そういうものが三次元の肉体人間なのでございます。
それを、両方の面から追求していく、人類が学び得ていくために、合理的な発想の中において、西洋医学というものが人体解剖などを含めまして、西洋医学の歴史というふうにもなっていき、そして、人の心の深い所から、魂の部分によって、肉体が影響を受けるという、メンタルな部分における精神的な発達というもの、そういうものを中心に発達させてきたのが東洋医学の根源であったのだとも言えるのだと思います。
ですから、東洋医学の原点においては、霊体というものが主に関心の中心にあると思うのです。ですから、霊体というものを含め、霊体というものは肉体人間が霊体というものを、死というひとつの端境期を通して肉体を脱ぎ捨てた後に、霊体を持って我々の世界に戻ってくるわけでございますが、それこそが本来の神の子、人間のいちばん真髄である部分、魂の部分、その部分を研究していくのが、神の子として、如何に存在しうるべきかということの観点から説いているのも、ある意味では、東洋医学の特色かもしれないと思うのです。
東洋医学を深く語るのは、私の立場にはあまりないのですけれど、私も多少、東洋の方に出たことがございますので、少しこの際、お話させていただこうかと思います。
大きな流れにおいて、先ほどから申し上げているように、東洋医学と西洋医学とが一つの接点を生み、統合されていくということをもって、最終的に何を伝えていくかと申しますと、それは神の子、人間の現れそのものの姿を人類が認知する段階にきているということなのです。
それはどういうことかと申しますと、肉体の生命波動というものが、肉体自身の波動は、この地上に生まれ出でてよりの、先祖、両親から受け継がれた肉体的な諸条件というものがあるのです。そしてそれは先天的な、遺伝的なものに、今世、生まれて栄養をとっていく、その生れ落ちた場所の生命波動の影響をひじょうに受ける、そして、その時代の生命波動を受けるということ。その総合的なものの中により、肉体というものは成長してまいります。
それと同時に、魂自体が過去世からの縁生により、数々のひとつの癖を持って生まれてまいります。
そして、生れ落ちた中において、今世、どのような課題を自分なりに解決し、到達した心境になっていきたいかということのテーマにより、その肉体というものも、ある程度、限定されて、影響を受けてくるということが事実なのです。
今世の結果、今世、何を得たいか学びたいかということにより、あなた方の言葉で言うのならば、障害者という形によって生まれてきた方が、今世、学びが深いという場合もございます。そして、様々な肉体的な特徴というものも、今世においてどのように出たほうが、よりメンタルな部分で学びが深いかということをもって、肉体的な部分を限定し選びとり、それゆえに両親を選んでくるという、そのような選択、チョイスというものをしてくる場合があるのです。
そして、あなたがたがいちばん考えなくてはいけないのは、肉体というものが、そのすべての幸せの究極的な価値ではなくて、それは健康というものが、神から与えられた最大の幸福の、至福の境地であるとは思うけれども、地上において、どれだけ神の子として、メンタルな部分で、その神の子としての霊的な意味で、何を為せ、何を修行できるか、何を学び得るかということが、何よりもメインとして、一番大事なものとして、あなた方、一人ひとりは計画を立ててくるということ。その、いちばん学ばなくてはいけないということ。そして、学びたい個々の課題が違うということ。
霊的な成長ということが永遠の生命の中において、いちばん重大なことであるということ。そのことがいちばん大事であるということ。
(中略)
ですから、不慮の事故とか、そのような時には皆様方で魂を慰めて、励ましを与えて、私たちの世界に戻って来るということを、決して恐れないでよいのだということを、医療現場にある方々も励ましのようなもので伝えていただきたいのです。
今の医療はただ、ただ、延命によるものに終始しているように思えるのです。肉体人間というものにのみ限って、人間というものが存在しうるという観点に立ち過ぎているけれども、人によっては決して長く生きることを望まない方もおられるのです。ですから、そのような自分で決められた寿命、五十年という人生が短いと思われる方もおられれば、長すぎると思われる方もおられ、ちょうどよいと思われる方もおられるのです。
それを決めるのは、ご自分たちの自由意志である、ご本人たちであるということ。であるのならば、その寿命が尽きた時に、天上界に帰って来ようとする者に対して、引き止めることなく、ご苦労様でしたという、ねぎらいの言葉をもって、我々の世界に送り出していただきたいのです。
それを、もし生きているうちから、心の準備として伝えていただけるのならば、それは私たちの世界に戻って来る過程においても、戻って来た後においても、ひじょうに受け入れ態勢が楽になるということもあるし、その魂においても非常に救いというものが、簡単に天上界に戻るという意味においても、楽になるということなのです。
あなた方の中には、もしかしたら東洋医学というものがよくわからないと思われる方がいるかもしれません。でも、あなた方、肉体の生命ということを考えた時に、化学工場のような肉体人間の、肉体という構造の中の動きというもの、そういうものがある一方、その肉体の体に同じ形で霊体というものが入っているのです。
その霊体の中において、天上界の光を受けながら、夜になると睡眠という名のもとに、戻って来て、霊界の太陽を浴び、エネルギーを浴びながら、私たちの世界のエネルギーを充電し、睡眠中に充電して、また地上界に帰って行かれるのです。
その意味を持ちましても、まあ、三次元に生きているうちにも肉体だけではなくて、霊体としての、神の子としての部分も同時に存続されている。そして、それがひとつのシルバー・ラインというもので一体化され、結合されているのが三次元の肉体人間であるということ。そのことを、深く、深く考えていただきたいのです。
それゆえに、肉体が消耗するということは、この体の霊体の部分における結果に、原因結果の因果律ということをあなた方は学ばれておられると思うのです。その結果により、肉体の波動が乱されるということもあるのです。
ここのところ、原因結果の因果律ということを学んでおりますけれども、肉体の体というものはいちばん、その原因結果の、結果がいちばん現れやすいものが、また肉体の健康でもあるのです。それはこの地上における不摂生というもの、食物というもの、そういうものの取り方の不適切な積み重ねにより、病気というものが発症する場合があります。
それと同時に、あなた方は信じられないでしょうが、過去世における霊的な意味における、霊体として背負って来ている、カルマというものが、時に応じて現象化し、それが肉体に出て、そしてそのカルマの摘み取りというものをする。そのような結果としても、肉体というものが存在しているということも事実なのです。
それは、その者、その者によって、発症の時期は違うのです。ですから、そのものが現れたのならば、もしそれが、この地上に生まれてからの、明らかに不摂生の積み重ねによる、そういう原因による結果として起きたのであるのならば、それはその根本である、まず不適切な食生活、実際の生活習慣というものを変えることが必要でしょう。
そして、これは明らかにそういうものではないと思う、過去世の積み重ねの中における、大きな、大きな曇りの部分、それが肉体に反映され、肉体の中における非常な苦しさを、この地上で数十年背負うことで、非常に多くのカルマというものが、解消される場合もあるのです。
もし、あなた方が、多くの人々を過去世で殺めていたりしたらどうされますか。それが悪いとか、いいとかの問題ではないのです。そういうことを、その時代の流れの中で重ね、積み重ねてしまうかもしれないのが、ある意味で言うと人間なのかもしれません。
それが、悪いとか、いいとか裁くことよりも、そのことを通して悔い改めて、でも、そのやってしまった、自己がやってしまった罪に関しては、自分自らが責任を取るしかないのです。他の者たちが代わってその罪を償うことはできないのです。
その時に、過去世にやってしまった罪に対して、多くの人々を苦しめてしまったとします。そしたら、その方々の気持ち、その方々に対するお詫びのような苦しさというものを、やはり自分が体験しなくては次へ進めないのです。
それが自己責任ということでもあるのです。自己責任に基づいて自由意志というものが、神から我々人類には与えられているのです。
ですから、自己責任というものをしっかり取るという意味において、我々は永遠の魂の中において、幾転生を越えて、自分自らの魂の総合的な発達のために次の生というもの、地上の生というものを、何からいちばん最初に、自分自ら学ぼうかということを決めていく時に、もし大きな巨大なカルマがあった時は、まずそこを越えていこうと、清算していこうと思った時に、やはり、肉体的現象において一挙にそれを償ってしまう、払ってしまうことのほうが短期間で払えてしまい、次の修行に行けるということにもなる場合もあるのです。
そのことを思ったのならば、あなた方がもし難病と呼ばれているもの、生まれついての非常に苦しい状態に生まれて来た者たちがいたとしても、その方々に言う言葉は、「生まれて来ておめでとう。さあ、一緒に頑張って、人生乗り越えて頑張ろうね。」という励ましを与えていただきたいのです。
何が何でも、不自由さの中において、魂を牢獄の中に閉じ込めてでも、チューブに繋いででも、一日でも、一年でも二年でも生き延びさせるということだけを、主眼にするのではなくて、魂の乗り船としての肉体というものをどのように利用したのならば、その魂がすばらしい成長となれるかということを、進歩できるかという、成長できるかという、その観点における医療関係の皆様方のご指導というもの、励ましというものが、どれだけ的を得た、その魂における最大のケアとなるかということを私は申し上げたいのです。
その時期が来たのなら、その苦しい肉体に、逆に牢獄のような肉体に閉じ込められているよりは、もう十分あなたはその罪を果たしたのだから、カルマを果たしたのだから、自由になって私たちの世界に帰っておいでと、私たちは胸を広げて、腕を広げて待っております。その時にやたらと引き止めることは、私はあまりして欲しくないと思うのです。
(中略)
でも、時は過ぎ、今この時代になり、最終的な法の集大成の時代となりました。その時に、今、私が申し上げているように、魂というものの乗り船として肉体があるということ。そのことを思うのならば、その肉体の修行をしている、魂が修行している間に、いかに潤滑に航海ができるか、修行ができるか。
そのお世話役として医療系団の者たちがいる意味はあるけれども、けっして物質万能であり、肉体の化学的な生命反応だけが人間であるという、誤った近代の発想を打ち砕き、本来は肉体を抜いた霊体の魂が、本来のあなた方自身であり、それを修行し、進化発展させるため、成長させるために肉体というものがあるのですよという、そのようなことを、物質万能主義の科学的な、物質主義的な時代の最終的に二十世紀の後半を越えて、二十一世紀に向けて、新たな霊文明というものの確立をしようと、そのように天上界は計画しているのです。
そのことを思われたのならば、その中の一環として、医療系団の使命というものは、おのずと役割が変わってくると思うのです。
生命が物質的な意味において万能であると思えばこそ、物質こそがすべてであり、死んだら何もかもがなくなると思うからこそ、一日でも余分に生きさせることが、人間としての幸福であり、医者としての存在価値があるというふうな評価が、判断が出るのではないでしょうか。
でも、本来の、実体は肉体ではなく、肉体人間だけがすべてではなく、本来が神の子であり、霊的な魂そのものがあなた方の本体であるということ。そのことがわかったのならば、あなた方、医療チームのやるべきことは変わってくるはずなのです。
何より大切なことは、地上に生まれてくる意義というものを、宗教だけではなく、すべての者たちが本当に学ばなくてはいけません。永遠の命の中において、たかだか数十年という、地上の一回の生命は本当にわずかなことを学んでいく、その転生のチャンスでしかないということ。でも、その時に最大限に、精一杯に自らの命を通し、自らを高め、成長させ、そして、地上に神の子としての光と愛を放出し、放って生きることにこそ、地上に肉体を持ち、修行しに出てきたことの本来の意味があるのだということ。
(中略)
今すぐというわけにはいかないけれども、今、根本的な法が降り、それを具体論として、上から下へ降りた上下の光が、今度は横に向かって光は地球を一周していくのです。
我らインマヌエル・イエス・キリストのシンボルでもあります十字架というものは、それを意味しているのです。天地をつなぐ神の光が上より下へ降り、そして人々の、神の子たちの心と心をつなぐ、その横の光が地上を一周していく―――。その交わる時に大いなる天上の思いはこの地上において、大いなる救いとして、救世の愛の理念として、輝いていくという、それこそが本来の神のお心であるということ。
それをインマヌエルは、イエス・キリストは、それを、その十字架というシンボルの中に込められて、あの方は、ずうっとその十字架というものを、お出になる時に説かれてこられたのです。単なる形ではないのです。そこに込められた意味があるということ。
今までは天上界より一方的に降りてくる法というものを、下にいるあなた方が、三次元にいるあなた方が、受け止め、聞かれているということの中で来られました。そして、それを、しっかりと法を編纂されて、それを多くの方に広めていく、伝えていくという、そのようなことを通してこそ、本来の神の法というものは、愛の実践というものを生みながら、本物になっていくのです。
本来の法というものは、文字に書かれたものだけではなくて、愛の実践行為により、この地上において人々の心の中に、幸せの炎を、火を灯していく、愛の炎を点火していくことを通して、神の法というものが地上に降りたといえるのです。
そうでなければ、書面だけで文章だけで降りたとしても、それは神の御意思が、神の愛の法が地上に降りたとは言わないのです。それゆえに、地上に降りた光の天使たちは、菩薩行を中心にしながら、わが身を捨てて、多くの地上の神の子たちを幸せにするために、命がけになってその法を説き、その愛の実践行為のために頑張るのです。
先ほどお話になられていた、何度も申しますが、マザー・テレサの行為を見られても、おわかりでしょう。愛というのは実践が伴うものです。信仰というものも、愛の実践行為を抜きにして、どれだけ理屈っぽく、どれだけ偉そうに言ってみたところで、人を幸せにできない愛の法などは、そんなものは神の御心からは離れているということなのです。それを、一人ひとり、あなた方の心に深く落としていただきたいのです。
アトランティスの時にはアトランティスの理念がありました。それはその時代環境を、時代精神というものが違うからです。レムリアにはレムリアの時代精神がありました。
そして、今世、この最終的に統合されていく、この文明における最終的に融合される法の集大成、人類の、ある意味でクライマックスというのが、これから行われていくのです。その時にどれだけ、天上界からの理念というものが地上に生かされ、愛の炎として、たいまつとして、地上にキャンドル・サービスのように、人々の愛の心に点火されていくことがかなうか。
そして、地上が愛の炎の、神の子たちの愛の炎で埋め尽くされるような、この地上に、この地球世界になれるかということをもって、我らが救世の大計画の結論が、クライマックスが来るのです。
仏陀が出られ、イエス・キリストが出られ、そして、エル・ランティがお出になって、法は伝えられました。でも、法を伝えたということをもって、それが終わりではなく、法を聞いたからそれが幸せだというのではなく、その神より受け継いだその法を、この三次元の地上に、多くの神の子たちの幸せの、愛の共感として、みんなが手に手を取って、幸福の炎の中に、光の中に包まれた時をもって、天上界の救世主の方々が説かれた法の、本来の意味というものが、意味を為し、その本来の目的が遂げられる時なのです。
それ以外に、救世主と呼ばれている九次元の方々の、そしてそれを超えられる十次元の、いえ、もっと言うなら宇宙の中におられる、その神の御意思は何もないのです。
地上にいる光の子たちよ。
神の子たちよ。
あなた方は手を取り合い、神の子として、この宇宙に遍在する愛の法則を、愛の喜びを、このあなた方の惑星においても具現化し、そして幸せに生きる道を築きなさい、と。
そのために真実を学びなさい、と。
余分なことの足枷から離れ、あなた方が真に、永遠に幸福であるということは何であるかという、真髄を学び、神の法を学び、そして互いに助け合い、生かし合い、そして神の意思に沿うように、そして喜びをもってあなた方の生命を、愛の波動で満ち満ちて生きていくことを、もう自らの使命として、喜びとしていく、そのような地球として生まれ変わりなさい、と。
神の子として幸せを感じられるような、そのような神の子として、地球人の使命というものを悟る時代が来るのです、と。
それこそが神の星、地球の本来のネオ・ルネッサンスと呼ばれている、新たな救世の計画の後に来る、神の星の使命そのものであり、あなた方の生きていく道であるのだということを悟っていただきたい。それ以外は何も無いのであるということ。
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